神戸・さくら通り商店街で靴店を営む渡辺孝雄は、腕利きの靴職人。もともと寡黙で口下手でしたが、妻を亡くしてますます頑固になり、商店街のアーケード計画にも反対していました。
阪神・淡路大震災により一人娘の真紀(大島美優)を亡くしてからは、さらに自分の殻に閉じこもるようになってしまい、孝雄を気にかける米田聖人(北村有起哉)や真紀の親友だった米田歩(仲里依紗)にも頑なな態度を取り続けています。
そんな孝雄を演じるのは、緒形直人さん。孝雄というキャラクターが存在する意味や、ドラマで震災を描くことの難しさなどについて聞きました。
明るいドラマの中に孝雄のようなおっさんが一人いてもいいんじゃないかな
――朝ドラ出演は、2005年放送の「ファイト」以来19年ぶりとのことですが、出演オファーがあった時はどのようなお気持ちでしたか?
神戸編は特にそうですが、「おむすび」はちょっと井戸端会議風なドラマですよね。最近は若者たち向けのドラマや社会派ドラマが多くて、こういう“おっちゃんおばちゃんが言いたいことを言ってる”みたいな作品はあまり見ないので、朝ドラならではの魅力がある作品だなと思いました。
そういう明るい物語の中で、渡辺孝雄は一人だけ負のオーラを持った役なので(笑)、異端児的な存在になれたらいいなと思いながら演じています。
――いまだに震災から立ち直れずにいる孝雄を、緒形さんはどのような人物だと考えていますか?
実は、撮影に入る前に役柄の履歴みたいなものをいただいたんです。孝雄は母子家庭で育って、弟のために学校を辞め、バイトを掛け持ちして家計を支えていたという過去があったと。だからこそ、自分の家族を持つことができてとても幸せで、家族が自分の世界のすべてという思いがあったんですよね。
だけど、妻を亡くし、娘を亡くしてしまった。日本は災害大国だから、現実の世界でも災害で家族を亡くされた方はたくさんいますし、災害でなくても、そういう喪失感を抱えている人は必ずいると思います。だから、皆が前を向いて歩んでいるドラマの中に、一人こういうおっさんがいてもいいのかなと。
災害から街は復興しても、孝雄のような人が絶対にいるっていうことを忘れないでほしい。そういった意味では、毎朝しっかりとつらい顔を視聴者の皆さんに届けるという存在意義のある役だと思っています。
――もし、ご自身が孝雄のような状況だったら、どうなっていたと思いますか?
たぶん孝雄と同じように塞ぎ込んだと思いますね。阪神・淡路大震災から12年間、彼は前に進めない状態ですけど、心の復興のスピードというのは人それぞれ違うじゃないですか。だから、どういうきっかけで前を向けるようになるのか、一歩踏み出すことができるのかということも含めて、孝雄の心の痛みを少しでも感じてもらえたらいいかなと思っています。
孝雄自身も、最初は自分の悲しみばかりを見ていますが、きっと徐々に人の痛みもわかるようになっていくと思うので、そういう部分も表現できたらいいですね。
――聖人が孝雄に靴の修理を頼むシーンがありましたが、孝雄にとって靴を作る、修理するということは特別な意味があるように感じました。
孝雄が作った靴を「修理して欲しい」と聖人が持ってきたのは、すごくいいタイミングだったと思いました。その靴を見た時に、やっぱり靴職人として本能的にちょっと気持ちが騒ぐというか、これを直したいっていう気持ちが芽生えたんですよね。そこから、孝雄も少し立ち上がることができたのではないかな。
だけど、その後も前を向き続けられるかというと、そうはならない。たぶん、自分の作品とも言える靴の出来に納得いかなかった部分もあったと思うし、仕事をしたことでまた悲しみが蘇ったのかもしれないし、そのあたりの風の吹き方の部分は、細かな感情の動きが孝雄の中にあるんでしょうね。
だから、修理した靴を聖人に持っていった時に、孝雄がどういう思いで、どんな顔をして作業していたのか、そういう裏側が見えてくるように演じたつもりです。
大事なのは人の痛みを想像できるかどうか
――ドラマの起点として阪神・淡路大震災があるわけですが、震災について資料などをご覧になったりしましたか?
阪神・淡路大震災を背景として災害に立ち向かう人々を描いた映画『マグニチュード 明日への架け橋』(1997年公開)に出演した時に、震災の被害やそういう悲惨な状況を目にしました。ただ、大事なのはやっぱり人の痛みを想像できるかどうかというところだと思います。
今回、実際に神戸で被災した堀内正美さん(明石太一役)とご一緒しているので、いろいろと教えていただきながら、被災した方たちの痛みを想像しながら演じています。堀内さんから「親を亡くすことは過去を失くすこと、恋人や妻を亡くすことは今を失くすこと、子どもを亡くすことは明日を失くすこと」と伺って、その明日を失くした孝雄を細かく丁寧に演じたいと思いました。
――ドラマなどフィクションの世界で震災を描くのは難しい面もあると思うのですが、震災の現実を伝えるために孝雄というキャラクターが重要な役割を果たしていると感じます。
そうですね。僕が孝雄という男を演じることで、何年も前の災害でも忘れてほしくない、風化させてはいけないという思いが、少しでも皆さんに伝わればいいなと思っています。孝雄は12年間苦しんでいるわけですけど、堀内さんのお知り合いには30年経った今も苦しんでいる方がいるとお聞きしています。
時が経てば、必ず解決するということではないんですよね。きっと孝雄も、聖人の靴を修理したり、炊き出しのおむすびを食べたりしたことがいいきっかけになっていくとは思いますが、そういう気にかけてくれる周囲の人たちがいなければ、いまだに苦しんでいたんじゃないかなと思います。
――ドラマの中では、これまで孝雄が立ち直るきっかけは何度かあったのに、そのたびに元の場所に戻ってしまう姿も繊細に描かれていますよね。
心が元気になっていくスピードは、人それぞれ違うから、まだ一歩も前に進めない人間が10cmだけ片足を前に出して、でも、その次の一歩は踏み出せないという姿を描くことがすごく重要で。簡単なことじゃないんだということを表現したいし、感じていただけたらなと思っています。
ここから、孝雄の目の前が少しずつ開けていく様子を演じて、見ている方の心を動かすことができたらうれしいですね。
闘病中の父が書いた文字で腑に落ちた「食べること」の意味
――このドラマは「平成」「食」という大きなテーマがあります。緒形さんは、平成という時代にはどういうイメージをお持ちですか?
僕はデビューしたのが昭和の終わりだったのですが、平成に入ってすぐに、この仕事がものすごく忙しくなったんです。平成2年には大河ドラマ「翔ぶが如く」、平成4年は「信長 KING OF ZIPANGU」をやっていたので、平成がスタートした頃は、自分がどこに向かっていけばいいのかわからず、海に放り出されたような気持ちでした。
そこから、結婚もしたり、子どももできたり、たくさんの仕事をして、親父(緒形拳)も亡くしたり、いろいろな経験をしたので、「平成」とくくっていいのかわからないですが、自分にとっては割と激しい時代だったという印象です。本当にあっという間の30年間でしたね。
――緒形さんにとって、めまぐるしい時代だったのですね。「食」というテーマについては、何か思うことはありますか?
そうですね。父が病気になったときに食事制限をしていたのですが、そういう中で一枚、「なんでも美味しく食べる」という絵と文字を書いたことがあったんです。それを見た時に、「あ、確かにそうだよな」って、すごく腑に落ちた感覚がありました。
やっぱり食べる物によって人は元気になるし、食べる物を制限された中でも、美味しく食べられるようになることを信じる気持ちは力になるんだなと感じました。それは、このドラマにもすごく通じることですよね。
おがた・なおと
1967年生まれ。神奈川県出身。主な出演作に、映画『川っぺりムコリッタ』『護られなかった者たちへ』『もみの家』、ドラマ「アンチヒーロー」「六本木クラス」「南極大陸」など。NHKでは、大河ドラマ「翔ぶが如く」「信長 KING OF ZIPANGU」、「ダイアリー」「半径5メートル」などに出演。連続テレビ小説は、2005年放送の「ファイト」以来、2作目。