“私は妻を壊した者です”
ある日の夕刻、携帯電話のポップアップに気になる言葉が現れた。

それは「NHK NEWS WEB」の記事のタイトルだった。

内容が気になり、思わず画面をタップする。

そこにつづられていたのは、育児中の妻のSOSに気づいてあげられなかったというざんげの言葉だった。夫にしてほしいことが言えない妻の気持ちが、リアルに伝わってきて痛い。

この記事は、NHKのネットワーク報道部の記者が書いた「消せないメール」という“孤育て”と働き方に関する記事が元になっている。その記事を読んだ視聴者から、“私は妻を壊した者です”と記された手紙が寄せられたのだ。

この手紙の送り主をかばうわけではないが、誰しもやむにやまれぬ事情や責任ある仕事を抱えているだろう。もちろん、仕事ばかりの人を礼賛するわけではないが、ライフスタイルが多様化するなかで、自分自身が生きる環境やパートナーとの関係性も変化しつつある。育児や家事への関り方は、もっと多様であっていいと私は思うのだ。

はたして“孤育て”をすることは不幸なのだろうか。パートナーといっしょに子育てをすることだけが幸せなのか。そもそも、子育てのあり方で幸か不幸かを考えること自体、どうなのか。よく言われる「ワンオペ育児」という言葉に私が違和感を覚える理由はここにある。

*ワンオペ育児とは
ワンオペレーション=ワンオペで子育て行う状態を指す言葉。日本では、夫(時には妻)を批判する言葉として使われる傾向がある。

「代わってほしい」が言えない理由

何度も届いたSOSに気づいてあげることができなかったという手紙の送り主。そして、本当にやってほしいことを言えない妻の気持ちには、心から共感する。

私自身、これまでに二人の息子を育ててきた。まだ、「イクメン」や「ワンオペ」といった言葉がない時代のこと。作・編曲を生業としていた私の夫は、常に締め切りに追われ、昼夜を問わず仕事に追われていた。

そんななか、初めての妊娠。標準体重ギリギリで生まれた長男は、“母乳をあまり飲まない~寝てもすぐに起きる”の繰り返し。私の睡眠は、ギリギリの状態が続いた。

粉ミルクを勧める母親のアドバイスも聞かず、子育て雑誌に載っていた母乳育児こそが理想だと信じ込んで励んだ。風邪をひいたとき、母乳に影響が出るからと薬を避けたら、咳込み過ぎて肋骨にヒビが入ってしまった。

それでも家事をこなし、風雨もいとわず愛犬の散歩もした。おむつ替えも寝ぐずりも、夫に頼らなかった。当時の写真を見返すと、疲れた表情をした私がいた。その写真に向かって、「何に意地になっていたの?」と問いかけてみる。

あのころ、「疲れた」「眠い」は言えても、「代わってほしい」とは、なぜか言えなかった。そこには、「夫の仕事を代わりに私がやることはできない。だから私は自分のやるべきことをやらなくては」という“無意識の責任”を負っていたのだと思う。

良き妻でいなければという理想が自分自身を追い込んでいたのだ。「代わってほしい」が言えない代わりに、夫への不満が膨れあがっていった。


「夫をアテにするのをやめてみたら?」

ある日、愚痴を聞いてくれていた友人の何気ない一言に、私はハッとした。
「しっかりやらなきゃいけないって気持ちと、その反面、やりきれない、なのに夫は手伝ってくれない。それなら、どこかで諦めたほうが楽でしょ」
友人は、愚痴まじりの私の考えに共感も否定もせず、違うやり方を示してくれた。

同じころ、夫に言われた。
「ベビーフードはメーカーの人たちが研究を重ねて、赤ちゃんの体にいいものを作っているんだから、勝てるわけないよ」

友人の言葉を聞いた後だったからか、夫の言葉にも素直に耳を傾けることができた。マニュアルどおりの子育てがすべてではないし、夫婦の役割分担も一様ではない。肩の力を抜いたら、少し育児が楽になった。

長男が歩き始めたころ、大きな公園まで愛犬も連れて散歩に出かけた。広い場所で走り回った子どもと愛犬は、夜になるとぐっすり眠るようになった。次男が生まれてからは、3人で動物園、水族館、海に山にと遊園地にと、遠方まで足を運んだ。
子どもも私も笑顔で帰宅すると、夫は仕事の手を止め話を聞いてくれた。夫なりの子育てへの参加方法だった。このころ、自分が不幸だと感じたことはなかった。

線引きはあいまいだが、当時の私の子育ては今でいう「ワンオペ」だった。


二人が成長した今でも、腹が立つことも悲しい気持ちになることもある。そんなとき、ワンオペ時代の子どもたちとの思い出と彼らの笑顔が、私の救いとなっている。短期的に見れば“孤育て”だったが、長期視点で見たら“子育て”になっていた。

夫は、今でも家事はほぼやらないが、私には分からない楽器の扱いやITの情報を子どもたちに教えてくれる。一人ひとりが家族として“そこに存在する意味”は、どの家庭にもあるはずだ。


「ワンオペ育児」というマインドセット

明確な基準のないこの言葉のせいで、苦しむ人が多いのではないだろうか。インターネットやSNSで膨大な情報が得られる時代になった反面、エコーチェンバーと言われる現象のように、自分が持っている意見、価値観に強く偏る傾向がある。

親の性格も子どもの個性も環境も違うにもかかわらず、初めての出産や育児では、他者の価値観に頼るところも多い。「こうでなければいけない」「みんなこうやって育てている」というマインドセットに、私たちは無意識にしばられているのだ。

ネットやSNSでのワンオペアピールが行き過ぎ、本当に困っている人のSOSが届かない。そんな世の中の流れを私は危惧する。社会やそこで暮らす人々に共生や多様化が求められるのならば、子育ても同様であってしかるべきではないか。

本当の幸せは、ネットのなかではなく、自分自身のなかにあるはずだ。

(取材・文/NHKサービスセンター 木村与志子)