NHK放送博物館の川村です。

今年の10月1日に、東海道新幹線は開業60年を迎えました。今回は日本の大動脈として重要な役割を担っている新幹線の歴史と放送の関わりをたどってみます。 


東海道新幹線は世界最先端の技術を集結させた高速鉄道として、1964年の東京オリンピックの年に開業しました。当時NHKでは10月1日の開業に先立って、8月25日に総合テレビで「実況中継 東海道新幹線」と「東海道新幹線 東京駅から新大阪駅まで―全線速度向上試運転から―」という特別番組を放送しています。

実況中継は午前8時半から東京駅を出発する試運転列車の中継に始まり、午後7時半からのドキュメンタリーまで5回に分けて、録画映像を交えて放送しました。この中継は当時のNHKの技術の総力を挙げて行われました。

上空から撮影された試運転列車。

このうち「実況中継」は延べ3時間に及ぶ番組でした。途中10か所の中継地点を設け、列車内の様子を生放送で伝えたほか、ヘリコプターと軽飛行機による沿線の上空撮影を行うなど、当時の技術の粋を集めて多角的に中継しました。その中継の様子を記録した写真がNHKに残っています。そのうちの1枚がこちら。

試運転列車内に持ち込まれたテレビカメラ。

スタジオで使うテレビカメラが試運転列車の車内に持ち込まれ、カメラが車内を占拠しています。さらに運転室の様子がこちら。

運転台に設置された、送信用のアンテナ。

長い円筒形の機材は電波を送信するためのアンテナです。なんとこのような大型の機材が運転席の横に取り付けられています。車内から、上空を飛んでいる飛行機に取り付けられた受信装置に向かって映像を送るために運転台に設けられました。

列車の前後方向であれば送信方向がある程度固定できるため、このような方法がとられたようです。試験列車とはいえ、走行中の運転席にこのような大きな機材を持ち込むというような方法は、今ではちょっと考えられません。なんとものんびりした時代です。


さてこの日、東海道新幹線試運転列車は、初めて最高速度の時速200kmで運転する予定でしたが、これはこの時代のヘリコプターでは追いつけない速さでした。そのため列車を追走するために固定翼機も使われました。

中継機材を積み込んだピラタスP-6型機。

使用されたのは、ピラタスP-6型というプロペラ機です。機内に中継カメラと電波を送るための機材が積み込まれ、列車を追跡しながら映像を送りました。記録写真を見ると、機体のドアが外されテレビカメラなどの機材が機内いっぱいに積み込まれていることがわかります。機体の下には、電波を飛ばすアンテナの一種、電磁ホーンが見えています。

ちなみにこの機体は大変頑丈で、山岳飛行や日本の南極観測隊などでも使用された、当時としては大変高性能の小型飛行機です。


さて「実況中継 東海道新幹線」は午前8時半から始まり午後1時15分に列車が新大阪駅に到着するまで、途中区間を東京―富士川、天竜川―名古屋、彦根―新大阪の3つのパートに分けて、それぞれ東京、名古屋、大阪の3局が制作を担当しました。

これだけ大掛かりな中継体制をとったものの、さすがにトンネルなど電波が届かない区間もあるため、全行程をすべて生中継することはできません。そこで、地上基地の18か所、移動車による2か所で事前に別の試験列車の映像が収録され、番組で使用されました。

放送当日の中継系統図(「20世紀放送史(下巻)」より)。

この日の中継は無事予定通り放送され、新時代の高速列車の姿がテレビを通じて全国のお茶の間に届けられました。なお、このとき列車内から中継を担当したのは、のちに「クイズ面白ゼミナール」や「NHK紅白歌合戦」などの司会を担当したことで知られる、鈴木健二アナウンサーでした。こうした大規模中継を経て、NHKの中継技術は進歩を遂げていきました。