こんにちは。「おむすび」広報隊長のOオーです。
このコラムでは現場の裏側をスタッフ目線でお伝えしています。

阪神・淡路大震災から30年目にあたる今日、その時間、私は制作統括の宇佐川隆史と「おむすび」スタッフとともに、神戸市中央区の東遊園地にいました。
「1.17のつどい」で、地震発生の5時46分に集まった多くの皆さんと一緒に黙とうしました。

1月17日は「おむすびの日」とも言われています。ドラマタイトル「おむすび」の由来です。当時、多くのおむすびが、ボランティアの皆さんによって作られ、被災地に届けられました。おむすびはきっと被災者のみなさんの心の支えにもなったに違いありません。

劇中で作られた、わかめおむすび。

ドラマでは今週、結が母になり、2011年東日本大震災が発生しました。
「おむすび」はこれまで神戸で被災した米田家や商店街の人々の葛藤を描き、そして今週は東日本大震災での避難所の様子や、支援活動を行う栄養士・湯上佳純(平祐奈)、医師たちの姿などを描きました。

今回はまず、震災の場面を描く「おむすび」に込めた思いを制作統括・宇佐川隆史からお伝えできればと思います。


よりそい、最後まで描き通したい

【制作統括・宇佐川隆史より】

今朝参加した、神戸で行われた「1.17のつどい」の様子です。(制作統括・宇佐川)

本日、神戸・東遊園地で開かれた「1.17のつどい」に、今年も参加させてもらいました。私や広報隊長オーをはじめ、チームメンバーもそれぞれに参加。震災が起きた時刻である5時46分に、皆さまと共に黙とうを捧げました。

早朝こんなに暗い、寒い時間に、突然の震災でたくさんのものを失ってしまった方々が、30年前のあの日に、確かにいたということ。改めて、想像を絶する日々だったと思います。

つどいでは、毎年無数の竹灯篭・紙灯篭が集まって、地面に大きな言葉が紡がれます。今年の言葉は、“よりそう”でした。

簡単に分かったふりをしてはいけない。でも、それでも、分かりたい――その思いを持って、少しでも寄り添い、思いをせる。そして未来へとつなげていく。一人一人ができることは小さなことかもしれないですが、自分たちのできることをしんに続けていきたいと、改めて思いました。

ドラマでの、阪神・淡路大震災の避難所の撮影現場より。

「地震のことを知る人の方が少なくなった」阪神・淡路大震災についての取材中、神戸の方々から多く聞いた言葉です。

放送中に、震災から30年目を迎えた「おむすび」。大きな節目の中で、「今私たちは何を伝えるべきか、朝ドラで何ができるのか」そのことを自分たちなりに必死に考えた結果が、皆さんが今ご覧いただいている物語です。

30年前に神戸や周りの人々が感じた思いや教訓を、自分事のように感じて欲しいと、震災を真正面から描きました。もはや決して他人事ではない“災害”というものに対して、心構えや備えを行い、たくましく乗り越えていく――そのきっかけになるのではと考えたからです。

「おむすび」の中で、震災や避難所での日々が放送された際、多くの方々がSNSで当時の記憶や体験を語ってくれました。私たちは、そうやって過去の出来事を共有し、何が必要かを考え、支え合って生きていくことができると、心から信じています。

物語の中で、避難所であの日おむすびをもらった一人の少女は、成長し、自分なりのおむすびを今、人々に与え続けています。一歩ずつ進む結のように、私たちもこの思いを、最後まで描き通したいと思っております。

文/「おむすび」制作統括・宇佐川隆史


当時の震災を“真正面から描く”ために

再び、「おむすび」広報隊長のOオーです。このような「思い」を具体的にドラマで表現していくために、番組では取材を重ねました。

第5週22回(10/29放送)で、結たちは自宅や商店街の被害を目の当たりにする。

30年前のあの日。ドラマでは、第5週に阪神・淡路大震災発生時の様子を描きました。当時、神戸に住んでいた幼い結をはじめ、聖人(北村有起哉)と愛子(麻生久美子)らは倒壊した自宅兼理容店から、避難所に避難します。

避難所を描くうえで、当時被災して避難所で過ごした地域の方々や、避難所として使用された学校の先生など多くの方にお話を聞かせていただきました。物の細かな配置をはじめ、避難所内の様子を具体的に伺い、それを美術に反映させています。

被災後に、結や歩が避難した教室は、神戸市内にある当時使用されていた教室でロケを行いました。周囲の状況は被災者のお話をもとに表現しました。

避難所で、結や歩が過ごしていたスペース。
結たちが暮らす避難所でのルールが書かれた貼り紙。

貼り紙類なども、当時の資料VTRをもとにしています。


昨日放送の第15週74回(1/16放送)では、結の栄養専門学校の同級生・佳純が東日本大震災で被災した地域の避難所で奮闘する姿が描かれました。

佳純が避難所で栄養士として支援しているシーン。

固いものが食べられない被災者の方に、佳純が機転を利かせて、おむすびではなく、おじやにして提供しました。このシーンについても、避難所での支援活動についての取材をもとに、反映しています。


「おむすび」という物語を通して、震災の記憶を未来へとつなげられる一助になれたらと思います。

年始の放送がスタートし、物語は後半へと入ってまいりました。最後まで見届けていただけたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

「おむすび」ドラマスタッフ。
おむすび広報隊長として全力投球の日々を送る。