3月31日(月)にスタートする連続テレビ小説「あんぱん」は、戦前・戦中・戦後と激動の時代を生きたヒロイン・朝田のぶ(今田美桜)と、彼女の夫になるやなたかし(北村匠海)が織りなしていく“愛と勇気”の物語だ。

アンパンマンを生み出した漫画家・やなせたかしと妻の小松のぶをモデルに物語を大胆に再構成し、フィクションとして描いたオリジナル作品である。この波乱万丈な物語を紡ぐうえで、大事にされていることは何か。作者である脚本家・中園ミホに話を聞いた。

関連記事:朝ドラ「あんぱん」 作・中園ミホ インタビュー<後編>


2回目の連続テレビ小説執筆。依頼を受けたときの率直な気持ちは……

――2014年放送の「花子とアン」に続く“朝ドラ”執筆ということで、2回目だからこその意気込みや、朝ドラへの思いは?

実は「花子とアン」は初めての朝ドラ執筆ということもあり、本当に大変でした。私はあまり筆が速いほうでは……、いえ、はっきり言うとかなり遅くて、ひたすら毎日「朝、起きたら書かなきゃいけない」という状況でした。

スタッフやキャストの支えもあって、「花子とアン」は、多くの視聴者にお楽しみいただけたと思いますが、「次に朝ドラ書くとしたら?」と聞かれるたびに、「もう2度と嫌です」って周りにも言って歩いていたくらいです(笑)。

ただ、私は子どものころに、やなせたかしさんと文通していたことがあって、最近いろんなところで戦争が起きて、「こういう今の世の中を見て、やなせさんはどんなことを思われるだろう?」と、この数年間、やなせさんのことをよく考えていたんですね。

そんなタイミングで「もう一度、朝ドラを」と声をかけていただいたので、「やなせさんをモデルにした作品なら、やろう」と、覚悟を決めました。

――やなせたかしさんと文通されていたことについて、少し教えていただけますか?

やなせさんとは、今思うと、本当に不思議なご縁があって。私は10歳のときに大好きな父親を亡くして、とてもつらかったんですけれど、そのとき母が、やなせさんの『愛する歌』という詩集を買ってきてくれたんです。その中のひとつに「たったひとりで生まれてきて たったひとりで死んでいく 人間なんてさびしいね 人間なんておかしいね」という詩がありました。

結構索漠とした内容でもあるのですが、それが一番つらい時期の寂しい私には「みんな幸せそうに見えても、ひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいくんだな」と思えて、逆に気持ちが救われたんですよね。それで、やなせさんにお手紙を書いたら、当時の郵便事情を考えると信じられないくらい早く、わずか数日で返事をいただいて。そこから14歳か15歳くらいまで頻繁に文通をしていました。やなせさんが主催された音楽会にも呼んでいただいて、ご本人にも何度かお会いしているんです。

その後も、やなせさんからお手紙をいただいていたんですけれど、私、失礼ながらそのまま返事を出さずに、なんとなくフェードアウトしてしまったんですよ。
それが19歳のとき、代々木の交差点を歩いていたら、向こうからやなせさんが歩いていらしたんです。

――偶然の再会、ドラマのようですね。

そのときは、私の母が病気で、あまり長く生きられない状態で、家で寝ていたのですが、それをお伝えしたら、やなせさんは昔、母にも何回か会っているので、電話をかけて、母を励ましてくださいました。

なんだか不思議だな、と思いました。父の死のときも救われたし、母がいちばん苦しいときも……。母もすごく喜んでいました、家に帰ったら。そこでまた、ちゃんとお手紙を書けばいいのに、やっぱり母の死というのは私にとってすごく大きいことだったので、そのまま、また疎遠になってしまったんです。

ただ一方的に、子どもが生まれれば「アンパンマン」にハマっていたし、やなせさんとお会いしたいなと思いながらも、自分の忙しさに時間が過ぎてしまいました。


強く心に残る、やなせさんとの交流

――やなせさんと実際に会われていたことで、どんな印象をお持ちですか?

子どものころに会うと、必ず「おなかいてない?」と聞かれていたんですよ。それは、やなせさんが戦地で餓死寸前まで追いつめられて、一番つらいのは空腹、飢えることだという思いがあったからなんです。

出てきた手紙を読み返してみたら、うちは母子家庭だったので、生活の心配までしてくださっているんですよ。「今、いろんなものが値上がりしているけど、大丈夫ですか?」みたいなことが書いてあって。本当に心優しい方だなと思いました。

――その印象は、ドラマの中の柳井嵩にも反映されていますか?

そうですね、やなせさんを思い浮かべて書いているので。ファーストシーンで北村匠海さんが嵩を演じていらっしゃる映像を見て、私、ちょっとゾクッとしたんです。本当に似ていて、というか、やなせさんが乗り移ったみたいで、びっくりしました。本当に、あんな感じの方でした。

やなせさんって、当時10歳の小学生だった私にも愚痴をこぼしたりする方で、いただいた手紙を読むと「またお金にならない仕事を引き受けてしまって……。こんなに忙しくしているけれど、お金はもらえませんでした」みたいなことを書いているんですよ。

ご自身の著書にもお書きになっているように、ちょっとヘナチョコなところがあるんですよね。だからこそ、アンパンマンのような、スーパーヒーローではないけれど、とても魅力的なキャラクターが生まれたのだと思うし、繊細で美しい作品をたくさん作られたのだろうと思うんです。

だから、私はやなせさんと暢さんのことをもっと皆さんに知ってほしい。そういう気持ちで書いているので、やなせさんの言葉や暢さんとのエピソードは、ドラマの中にたくさん散りばめています。

――ドラマの中にも、やなせさんの詩や歌詞で使われた“名言”が、登場していますね。

やなせさんの言葉は、やなせさんの人柄そのものなので、一言でも多く皆さんに伝えたいと思っています。見ていただくとわかると思いますが、嵩の伯父のひろし(竹野内豊)のセリフや、パン職人の草吉そうきち(阿部サダヲ)のセリフにも出てきます。やなせたかしは、漫画家であり、絵本作家であり、詩人です。そのクリエイティブな世界を、できるだけ脚本で表現したいと思っています。

――名言のほかにも、いろんな作品が織り込まれていくのでしょうか?

はい、そのつもりです。漫画以外に、やなせさんの絵本にもたくさんの名作があります。それはやっぱりやなせさんの体験、戦争での体験から生まれたもの。だからこそ、やなせさんをモデルにしてドラマを描くということは、戦争を真正面から描かなればならない、という気持ちで取り組んでいます。


ヒロイン・のぶを、嵩の幼なじみにした理由は

――やなせさんの奥様の暢さんとお会いになったことは?

お会いしたことはありません。暢さんをモデルに描くにあたって、一生懸命取材したんですけれど、お仕事の場で会ったことのある方があまりいらっしゃらなくて。でも、やなせさんが仕事をやりやすいように、とにかく最大の理解者であり、圧倒的な応援団だったと思います。アンパンマンが売れなかった時代にも、ずっと「あれは、いい物語だ」と言い続けたのが暢さんだとお聞きしたので。

――暢さんがどんな女性だと考えて、ヒロイン・のぶの人物像を作っていきましたか?

いくつかエピソードが残っていて、例えば、やなせさんと暢さんは高知新聞社で出会うのですが、先に暢さんが上京して「先に行ってるからね」って、やなせさんを東京に呼ぶんですよね。

朝ドラでしっかりものの奥さんの話をやるときには「支えた」という言葉が出ると思うんですけど、そんなエピソードを聞くと、そうじゃなく、むしろ「引っ張り上げた」「ぐいぐい背中を押した」みたいな感じでしょうか。そういう夫をリードしていった奥さんだな、と思いました。そういう強い女の人を書くのが私は好きなので、とても楽しく書いています。

――劇中で、嵩とのぶが子ども時代に出会っているという設定は、中園さんのほうで?

そこは、オリジナルです。やなせさんの書いたものを読むと、子どものころのことは、弟さんとの思い出はたくさんあるけれど、それ以外のことはあまり覚えていないそうです。ただ、女の子と遊んでいた、という話が何か所か出てきます。私がお会いしたときにも、そういう話をされていて「僕は、女の子の友だちと遊ぶような男の子だった」と言われたのが、印象に残っていました。

そのころ、私はショートカットであまり女の子っぽい感じではなかったのですが、「その子は、ミホちゃんみたいなボーイッシュな子だった」とおっしゃっていて。だったら、その子が暢さんだったらどうだろう? そうだといいな、と考えて物語を作りました。

――のぶを演じる今田美桜さんの印象は?

今田美桜さんとは「Doctor-X」でもご一緒しているので、魅力的な女優であることはよく知っているのですが、最終オーディションでの演技がとてもすばらしかったんです。本当に多くの、錚々そうそうたる方たちがオーディションに参加してくださって、もう選べないぐらいだったのですが、その中でも、今田さんはひときわ輝いていました。他の監督やスタッフたちも今田さんを推したので、満場一致で決まりました。

ヒロインに決まった後に気がついたんですけれど、暢さんはドキンちゃんのモデルと言われていて、今田さんとドキンちゃんのイラストを並べてみたら、そっくりだったんですよ! 何だか眉毛の形まで似ていて、「そういう運命だったんだな」と、そのときに思いました。

――「あんぱん」という物語を通して、視聴者の方に伝えたいことですとか、こういうところを楽しんでほしい、というところは?

私、番組を見た方が朝から元気になってほしいと思って毎日書いているんです。一日の始まりの空気を決めていくようなものじゃないですか、朝ドラって。とはいえ、やなせさんと暢さんの人生をたどっていくと、いいことばかりではなく、本当に山あり谷あり、大切な人との別れもたくさん経験します。

そこはちゃんと、事実に基づいて別れも書いていますけど、それでも楽しい場面は思いっきり楽しく、明るく見ていただけるように、と思って書いてます。そういう人生の紆余うよきょくせつがあったからこそ、やなせさんは美しく楽しい詩やメルヘンを紡ぐことができたんだ、ということを知ってほしいなと思っています。

一言で言ってしまうと、やなせさんの作品のように“愛と勇気”が伝わるといいなと。楽な人生はないけれど、そこに愛と勇気があれば乗り越えていける、ということが、伝わればうれしいです。