あふれる情報の中で生きる私たちは、多様な情報をバランス良くうけとることができているでしょうか。目の前にある情報は、あなた自身が選んだものですか。

NHK財団が主催する「第2回インフォメーション・ヘルスAWARD」では、情報空間の課題の解決方法、一人ひとりが望む「情報的健康(インフォメーション・ヘルス)」を実現するためのアイデアを募集しています(詳しくはNHK財団の公式サイトをご覧ください)。

東京大学大学院工学系研究科教授の鳥海不二夫さんは、システム創生学が専門。慶応義塾大学教授・山本龍彦さんと共に「情報的健康」という概念を提言し、ネット空間で起きるさまざまな課題や弊害の分析と対策に取り組んでいます。インフォメーション・ヘルスAWARDの選考委員でもあります。

加速するデジタル情報化社会と、人類はどのように折り合いをつけていくのか。最先端の研究者が考える近未来の姿を聞きました。


「SNSやプラットフォームなどを運営する巨大IT企業が社会インフラを事実上支配するようになり、国家の支配に対抗する力を持つにいたった」(鳥海不二夫教授)

ネットサービスを民間企業が運営することでインフラの公共性が揺らいでいる

——最新のネット空間の動向についてどんな関心を持ってご覧になっていますか?

昔から社会に何らかの変革が起きると、当然新しいリスクが生まれて、人間はそれに対応するという歴史が繰り返されてきました。

デジタル情報化社会についても、フェイクニュースに代表されるミスインフォメーション(誤情報)ディスインフォメーション(にせ情報)やぼう中傷ちゅうしょう、さらには社会の分断などのリスクが認識され対応を迫られています。

中でも特に注目しているのが、SNSやプラットフォームなどを運営するビッグテック(世界で支配的な影響力をもつ巨大IT企業)が社会インフラを事実上支配するようになり、これまでの国家の支配に対抗する力を持つに至ったことです。

私たちは民主主義国家のもとで「公共」という概念で社会のルールを作ってきました。そしてプラットフォーマーも同じ価値観で一種のきょうを持って運営されていました。しかし最近は民間の一企業であるビッグテックの判断が優先される場面が目立ち、公共性がらぎ始めています。

社会の分断が進む中でプラットフォーマーもそれに巻き込まれていますし、国をまたいだサービスの運営方針が自国の考え方と違った場合に、プラットフォーマーと国のどちらが強権を発動するかという問題も起きています。

今年8月末にブラジルで起きたX(旧Twitter)の利用禁止などはその典型です。ビッグテックと国の対立によって、SNSという社会インフラが突然使えなくなるという新たなリスクがけんざい化したのです。 
※その後Xがブラジル側の要請を受け入れたため、10月8日に最高裁判所がサービスの再開を認めた。(下記リンク参照)   

【参考】NHKニュース「ブラジル最高裁がXの国内での全サービス停止を命令」「ブラジル SNSのXサービス停止 前政権側が批判も 賛否分かれる 」
X ブラジル最高裁にアクセス遮断措置解除求める 規制に応じる | NHK | ブラジル」「ブラジル最高裁判所 Xのサービス再開を認める決定 | NHK | ブラジル」※ステラnetを離れます                             


日本の自治体の災害情報サービスも深刻な影響を受けていた

——イーロン・マスク氏がトランプ陣営に参画する動きもありますね。

【参考】NHKニュース「米トランプ前大統領 “マスク氏が望むのであれば要職に起用”」 (※ステラnetを離れます) 

SNSのサービス停止が公共的な仕組みに深刻な影響を与えることは実際に日本でも起きています。各地の自治体はTwitterを使って災害情報を住民から集めたり伝えたりするサービスをしていました。ところが去年(2023年)6月にTwitterからXになった際、経営者の方針が変わり、それまで無料だった情報受け渡しの機能が突然大幅に制限され、有料サービスに変わってしまいました。

【参考】NHKニュース「Twitterの救助要請 Xでは偽情報が増加 特務機関「NERV」は自社開発アプリに注力」(※ステラnetを離れます)

そのため災害情報のサービスをやむなく停止する自治体が相次ぎました。しばらくして以前と同様に使えるようになったものもありますが、SNSやプラットフォームという社会のインフラが、実際には一企業のサービスであることのリスクが明らかになったケースでした。  

SNSやプラットフォームは中立的・客観的な公共インフラと考えて、そこで起きる問題を社会全体で解決していこうとしてきたのですが、経営者の思想やじゅん追求の判断によって運営方針が突然変更されることがひんぱんに起きて、インフラがビッグテックに支配される影響が、より一層深刻なリスクとして顕在化しています。


人類にとって「ネットの情報空間」という文明は早すぎたのかもしれない

要するに偽情報・誤情報も誹謗中傷も解決していないのに、事態をさらに深刻化・加速化する課題が追加されたわけで、人類にとって「ネットの情報空間」はまだ早すぎる文明だったのかもしれません。

ですが、既に始まってしまっているので何とかしていかなければならない。偽情報・誤情報を発見すればそれでいいということではおそらくないでしょうし、オリジネータープロファイル(コンテンツが転用されても元の発信者情報が確認できる技術)の仕組みで全てが解決するわけでもありません。

【参考】NHKニュース「ネット上の記事や広告などに発信者の情報を付与する技術」/総務省公式サイト「オリジネータープロファイルの概要説明資料」( ※ステラnetを離れます)

「情報的健康」の宣言にも書いていますがこの問題に特効薬はなく、パーフェクトな解決策はおそらく存在しないので、「情報空間」が最悪の状態に落ち込まず、少しでもマシな方向に進むように、社会として受け入れることができる「落としどころ」を探りながら動いていくしかないと感じています。

【参考】共同提⾔「健全な⾔論プラットフォームに向けて ver2.0―情報的健康を、実装へ」(※ステラnetを離れます)

そしてその「落としどころ」というのは、今の私たちの常識からかけ離れたものになる可能性もあるのではないでしょうか。かなり極端な言い方になりますが、例えば、「誹謗中傷」を完全に無くすことはできないから我慢して、みんなで無視しましょう、という対応になるかもしれない。

もちろん「誹謗中傷」を肯定するのでは決してありませんが、何が、そしてどこまでが社会としての許容範囲かを考えて、少しでもましな落としどころに持っていく努力が必要だと思っています。

第1回インフォメーション・ヘルスAWARDシンポジウム(2024年4月2日開催)より。

「ネットの情報空間」のコントロール権を個々人に取り戻したい

——「落としどころ」を少しでも良いものにするために、どのような道筋があり得ると考えていますか?

重要だと思っているのは、情報空間のコントロール権を自分たちが持つということです。今は、ネットでどのような情報を見るのかについては、基本的にプラットフォーマーにコントロールされていて、我々の自由度はかなり制限されています。アテンションエコノミーの中で彼らの利益追求に合わせて操作されているわけで、それを断ち切って情報のコントロール権を自分たちに取り戻す仕組みが必要です。

例えばレコメンドシステム(検索れきなどを分析して興味関心のある情報をすいせんするシステム)は、プラットフォーマーが利益の最大化を目指してアルゴリズムを組んでいますが、全部それでいいのか、ということです。ユーザー側で何らかの設定をすることでレコメンドの調整を自分でできるようにするというのもあるでしょう。

さらに、レコメンドシステムとプラットフォーマーを完全に分離するという考え方もあります。レコメンドシステムを設計する企業がプラットフォーマーから独立して何社か存在し、そこで競争が行われて、ユーザー側は自分にあったレコメンドシステムを選ぶことができる。さらにプラットフォーマーごとに違ったレコメンドシステムを使うこともできるような選択権を持つ、ということです。

他にも例えばパーソナルAIのようなものはどうでしょう? ネットにつないでいる時にはドラえもんのようなパーソナルAIが隣にいてくれて、本来自分が望んでいないような方向に行きそうになった時に「それでいいの?」と注意かんしてくれるイメージです。

人間は一応賢いので、冷静な時には「これが望ましい」という合理的な判断ができます。しかし刺激たっぷりの情報を次々に投げかけられたりすると、せつ的な判断に流されてしまう。

「食の健康」に当てはめると、健康を維持するためにジャンクフードは控えて栄養バランスのあるものを食べようと心に決めることはできるわけです。でも夜中にお腹がいてついつい食べたくなる。その時「それ、食べていいんだっけ?」と言ってくれるような存在が常に自分の隣にいる。

ネットに繋ぐときも同じように、冷静な時の自分が決めた情報摂取のあり方をドラえもんがささやいてくれる。好きなスポーツ選手のニュースばかり追いかけないで、スポーツ情報に費やす時間はこの程度に抑えておこう、というように自分自身をコントロールできるようにしていくという方法もあると思います。


「情報ドック」で自分の状態を把握し行動変容に繋げる

——自分にぴったりのパーソナルAI(ドラえもん)を持つためには、ネット上の行動履歴などのデータを自分の手に取り戻すことが必要ですね。

自分自身の行動パターンは当然自分のものですので、そのデータも本来は自分自身に属するべきです。プラットフォーマーに吸い取られるのを止めるのは難しいですが、それと別に手元に自分のデータセットを作って持っておくことは今の技術でできます。

ただ、それを使って自分にとって望ましい情報環境に変えていく、つまり行動変容に繋げることができるようにしなければなりません。

その一つの方法として提案しているのが「情報ドック」です。病院で体の健康診断や人間ドックを受けるように、自分自身の情報行動を診断することができる「情報ドック」のサービスがあれば、どこに問題や課題があるかがわかり「情報的健康」に近づけることができるはずです。

しかし人間は基本的に面倒くさがりなので、自分の情報行動をいちいちチェックしなければならないというのは嫌なんですね。体の健康診断だって学校や会社から言われなければなかなか受けに行かないものです。それでも社会のルールとして定着しているので多くの人が従うわけです。

同じように「情報ドック」も誰もが受診できるサービスとして提供されるようになるべきだと思っています。

これは、公衆衛生的な考え方ともいえるかもしれません。伝染病を予防するワクチンを注射するように、パソコンにウイルス対策ソフトを入れるのは今や常識ですよね。自分の身を守るだけでなく組織にも迷惑をかけないために、企業ではソフトを入れないとネットに繋がせません、と言い切ることができるわけです。

これと同じように「少なくとも業務中はいんぼう論が多い情報サイトへのアクセスを制限する」ことや、人間ドックと同様「偏った情報にばかり接していないか、偽情報・誤情報を拡散していないか」などをチェックできる「情報ドック」を受信させる、などの情報的健康を実現するための支援をすることが考えられると思います。

そういう公衆衛生的な意味で、社会が混乱してしまわないようにルールを決めていくことはできるのではないかと考えています。

個人の権利や自由を損なわないように、しかも個人の負担にならないようにしながら、例えば「情報ドック」を皆が受診することで、よりよい社会に繋げていく。そうした対策を社会全体で進めようというコンセンサスができて、具体的にサービスを提供する体制を整えていくことが大切です。


AWARDに新設された「社会実装部門」に期待したい

——インフォメーション・ヘルスAWARDへの応募を考えている方々にメッセージをお願いします。

今回から「社会実装部門」ができましたので、そこに非常に期待しています。最初にお話ししたように、「情報空間」が最悪の状態に落ち込まず、少しでもマシな方向に進むようなアイデア。今の制限された状況を一気に打破することは難しくても「ここまでならこれから数年で実現できる」というような応募作を見たいです。

私たちの「情報的健康」の宣言でいくつかアイデアを出していますが、まだ実現できていないものもありますので、その社会実装への道筋を付けるというのもあると思います。さらに、我々の頭では考えつかなかったようなアイデアで、かつ近いうちに実現できるような素晴らしい提案が出てくるのを楽しみにしています。

(取材・文/NHK財団 インフォメーション・ヘルスAWARD事務局)

「第2回インフォメーション・ヘルスAWARD」は、みなさまのアイデアやプランを募集しています。こちらのサイトからぜひご応募ください(2024年9月末締め切り)。

今年開催された、インフォメーション・ヘルスAWARD 2024の受賞作品などの情報は公式サイトをご覧ください。

また、質問・お問い合わせは、こちらで受け付けています。