「おむすび」の舞台はいよいよ阪神・淡路大震災へ。脚本家・根本ノンジさんが考える自然災害、そして大切な人との別れ。米田家と神戸の人々の日々が描かれる、ここからの「おむすび」に込めた思いを聞きました。


日本は、災害とは切っても切り離せない国。その脅威をきちんと描くべきだと思っています

──震災をドラマで描くということは、簡単なことではないと思います。根本さんの中で、震災を描くことは、どんな意味を持っているのでしょうか?

阪神・淡路大震災が発生した1995年、僕は25歳。まだ放送作家としても見習いで、アルバイトをして食いつなぐ日々を送っていました。テレビで災害の様子を見て「大変なことになったな」と思ったことは覚えています。

その後、2011年に東日本大震災を経験したときに、都市型の震災だった阪神・淡路は、津波型の東日本とは全く違う形の災害だったのではないかと思い至り、気になって調べるようになりました。

日本は自然災害とは切っても切り離せない国です。理不尽で、人にはどうすることもできない自然の脅威が、常に身近にある──僕はそれをきちんと描くべきではないかと、常々思っています。「また明日ね」と言って別れた相手と、もう二度と会えなくなるかもしれない。これが誰にでも起こりうる。

僕自身、災害ではありませんが、母親を事故で亡くしています。大切な人を理不尽に失うこと、その経験にどう向き合い、どう立ち上がっていくかというのは、自分の中でも大きなテーマだなと感じています。

──その震災を、本作の中で描くうえで意識しているのはどんなことでしょうか?

まず、震災でたくさんの人が亡くなり、今も苦しんでいる方がいらっしゃる。そのことを念頭に、誰も傷つかないよう、慎重に制作を進めています。ドキュメンタリーではなくフィクションだからこそ、描けるものや伝えられるものがある。被災し、今も生き続けている人たちが、震災という大きな出来事にどう向き合っているのかを、しんに丁寧に描こうと努めています。

「おむすび」は、作品全体としては明るい物語ですが、震災についてはリアルなところを描こうとしています。実際、人生って、楽しいことだけでもないし、悲しいことだけでもないですよね。それと同じで、コメディー調の笑える部分と、つらい災害や事故、事件などの部分は切り離せない関係にあると思っていて……。そのあたりは混然一体と、主人公たち家族の人生として共感していただけるような物語にしたいと思っています。