今回のドラマでは、蔦重(横浜流星)が見守る中、吉原を出ていく凛とした瀬川(小芝風花)の道中に泣かされましたね。
大田南畝『半日閑話』には、江戸町一丁目松葉屋の5代目(一説に6代目)瀬川が鳥山検校に1400両で身請けされたのは、安永4年(1775)12月のことであったと記録されています。しかし、瀬川が吉原を去っているはずの安永5年正月に刊行された『青楼美人合姿鏡』(下図)では、松葉屋を描いた冒頭の図に、松嶌、染之介、初かぜとともに、瀬川(右端で本を持っている)が描かれています。

安永5年(1776)正月 板元:山崎屋金兵衛、蔦屋重三郎
東京国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
すでにいないはずの瀬川が本を手にした姿で描かれていることを、ドラマではうまくストーリーの中に組み込んでいました。
『青楼美人合姿鏡』は、安永5年春(正月)に蔦重が山崎屋金兵衛との共版で出版した彩色摺の美しい絵本で、3冊のセットになっています。
同じころに出された蔦屋版吉原細見『名華選』にはこの本の広告が載っています。そこには、吉原の遊女を彩色摺で描き出したもので、どこでも居ながらにしてその姿を鏡に映したように見ることができる本だと宣伝されています。
また「箱入」ともあり、彩色摺である上に、あつらえた桐箱に入れて売られたものと想像され、贅沢な商品であったことがわかります。
共版の山崎屋は、宝暦13年(1763)から明和期(1764〜72)にかけて、錦絵草創期の第一人者・鈴木春信(1725?〜70)の絵本などを出した日本橋(本石町十軒店)の版元として知られています。ただ、企画はいかにも“蔦重”なので、山崎屋はこの豪華本の出版に際して、出版手続や市中での販売の便宜を図ったものと考えられています。

全3冊の最初が「春夏」の巻で、春は松葉屋を含め江戸町一丁目の遊女屋8軒の10図、夏は江戸町二丁目の5軒8図で、それぞれ見開き図に遊女たちの姿が描かれています。
次は「秋冬」の巻で、秋は角町と京町一丁目の10軒12図、冬は京町二丁目の9軒10図です。それぞれ季節の花が扉絵になっています。
最終巻は「員外」として、引手茶屋や通り沿いに集うさまざまな店の遊女が最初の3図に描かれ、以降は遊女たちが詠んだ発句集になっているという構成です。
おおむね松葉屋のような大店の位の高い遊女が中心ですが、網羅されているかというとそうでもありません。贅沢な出版である上に、遊女屋と遊女の取り上げ方に偏りがあることから、この本も先のコラム#3でご紹介した『一目千本』同様、蔦重得意の入銀による出版であると推察されます。

東京国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)
ほとんどの版本が墨摺の時代、この本は彩色摺で出されただけではありません。例えば、「秋冬」の巻に載っている京町二丁目「丸屋」(上図)では、遊女のとよ鶴が柄杓で持ち上げている手水鉢の氷に、雲母摺(雲母の粉末を使った摺り方)が施されていて、キラキラ光る氷の質感が表現されています。
写真などではなかなかわかりにくいのですが、当たる光の角度によって光る雲母摺は、一部の出版物にしか用いられない特別贅沢な摺でした。蔦重の出版物ではしばしば好んで使われていますので、この摺技法にも注目してまいりましょう。
名跡・瀬川を継いだのは花の井ではなかった!?

瀬川という遊女について、この頃の吉原細見などと照らし合わせてもう少し詳しく見てみましょう。
安永4年3月の蔦重版遊女評判記『急戯花の名寄』に瀬川の名はありません。5代目瀬川の名が初めて確認されるのは、安永4年秋、すなわち蔦重版最初の吉原細見『籬の花』(コラム#7参照)においてです。最高位の遊女8人のうちの末尾に名前があります。
翌年春の蔦屋版吉原細見『名華選』では、上位8人のうち4番目に確認され、上位4人は『青楼美人合姿鏡』の松葉屋冒頭の図に描かれた4人と一致しています。

安永5年(1776)春 版元:蔦屋重三郎 国立国会図書館デジタルコレクションより転載
※赤枠、青線は編集部
そして、安永5年秋の吉原細見『嫦娥農色兒』では、筆頭の松嶌とともに歯抜けのように瀬川の名前が消されています(下図)。実際のところ、身請けされたのが安永4年の暮れだったので、翌年秋の細見では消されたものの、『名華選』や『青楼美人合姿鏡』では瀬川の名を消すことが間に合わなかった、あるいはこの名妓の名をしばし残しておきたかったのかもしれません。

安永5年(1776)秋 板元:鱗形屋孫兵衛 花咲一男編 『安永期細見集』(昭和57年刊)より転載
※赤枠、青線は編集部
ちなみにドラマでは、5代目瀬川を継いだ花の井は一人前の花魁という設定でした。しかし、『名華選』や『嫦娥農色兒』を見ると、花の井の名は部屋持ちでもない下位の遊女たちの中にあります(上図青線)。ですから、これに関しては脚本家の森下佳子先生の創作でしょう。
『青楼美人合姿鏡』「員外」の巻で、瀬川は、「きのふこそとしは暮しかと詠る遠山のながめにも心かよひて」として「うくひすや寝ぬ眼を覚す朝朗」の発句を残しています(下図)。

※赤枠は編集部
昨日旧年が終わり、遠山の眺めにしみじみとした思いを重ね、うとうとしていた明け方に鶯の声にハッとして目を覚ましたことを詠んだ*この句は、もちろんこの絵本のために前もって詠まれたものでしょう。このときすでに鳥山検校の身請け話は進んでいたのでしょうか。そうだとすれば、ことさらにこの年の暮れは感慨深いものであったでしょう。
*句の解釈については、当リレーコラムの執筆者でもある小林ふみ子さんのご指導をいただきました。
『青楼美人合姿鏡』に先行! 鈴木春信『絵本青楼美人合』とは
『青楼美人合姿鏡』は、奥付(出版日や版元名が書かれた巻末の記載)により当代人気の浮世絵師北尾重政(1739〜1820)と勝川春章(1743〜92)が手がけたことは明らかです。ただ、どの絵が重政でどこが春章の手になるものか、にわかに判然とするものではありません。むしろ均質で統一感のある美しさと描き方、場面によって優劣があると感じさせないような作りになっています。
美術書風に解説するならば、これはみな重政風美人画様式で描かれているということになります。強いて言うと、春と秋が重政、夏と冬、員外が春章と判断されてはいますが、もともと区別されることを意図した表現ではありません。
浮世絵のいわゆる「美人画」とは、その時代時代で最も美しいとイメージされる理想型で表現されました。ただ春章は、役者を似顔で描くことで人気を得た浮世絵師です。やろうと思えば遊女を似顔で描く技量も十分あったことでしょう。
しかし、この作品は個性を描く似顔ではなく、鑑賞者の気持ちが入りやすい人形のように統一された、安永期美人画の一典型である“重政スタイル”で描かれているのです。多くの人が好む客観的な美人像、それは薄利多売の世界で持続してきた浮世絵版画界では普通のことでもありました。

左から、北尾重政(橋本淳)、勝川春章(前野朋哉)、蔦谷重三郎
ちなみに近年の研究では、重政と春章は日本橋長谷川町の道を挟んだ「お向かいさん」だったそうです。春章の生年も1726年から1743年に訂正されており、ドラマで描かれた、“年長の”重政を先輩として親しげに連れ立って歩くシーンなどは、最新の研究成果を取り入れているなと感じました。
この豪華な彩色摺絵本の出版に際して意識された先行作として、3年半ほど前の明和7年(1770)6月刊、鈴木春信の絵による『絵本青楼美人合』という彩色摺の絵本が知られています。
江戸町一丁目、二丁目、角町、京町一丁目、二丁目という吉原五町が一冊ずつに割り振られた5冊セットの絵本で、半丁(1ページ)に1人、総勢166人の遊女の姿絵が、彼女たちが詠んだ発句を添えて描かれています。やはり吉原側からの入銀による出版と考えられます。
序文は、江戸座俳諧古座流の宗匠笠屋左簾で、一説に吉原三浦屋の主人とも言われています。ただ、この頃主な遊女屋に三浦屋はなく、隠居していたのでしょうか。


国立国会図書館デジタルコレクションより転載
奥付には「江戸書林賣(売)所」とあり、3人の名前が記されています(上図左)。
日本橋通油町の丸屋甚八は春信の錦絵などを手がけていた版元。駿河町の舟木嘉助は、明和5年(1768)に鱗形屋孫兵衛(演:片岡愛之助)とともに春信挿図の『吉原大全』(5冊)を出したことが知られています。
そして「吉原本屋」とある小泉忠五郎は、この年の春の吉原細見『目明千人』を出版したその人であり、その後も鱗形屋や蔦重と組んで細見の発行に関わっています。蔦重時代には浅草に移っているのですが、ドラマでは吉原細見の改を巡る憎まれ役(演:芹澤興人)として出演がありましたね。
このような吉原関係の出版では、忠五郎や蔦重のような吉原に通じた人物と、『絵本青楼美人合』における丸屋甚八や『青楼美人合姿鏡』における山崎屋のように、日本橋周辺の実績ある版元がうまく協働することが、江戸市中に本を売り出すための前提であったことがわかります。
さて、ドラマ最後に見せた意味深な鶴屋喜右衛門(演:風間俊介)の表情、はたして『青楼美人合姿鏡』はヒットするのでしょうか。
参考文献:
『大田南畝全集』第11巻 1988年 岩波書店
神谷勝広「勝川春章伝記小考」『浮世絵芸術』173巻 2017年 国際浮世絵学会
元・千葉市美術館副館長、国際浮世絵学会常任理事。浮世絵史を研究している。学習院大学大学院人文科学研究科博士前期課修了。2018年に第11回国際浮世絵学会 学会賞、2024年に『サムライ、浮世絵師になる! 鳥文斎栄之展』図録で第36回國華賞など受賞歴多数。著書・論文に『浮世絵のことば案内』(小学館)、『浮世絵バイリンガルガイド』(小学館)、『もっと知りたい 蔦屋重三郎』(東京美術)など。