あふれる情報の中で生きる私たちは、多様な情報をバランス良くうけとることができているでしょうか。目の前にある情報は、あなた自身が選んだものですか。

NHK財団が主催する「第2回インフォメーション・ヘルスAWARD」では、情報空間の課題の解決方法、一人ひとりが望む「情報的健康(インフォメーション・ヘルス)」を実現するためのアイデアを募集しています(詳しくは財団の公式サイトをご覧ください)。


慶應義塾大学教授の山本龍彦さんは憲法学が専門。「情報的健康」という概念を提言し、アテンションエコノミー*1によって起きる様々な課題や弊害の解決に向けた取り組みをけん引してきました。学問領域を超えた研究者たちとともに、ネット事業者や政府などに対策を促しています。

情報空間の最新事情や表現の自由との関係、AWARDに期待することを聞きました。

*1 アテンションエコノミーって何? 「クリック命」のネット世界」を参照。

「目の前に提示される情報がどのように選ばれているのかわからないまま、私たちはアテンションエコノミーに巻き込まれている」(山本教授)

ネットを流れる情報に規制をかけるのは「表現の自由」を損なうことにならないか?

——アテンションエコノミーによって起きる情報空間の課題や弊害に対応するため、プラットフォーム事業者などに一定の規制をかけることは、憲法が保障する「表現の自由」を損なうことにつながるのではと懸念する声がありますが。

憲法学は伝統的に「思想の自由市場」という考え方を重視してきました。思想・意見・主張・情報などの優劣は、自由競争的な市場の中で決まっていくべきで、政府がその優劣の判定者になってはいけない。有害な言論や偽情報があったとしても、自由なマーケットに任せておけば自然とうされていくはず、という考え方です。

そこには「検閲」の歴史があります。政府・国家が介入して思想や情報の良い悪いを決めていくと、時の政権にとって都合の悪いものは「悪い」というレッテルを貼られて排除されるおそれがあります。「表現の自由」をめぐっては、権力側の「検閲」によって弾圧される歴史が繰り返されてきました。もちろん現在も、国家によって情報が操作されたり検閲されたりしないように引き続き警戒する必要があります。

一方で、アテンションエコノミーと呼ばれるビジネスモデルの影響を強く受けた現代の情報空間では、民間の巨大プラットフォーム企業がアルゴリズムによるリコメンデーション(検索履歴などを分析して興味関心のある情報を推薦するシステム)を行い、アテンションを得るために情報を選別して個人に送っています。

しかも、その情報選別の仕組みは民間企業の利益に結びついており、決して中立的ではないにもかかわらず、一般人には気づかれにくい。目の前に提示される情報がどのように選別されているのかわからないまま、私たちはアテンションエコノミーの渦の中に巻き込まれている現実があります。

情報空間のゲートキーパー、言いかえれば、コミュニケーションのためのインフラの役割を果たしているプラットフォーム企業によって、ある種の「検閲」がなされていると言ってもいいような事態が起きている。国家による検閲だけでなく、プラットフォーム事業者のアルゴリズムによる情報の選別・操作にも注意を向ける必要があります。


「アテンションエコノミー」という“モンスター”を「国家」というモンスターで制御する

モンスターのように強大な影響力を持つようになったアテンションエコノミーやプラットフォーム事業者を制御しようとする時に、それができるのは現状では国家しかないわけですね。

これまでは「国家=モンスター」でした。強大な権力を持つ国家というモンスターをどのように抑制して私たちの自由を守るかを考えてきたわけです。これが憲法学の伝統でもありました。しかし、AIなど情報技術が飛躍的に発展し、これを使ったアテンションエコノミーやプラットフォーム企業という新しいモンスターが現れた。

そうなると、このモンスターの力をどのように制御し、自由と民主主義を守るのかを考えなければならない。それがデジタル時代を生きる私たちの新たな課題となりつつあるのですが、今のところ、この力に対抗できるのは伝統的なモンスターである国家しかいない。要するに、私たちは、新旧のモンスターをぶつけて自由と民主主義を守るという難しい戦略を取らざるをえない状況に置かれているわけです。

ヨーロッパでは、新たなモンスターとたいするという、政府の新たな役割をふまえて、プラットフォームや検索エンジンの事業者を規制する法律(デジタルサービスアクト*2)がつくられました。

リコメンデーションの透明性などを確保し、情報摂取に対する個人の主体性を高めるとともに、「違法コンテンツ」や「偽情報」などへの対応を、プラットフォーム企業に義務付けるなどの内容の法律で、今年(2024年)からEU加盟国で全面適用されています。

*2  EU DSA法(Digital Services Act)の概観(総務省デジタル空間における情報流通の健全性確保の在り方に関する検討会 ワーキンググループ)を参照。※ステラnetを離れます

国家の力を使ってこんとんとした情報空間を立て直そうというわけですから、もちろん、その機に乗じて国家が再び情報統制や検閲を始めないように最大限注意する必要があります。過剰な規制にならないよう、その仕組みは極めて慎重に設計しなければなりません。


健全な情報空間のためにはユーザーの意識を変えていく必要がある

——今回のパリ五輪では、SNS上での選手や審判への批判やぼう中傷ちゅうしょうにあたるような書き込みが大きな問題になりました。ネットの事業者を規制するだけで情報空間の健全性は保つことができるのでしょうか?

【参考】NHKニュース「パリ五輪 SNSのひぼう中傷や性別めぐる議論などの課題 顕著に」※ステラnetを離れます

規制には限界もあるでしょう。現在の情報空間では、一般のユーザーが、ある意味正義感に基づいて発信した誹謗中傷的な投稿が多くの人のアテンションを得るため、必要以上に、また急速に拡散・増幅してしまう。規制で個別に対応しようとしても限界があると思います。

私たちが「情報的健康=インフォメーション・ヘルス」という考え方を提言した理由の一つは、現在の情報空間の課題に対応するには、やはり一人ひとりの問題意識、リテラシーが大切になるという思いがあります。「情報的健康」の考え方を浸透させることで、送り手に対する規制を強化するというよりも、受け手の側の意識を変え、情報空間における新たな価値をつくっていこうという方向性ですね。規制だけに頼るのではなく、ユーザー自身の行動変容を促し、情報空間のビジネスモデルそのものを変えていくという考え方です。

例えば、一方的な批判や疑わしい情報がリコメンドされてきたときに、「そうだ、そうだ」と鵜呑うのみにしない。たしかにそういった情報は刺激的で、ついついクリックしたりシェアしたりしくなるわけですが、それらを「へんしょく」せずに、さまざまな情報に触れて、立ち止まって考えてみる。また、私たちがスーパーマーケットなどで食品を買うときに、産地や作り手を気にするように、その情報の出所や作り手を気にしてみる。

食べ物を摂取する際に、自身の健康維持のためにバランスや安全性を考えて自ら合理的な選択・判断をするように、情報を摂取する際にも、ユーザーの側がバランスや安全性を考えて合理的な選択・判断を行う。多くの人にこのような意識が生まれれば、情報空間のビジネスモデルそれ自体が大きく変わっていく可能性があります。

こうした「情報的健康」のアイデアは、情報を削除する(=引き算)というよりも、ユーザーの側がさまざまな情報に接すること(=足し算)を重視するものです。「食べない」という引き算のダイエットだけでなく、主菜、肉、魚、野菜、というように、安全なものをバランスよく「食べる」という足し算のダイエットもありますね。


「食育」とのアナロジーで「情報的健康」を考えたい

——「情報的健康」という考え方をユーザーが理解して合理的に判断していくと言っても、人間の本性としては刺激的なものがやってくれば反応してしまうわけで、アテンションエコノミーが支配している情報空間では、なかなか難しいことですね。

「情報的健康」は「食品の健康」「食育」とのアナロジー(類推)で考えることができると思います。私たちはこう性の高い食べ物が目の前にあると、本能的になかなかそれに抗うことは難しいわけです。しかし、例えば夜中にカップラーメンが食べたくなった時に、「食育」で身につけたリテラシーによって「今日は我慢しようかな」と思うようにもなる。ある種の後ろめたさを感じて、本能的な食欲を抑えることができるわけですね。

また、今では、食品偽装をしたり、消費者の健康を害する食品を提供したりした事業者は市場でとうされます。食の安全性だとか栄養バランスというものが社会全体の共通認識になって、市場を動かしていく仕組みができあがっているわけです。

それと同じ仕組みやプロセスを情報空間でも作っていきたい。そのためのコンセプトが「情報的健康」です。

ただ「情報」は「食」と違ってその影響が直感的にわかりにくい。栄養バランスに欠けた食事ばかりをっていれば、太ってきたり、病気になったりしますよね。でも「情報」の場合は、刺激的な情報ばかりを偏食したり、信頼性・安全性の低い情報を食べても、太ったり、身体的に不調をきたすことはない。「情報的不健康」のエビデンス(証拠)が見えにくいわけです。

ですので、例えば「フィルターバブル(見たい情報だけが表示される、 “泡”の中にいるような状態)」だとか「エコーチェンバー(自分と同じ意見だけが繰り返し表示される反響室のような状態)」になっている時に、私たちの脳の機能や精神構造がどのように変化しているのかを「脳神経科学」や「社会心理学」から解明する、ということも重要になるでしょう。領域横断的な研究を通して、客観的な指標を探っていく必要があります。

また、多様な情報に触れなくなることでセレンディピティ(素敵な偶然の出会いや発見)など重要な機会を失ってしまうという損失を、「経済学的に見積もる」という作業も必要になるでしょう。このような研究が、今後ますます重要になってくると思います。

アテンションエコノミーの行きすぎが社会的に問題であるという認識はある程度広がりつつありますが、それが一人ひとりの個人にとってどのような悪影響があるのかということについて、学問領域の横断的な研究によってきちんとエビデンスを示して説明していくことが大切だと考えています。


人間の欲望を食べて大きくなる怪物=アテンションエコノミー 乗り越えるパラダイムシフトを!

——AWARDではアテンションエコノミーを乗り越える、その先に繋がるアイデアを期待したいですね

今回のパリ五輪は、世界的にアテンションエコノミーが加速する中での初めての五輪だったので、多くの選手たちがその犠牲になってしまったように感じます。今後、これまでお話したような課題認識が社会に広く共有されていけば、市場も変容し、情報空間も再構築されていくのではないでしょうか。

アテンションエコノミーは人間の本性のネガティブな面を肥大化してしまいます。情報空間には罵詈ばり雑言ぞうごんや金もうけのための偽誤情報が溢れる。アテンション・エコノミーというビジネスモデルは、人間が人間を嫌いになってしまう、人間不信を増大させる仕組みなのではないかと感じています。

人間不信になれば、価値観が異なる者同士が議論することを前提にした「民主主義」も成り立ちません。アテンションエコノミーは人間の本性、人間の欲望を食べて大きくなる、なかなか手ごわい怪物です。民主主義社会における「ラスボス」と言ってもいいかもしれません。

AWARDに応募していただく方々には、こうした現実をまずしっかり考えていただきたい。すぐにアイデアが出てこなかったとしてもこの問題に触れ、考えていただくことが重要です。アテンションエコノミーに支配されている情報空間を再構築する=パラダイムシフトを起こすのは、特に若い世代の方々だろうと思っています。AWARDへの応募が「食の安全」と同じように「情報の安全」という「文化」や「社会規範」を作っていくきっかけになることを期待したいと思います。


(取材・文/NHK財団 インフォメーション・ヘルスAWARD事務局)

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