まもなく、来年1月からスタートする大河ドラマ「どうする家康」。主演の松本潤さんをはじめ、多くの人気俳優の出演が発表され、早くも大いに注目を集めている。
そんな中、家康ゆかりの地・静岡県浜松市の大河ドラマ館(来年1月にプレオープン)が予定されている場所で「浜松家康公トークショー」が開催され、タレントの松村邦洋さんが登壇した。
ラジオ第1「DJ日本史」にも出演し、大河ドラマについて語らせたら右に出る者はいない松村さん。この日も、「家康公と信玄公(三方ヶ原の戦い)」を題材に圧巻のトークで来場者を魅了した。
〇家康公が壮年期を過ごした「浜松」
徳川家康といえば、愛知県・岡崎の出身で、駿府城で今川氏の人質として長く暮らし、豊臣秀吉亡きあとは「関ヶ原の戦い」で勝利。その後、江戸幕府を作った人物――。そんな家康が壮年期(29~45歳ごろ)を過ごしたのが浜松だ。
家康にとって、浜松で過ごした日々は、戦いとトラブルの連続だった。三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗、妻(築山殿)と長男(信康)を亡くし、「本能寺の変」では堺から伊賀を越えて逃亡、秀吉の妹・朝日姫(当時44歳)と政略結婚……。まさに、「どうする?」と迫られてばかりの16年間だったはず。
今、浜松市内では随所に「若き日の徳川家康公」の像を見ることができる。浜松のキャッチコピーは「出世の街」だ。確かに浜松は、日本はもとより世界で偉業をなした人物や企業(楽器メーカーしかり、自動車メーカーしかり)を輩出している。その歴史は、この地での苦労を糧に出世していった家康公から始まっているのだ。
市民には、“マツジュン”こと松本潤さんと、浜松時代の家康公が重なって見えているのかもしれない。
現在、浜松市役所のロビーでは、「どうする家康」のポスターが大量に掲出されている。その数43枚。エスカレーターの上にずらりと居並ぶ“マツジュン”家康が壮観だ。この光景をSNSで紹介したところ、一目見ようと県外から市役所を訪れる人まで現れたとのこと。放送を前に、その期待の大きさがうかがえる。
〇松村邦洋さん、“津川”家康で堂々登場!
トークショー冒頭、松村さんは津川雅彦さんが演じた家康で登場!
「徳川三代のときの津川さんはね、秀吉が死んでからの家康だったんで『鳴くまで待とう』ではなくて、早く天下取りたい、というんでガッツガッツしている家康でした。こう……爪を噛んでね。(ここから津川さんに早変わり)三成が、挙兵を、し、たっ。(ここで目をぐっと開いて)よいか秀忠。豊臣家を断絶せねばならん。もしも徳川を脅かすものがいれば、それは誰だ?秀忠!」
松村さんの代表的な“持ちネタ”だ。津川さんは、大河ドラマでは「独眼竜正宗」と「葵 徳川三代」で家康を演じている。
ここで突然、西田敏行さん演じる秀忠に早変わりして…
秀忠 「ははっ。加藤清正、福島正則、黒田長政にござりまするか?」
家康 「さにあらず! わが祖父清康は家臣に殺された。わが父広忠も家臣に殺されたっ。大事なのは忠義の家臣と心得よっ!」
秀忠 「ははっ。父上、父上の言うとおりにございまするぞ~」
集まった300人の観客がどっと笑う。
〇家康大敗「三方ヶ原の戦い」の逸話
1572年12月22日夕刻、家康と信玄は、現在の浜松市北区にある「三方ヶ原」で激突。当時、家康は31歳。織田信長と結び、東側の勢力、武田や北条への備えを任されていた。が、この戦いで家康は、歴史に残る大敗を喫した。
ここで面白い言い伝えがある。武田軍から逃げる途中、腹が減った家康は小さな茶店で小豆餅を食べた。ところが、追手が来たのでお代を払わず逃げ出してしまう。それを茶店の老婆が追いかけて、銭をきちんと取り立てた、という逸話である。
トークショーでは、松村さんが「どうする家康」で信玄役となる阿部寛さんになりきって、この場面を熱演した。
「この三方ヶ原で家康は、小豆餅を無銭飲食したんだよ。小豆餅二丁目って交差点があるんだよ。銭取ってバス停があるんだよ。小豆餅屋のおばあさんが、足が速くてよぉ~。家康、無銭飲食で捕まるところだった。藤堂高虎だって、無銭飲食して、だいぶたってから払ったのに。浜松に感謝しろ、ばぁか。浜松の『下町ロケット』やってほしいよ」
声だけ聞いていたら、本当に阿部寛さん本人のよう(失礼)。
「おばあちゃん、馬より早かったんですよ。僕らの世代から言ったらカール・ルイスかウサイン・ボルトより早かったという」
武田信玄からは逃げられたのに、茶店の老婆からは逃げられなかった家康。
浜松市内には、餅を食べた場所が「小豆餅」、追い付いて銭を取り立てた場所が
「銭取」(バス停)として、今も地名が残っている。
〇「どうする家康」で、どうする松村邦洋?
「三方ヶ原の戦い」では、多くの家臣が家康を守って死んでいった。そのなかの2人が、夏目吉信(広次)と本田忠真。「どうする家康」では、それぞれ甲本雅裕さんと波岡一喜さんが演じる。
夏目は浜松城の物見やぐらから三方ヶ原の味方の劣勢を見るや、救援に向かい、家康を無理やり馬に乗せて、その尻を叩いて走らせ、自らは身代わりとなって武田軍に突撃して戦死した。また、本田忠真はのちの猛将・本多忠勝のおじであるが、この退却戦のしんがりをつとめて討ち死にしている。
トークショーで、松村さんは語る。
「自分のために命を落としていく家臣たちを見て、家康は“家臣こそ宝”と思ったんですよ。身内ばっかりかわいがると、平家のように潰れますよ。頼朝を見てください。“御”家人ですよ。家康も、家来を大事に、命をささげてくれる家臣を大事にしなければなりたたない、ということを三方ヶ原で知ったと思いますね。それもあってか、家康は家臣たちによく意見を聞いたって言いますよ。どうする?どうする?ってね」
家臣を大事にして、よく意見を聞き、失敗から学ぶ。どれも現代に通じる成功者への道である。浜松には家康公の原点があった——。
「よく、『天下餅』って言うでしょ?『信長がついて、秀吉がこねて、家康が食べた』って。でもね、ぼくは幕府餅だと思うんですよ。頼朝がついて、尊氏がこねた幕府餅を、総仕上げをするのが家康ですよ!」
今年と来年の大河ドラマが、松村さんの軽妙なトークで見事につながった!
“幕府餅”の総仕上げとして、“マツジュン”家康公が「どうする」のか、来春の大河ドラマを楽しみに待ちたい。
ところで、
「次の家康はマツジュンですけど……松村さん、どうします?」との質問には、
「う~ん……1月までに20キロ痩せますっ」とのこと。
その宣言いただきました! 楽しみにしています(笑)
(取材・文/NHKサービスセンター 阿部陽子)