最高裁長官となり、司法の独立と中立維持のために強権的なやり方を強めていく桂場等一郎。第1週から登場し、時に嫌味を言い、時に背中を押し、とも(伊藤沙莉)の成長を見守ってきた彼の心の内とは──。

演じる松山ケンイチさんに、桂場の生き方について、また芝居の中で感じたことなどについて聞きました。


鼻血のせいで、桂場は航一に“刀を振り下ろす”ことができなかった

──最高裁長官となった桂場は、「司法の独立」にこだわるあまり、独裁的な人事を行うなどして、孤独を深めています。そんな桂場の心境をどのように感じていますか?

桂場にとって“正しい司法のあり方”とは、まず中立であり、1ミリも傾いておらず、汚れてもいないものなんです。まっすぐな視点で物事を判断することに、ものすごく執着している、潔癖というか、神経質な男ですから。

それが最高裁長官となって、裁判所全体の問題をジャッジしていかなくてはならない中で、理想実現のためには何をすればいいのか、彼なりに考えたのだと思います。しかし、それを全うすることは一人では難しい。

しかも彼には頼れる人があまりいなかった。だから今までのやり方ではダメだと考えて、最後には“公平性“という桂場自身が最も大切にしていたものすら投げ打って「司法の独立」を守ろうとする──。それが桂場なりの闘い方でした。

ただ、寅子からしたら、朋一くん(井上祐貴)をはじめとする若い裁判官たちの思いをないがしろにしたり、冷たく切り捨てたりしているように見えるわけです。寅子が求める問題解決の方向性とは違うから、ぶつかり合う。だけど、僕はそんな桂場を「間違っている」とは言い切れないんじゃないかと思っているんです。

──どちらか一方が正解というのではなく、寅子の理想と桂場の理想がぶつかり合っているだけということでしょうか?

そう思います。「穂高イズムはどこにいったんですか?」と詰め寄る寅子に、「そんなものを掲げていては、この場所にはいられん」と、桂場は答えました。

ところが実際には、古くなっていく考え方や価値観を、“今”とすり合わせていくことが重要だという穂高先生(小林薫)の考えを、桂場は実践しているように僕には思えるんですよ。

その点では、大切にしている部分は寅子と同じ。でも、やはり一人で裁判所全体を変えようとしたら、背負うものの重さは桁外れです。さらに時間がない中での焦りもあって、食い違ってしまっているのだろうな、と。本当は桂場も一人で抱え込まずに、周りに相談できればよかったんですけどね。

──桂場の近くにいる人間としては、最高裁調査官の航一(岡田将生)がいます。今週は桂場に思っていることをぶちまけ、意外な展開になりましたが……。

表面上は桂場に寄り添っている航一ですが、考えや意見を口に出さずにのみ込んでいる状況が結構あったんでしょう。そして桂場自身も、口出しをさせまいと、あえて“圧”強めに振る舞っている。

だから、航一がドカッと言いたいことを言う時に鼻血を出すっていうのは、すごく面白いなと思いました。おそらく桂場は、航一でさえも切り捨てる気持ちでいたと思うんです。でも、さすがに「血は止めないと……」と、いったん素に戻るというか(笑)、“刀を振り下ろす”ことができなかった。そんな描き方がすごく面白いなって。

──続くシーンで、相変わらず物おじすることなく言いたいことを言う寅子と再びたいしたことで、桂場にも変化があったように見えました。どんな心境だったと思いますか?

あのシーンで印象的だったのは、寅子の「どの私も私……つまり全部含めて、ずっと私なのか」という言葉です。僕が思うに、桂場の中にも「穂高先生の思いを完遂させたい」とか、「最高裁長官としての任期が差し迫っている」とか、いろいろな思いがあった。やりたいこと、何とかしたかったこと、諦めたこと……。優先順位をつけ、取捨選択をして仕事をこなしてきた。

でも、この寅子の言葉で、“これまで切り捨ててきたものも自分自身である”ことに気付いたのかなと。「自分の中で大事にしていたものを消す必要はない、それでいいじゃないか」と、桂場自身のこれまでの生き方や、かつての考えも肯定してもらえたというか。そういうところも響いて、尊属殺を最高裁で扱う方向に見直す、という話につながっていったんだと思います。

「時期尚早だ」と切り捨てるのではなく、向き合ってみてもいいんじゃないか。あの時、穂高先生が覆せなかった判決を、変えるチャンスが今目の前にあるんじゃないか。それを、あの2人に、改めて気づかせてもらったのだと思います。


人は間違えるものだし、そこからどんな議論が始まるかが重要

──初登場から現在に至るまで、常に仏頂面でキャラがブレない桂場ですが、松山さん自身とは、共通点があると思いますか?

どうでしょう(笑)。桂場の、司法に携わる者としての覚悟やまっすぐさ、研ぎ澄まされている部分は、どことなく“武士”に通じる部分があると思うんです。

僕は去年の大河ドラマ「どうする家康」で、家康を最後まで支える武将・ほん正信まさのぶを演じていたので、その時に学んだ男性社会の中の立ち振る舞いや生き方みたいなものを、桂場にも取り入れたいと思っていました。

ただ、僕は桂場ほど深く考えて生きてはいないので(笑)、自分の意見を強く持って、法律や自身が所属する組織を変えてやる!という桂場のことは、すごいなと思っています。

とはいえ、桂場も厳格なだけではないですよね。例えば、法律を守り、ヤミ米を食べずに餓死してしまった花岡(岩田剛典)の頑なさとは違う。

あのころ、ときどき職場でさつまいもを食べようとしているシーンが出てきましたが、厳しさの中に緩い部分もあるというか、きっとどこかで線引きをしているんじゃないでしょうか。こういうところは、生きるうえでなくてはならない感覚だと思いますし、共感できますね。

──桂場といえば甘味ですが、松山さんも甘いものはお好きですか?

好きですね。確かに、そこは桂場と似ているかもしれません(笑)。桂場は基本、仏頂面なので、芝居としては感情を表現しづらいのですが、その分、手や目線など、ほかの部分で表現しようと、常に探っていました。それが大きく出せたのが、甘いものを食べるシーンです。

例えば、ちょうど団子を食べようとしているところで寅子に話しかけられたとき、持っていた団子をどうするかは、台本には明確に書かれていなかったんです。そこで、無視して食べればいいのに話し中はあえて団子を食べず、しかもお皿にもしばらく置かないことにしました。そうすると、団子を優先するのか、寅子の話を優先するのか迷っているという表現になりますよね。

──そういう部分もあいまって、最終的に桂場は愛すべき人物だと感じました。

桂場は、高等試験に臨む寅子に「同じ成績の男と女がいれば、男をとる。誰をもりょうする成績を残さなければな」と言うなど、最初から、自分の気持ちを意地悪な感じでしか伝えることができない人間なんです。でも、それをそのまま表現したのでは、キャラクターとして幅が狭く──“人物”ではなく、“記号”でしかなくなってしまうので、それをどう魅力的に見せるかというのは、演じるうえでの課題でした。

例えば、桂場はいわゆる保守的な考えの人間に見える部分もあったかもしれませんが、人ってそれだけじゃないですよね。彼が、法律家を目指すという寅子に向かって、すぐに「時期尚早だ」と言ったのも、男女平等に対して準備ができていない当時の社会をよくわかっていたからじゃないかと、僕は受け止めています。それはある種、彼女への思いやりでもある。

でもそれを言ったら、その“準備”が今の日本社会の隅から隅まで行き渡ったかというと、まだまだ課題があるような気がしますけどね。

──まもなく最終週を迎えます。半年間、楽しみに見てくださった視聴者の方へメッセージをお願いします。

僕自身は法曹界の人間でもなんでもない、ただのおじさんなんですけど、「法や権力に対して闘う人は、常にこうであってほしい」という、僕なりの理想を込めて演じています。

同じ日本国民でも、人はそれぞれ全然違っている。そんな人たちをまとめる法律を司るって、実際、すごく難しいことだと思うんです。そんな中で、一人の人間が最高裁判所長官として物事をジャッジしていくわけですから、間違うこともあるでしょう。でも、人は間違えるものだし、そこからどんな議論が始まっていくかが、重要なんじゃないでしょうか。

「虎に翼」は、たくさんの登場人物を通して、それを伝えるドラマなのではないかと思っています。いろんな人が存在すること、それを知ること、まっすぐ向き合っていくこと。それが全ての人の人権を尊重することにつながっていくのだと思います。

このあとも、最後の最後まで見どころはいっぱいです。すごく重い話の中にもコミカルな描写がありますし、そこに人間賛歌が織り交ざった、人に対する優しさみたいなものを感じられるドラマになっているので、ぜひ最後まで見届けていただければと思います。

【プロフィール】
まつやま・けんいち
1985年3月5日生まれ、青森県出身。NHKでは、大河ドラマ「平清盛」「どうする家康」、「こもりびと」「お別れホスピタル」など。主な出演作に、映画『デスノート』シリーズ、『ノルウェイの森』『聖の青春』『BLUE/ブルー』『川っぺりムコリッタ』『ロストケア』、ドラマ「100万回言えばよかった」など。12月20日(金)に主演映画『聖☆おにいさん THE MOVIE〜ホーリーメン VS 悪魔軍団〜』が公開予定。