ごみ収集から見えてきた社会(前編)滝沢秀一(芸人・ごみ収集員)の画像
1998(平成10)年にお笑い芸人としてデビューしたあと、2012年から生計を立てるためにごみ収集会社に就職したたきざわしゅういちさん(44歳)。
今でも、芸人とごみ収集員という二足のわらじを履きながら、ごみに関わる社会課題などをユーモラスに語って活動の幅を広げています。そんな滝沢さんにごみ収集員としての苦労や今後の夢をうかがいました。
聞き手 高村麻代

妻の妊娠がきっかけでごみ収集員に

——最近はさまざまなメディアに出ていらっしゃいますが、ごみ収集のお仕事の割合はどのようになっていますか。

滝沢 以前は週5日入っていましたが、最近は取材とかもあるので、週2、3日くらいですね。ただ、芸人の仕事でもごみのことばかり聞かれるので、ごみに携わっていない時間はないような感じですね。

——もともとは相方の西にしほりりょうさんとともにマシンガンズというお笑いコンビでデビューされました。ごみ収集に関わるようになったいきさつを聞かせてください。

滝沢 デビュー後9年目くらいから、少しずつテレビの仕事をいただけるようになったんですが、よく出演していた番組が終了すると仕事もなくなっていきました。そのタイミングで妊娠した妻から、半分脅されるような形で金を持ってこいと言われまして(笑)アルバイトでもしようかと思ったんです。

ところが、どこに電話しても面接すら受けられないんですよ。そのとき36歳だったんですが、35歳を超えたらアルバイトもなくなるんだって驚きました。もう芸人を廃業しようかと思っていたときに、同じく芸人をやっていた友人の口利きで始めたのがごみ収集員だったんですね。もう、どんな仕事でもいいみたいな感じ。

ごみに対して何か思いがあるとか、環境問題がどうだとかでなったわけじゃなくて、とりあえず働ければ何でもいいやってところから始めました。

——芸人をしながらできるお仕事っていうところもあったんですか。

滝沢 そうなんです。居酒屋とかカラオケ店とかは、ときどき芸人の仕事で休ませてもらいますみたいなことを言うと、だいたい落とされたんです。でも、ごみ収集は前もって言ってくれればいいよみたいに言ってもらえるので、ダブルワークをする人が結構います。スポーツの大会を中心に生活している人や、舞台俳優さんとかもいらっしゃいますね。

——ごみ収集員がどんな仕事内容なのか、具体的にイメージはされてましたか。

滝沢 全くないです。ごみ収集車は毎日見ていましたが、集積所からごみ袋を車に入れている、くらいのイメージしかなかったんですね。ごみ収集車を満杯にしたら1日の仕事は終わりかと思っていたら、実際は1回収集してごみを下ろしたらまた現場に戻るっていうのを6回くらいやるんですよ。収集車1台で大体2トンくらい積めるので、1日におよそ12トンのごみを回収するんですね。そのごみ収集車が地域に何十台ってあるんで、それだけごみが出てるということを、ごみ収集員になって初めて知ったんです。

——他にも実際に作業をするうえで、イメージと違ったこととか驚きはありましたか。

滝沢 ごみ袋って、中に何が入っているか分からない恐怖心があったりします。例えば、燃えるごみの中に割れた鏡が入っていたりして、つかんだ瞬間に手が血だらけになってしまうこともあるんで、やっぱり皆さんがきちんと分別してくれるとうれしいです。


やりがいを感じたのは3年目から

——ごみ収集員として、いちばん過酷というか大変なのはどういったことですか。

滝沢 季節で違いますね。春は春の大変さ、夏は夏の大変さ、冬は冬の大変さがあります。夏はやっぱり熱中症で、いちばん命の危険があって、実際に倒れる収集員も結構いたりします。水分をとっていても、直射日光に照らされたアスファルトの照り返しの暑さの中では、ただ立っているだけでも息切れします。その中を走ってごみを回収するって大変です。すごいなと思ったのは、ベテラン収集員に教わって梅干しを食べたら、劇的に体力が回復したんです。やっぱり塩分って体に必要なんだって、改めて身をもって分かりました。

冬はもちろん雪ですね。東京なんて結構雪が降ると交通網がまひしますが、チェーンを積んでなかったら、裏道とかは新雪なのでタイヤがはまって動けなくなっちゃうんですよ。そうなると、後ろから収集車を押さなければいけない。あと、前日からペットボトルとか出してたら雪で埋まっちゃっているから、手でかき出して見つけなきゃいけないですね。これがなかなか大変なんです。春は毛虫が出てきて、刺されることとかがあったりします。

——そういった大変なお仕事の中でも、やりがいを感じていらっしゃるんですね。

滝沢 最初は芸人だけでごはんを食べられたらいいのにと嫌々やってたんですけど、3年目くらいのときに本気でごみ収集員をやってみようかなって思うようになったんです。すると見えているものが変わり、やりがいみたいなものが見つけられるようになってきました。

ある日、自分たちが大量のごみを回収し終わったあと、夕日に照らされた空の集積所を見て、「全部俺らが回収したんだぜ」ってベテラン収集員に言われた光景が、すごいきれいだったんですよ。そのときに、そうか日常って当たり前に毎日があるわけではなく、誰かの手で作られているんだと感じました。

——誇りも感じられるようになった。

滝沢 特にコロナ禍になったあとはそうですね。それまでごみ収集員の仕事をしていて、僕らに「いつもご苦労さま」と挨拶してくれるのは集合住宅の管理人さんくらいでした。でもコロナで多くの人が「ごみからコロナがうつるかもしれないからって、収集員の人がごみを持っていってくれなかったら、町じゅうごみだらけになる。ごみ収集は生活に必要で大切な仕事なんだ」と気付いてくださったように思います。今では「ごみを持っていってくれてありがとう」と言われることも増えました。声を掛けられると我々収集員も気持ち的に高ぶるというか、士気が上がりますね。
(後編はこちらから

構成/後藤直子、元田光一
(月刊誌『ラジオ深夜便』2021年9月号より)

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