聞き手 佐治真規子
よき父親で、親友でもあった
——ハリーさんは、認知症への偏見をなくそうと、インターネットなどで情報を発信されていますよね。それはお父様の発症がきっかけだったんですか?
ハリー そうですね。これは僕のこだわりなんですが、認知症を患っている方を表すときに「認知症と向き合ってる」という言葉を使いたいんです。「あの人、認知症だよね」と言うと、偏見や色眼鏡のようなニュアンスを感じてしまうんですよ。
——お父様は『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長をお務めになって、作家の三島由紀夫とも親交があるなど、ジャーナリストとしてものすごく活躍された方ですよね。
ハリー 子どものときからすごく尊敬していましたし、よき父親で、よき親友のような存在だったんですよ。2012(平成24)年ごろに、父が早朝の3時、4時に間違って仕事に行ったり、火の用心がうまくできなかったり、街なかで倒れてしまうようなことがあったんです。でも僕は当初、老いの現れで、プラス怠けてるんじゃないかと思ってました。認知症やパーキンソン病の可能性を完全に否定していたんです。
——その後、お母様とともにお父様の在宅介護をする中で、お父様との関係が壊れかけたことがあったそうですね。
ハリー ありました。当時、僕と母親は全身全霊をかけて父を在宅で介護していたんです。24時間見ていたと言っても過言ではないぐらいに。そうなると自分自身の体調、コンディション、仕事のクオリティーはどんどん低下していくんですよね。
僕の場合、さらに心がダメージを食らってしまって。愛する父親が何もできない、いすから立ち上がれない、自分がどこにいるのかも分からない。そんな現実を受け入れられなかった。「なんでできないの、1人で着替えられないの、そんなに面倒くさがるの」って。
そんなときにいちばんやっちゃいけないのは、怒ることです。怒るのは認知症と向き合う方の生命を削ると考えていただきたいですね。でも、当時の僕は愛するからこそ感情的になり、父親を殴る一歩手前までいったことあったんです。今でも実家の壁にそのときの穴が残っています。
——何がきっかけで変わったんですか。
ハリー その状況を乗り越えられたのは家族以外の人に「助けて」って言えたからです。助けを求めて介護施設に頼ったことで、父親も僕も母親も人間としての感情を取り戻せました。だから在宅介護中の皆さんも、助けが必要なときはためらわずに「助けて」と言ってください。介護施設への入居は死の宣告ではないんです。
介護サービスのスタッフや、役所の相談員など、介護について相談できる人はたくさんいます。相談して助けを得ることは恥ずかしいことじゃない、ということを多くの人に知ってほしいですね。
ハリー杉山さんの父
ヘンリー・スコット・ストークスさん
元気なうちに家族と終活の話を
——お父様の介護の中で、何か気付きはありましたか?
ハリー 今年3月の初めに介護施設から電話がかかってきました。「ちょっとまずいかもしれない」と言われたので母とすっ飛んで行くと、父親の血中酸素濃度がすごく低かったんです。で、救急搬送しなきゃいけないんですが、父親は熱を出していました。熱があると病院は受け入れてくれないんですよ。
——新型コロナに感染しているかもしれない、ということですか。
ハリー そうです。救急車の中で血中酸素濃度が90を切ると、ピコンピコンってアラームが鳴り始めるんです。その間、救急隊の方が「救命救急センターに行けばとりあえず命をつなぐことはできますが、どうしますか」と何度も聞いてきて。だけど救命救急センターで人工呼吸器をつけたら、父はそれを外すことなく天国に行ってしまうと思ったので断りました。結局、翌朝4時半か5時ぐらいだったか、やっと病院に救急入院できたんですけどね。
僕が言いたいのは、どんな終活をしたいのか、人生の最後をどんなふうに送りたいのかをあらかじめ考えてほしいということです。これは年齢に関係なくて、10代から考えてもいい、むしろそうした方がいいと思います。
僕は父親とそういう話をしていませんでした。スーパーヒーローみたいな人だからずっと元気だと思い込んでたんです。でもそういう日は必ず訪れます。元気なときに家族とフランクに「延命治療はどうするのか、胃ろうはするのかしないのか、どんな介護施設にどのタイミングで入るのか」という話ができていれば、いざというときに周りの人は瞬時に判断できます。
あと、「親しい人が認知症になったら会っちゃいけないのかな」って勘違いしている若者もいると思うんですよ。でもそうではないんです。会うことが認知症と向き合う方の精力につながることを、僕は父の目を見ながら、呼吸を聞きながら感じてきました。
(後編はこちらから)
(月刊誌『ラジオ深夜便』2022年9月号より)
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