「介護とは親が命懸けでしてくれる最後の子育て」娘のカメラが見つめた認知症の母と、支えた父の物語(後編)信友直子(映画監督)の画像
©︎2022「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~」製作委員会
映画監督ののぶともなおさん(60歳)は、長年フリーのディレクターとして民放の報道番組で活躍してきました。2018(平成30)年、認知症の母と介護に当たる父のドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』を製作して大ヒットしました。信友さんに、介護時のエピソードや介護を通して感じたことを伺いました。
(前編はこちらから

聞き手 渡邉幹雄

“引きの目”を持つことも必要

——症状が進行すると、お母様のいらだちが募って暴言を吐くこともあったと思うんですが、つらい時期は結構続いたんですか?

信友 認知症の人ってずっと混乱しているわけではないんです。母は暴言を吐くこともあったんですが、それで私が落ち込んで泣いていると、急にふだんどおりに戻って「なんで泣きよるん?」と聞いたりするんです。

そんな母に振り回されないようにするのに、カメラが役に立ちました。カメラを持っていると物事を一歩引いた目線で見られるんです。すると両親のやり取りが“ぼけたおばあさんと耳の遠いおじいさんのコント”に見えて、笑えることもあって。娘としてだけで寄り添うとどんどん巻き込まれがちなので、“引きの目”を持つのも大切だと思います。

——大変な中で救いになったのがお父様の存在です。結構お父様はかっこいいですよね。

信友 ですね。父は、母の病気を「これも運命よ」と言ってすごく達観していたんですよね。母が「なんで私は掃除もできんようになったんじゃろう」と嘆くと、父は「病気じゃけんしょうがないんよ。信友家は一軒しかないんじゃけん、あんたが掃除してもわしが掃除しても一緒よ」と。

母が「あれもこれも忘れた」と嘆いたら、父が「これは忘れちゃいけんと思うたらすぐわしに言いんさい、覚えとってやるけん。で、分からんようなったら聞きにきんさい、覚えとる中から教えてやるけん。そうやって二人のどっちかが覚えときゃええんじゃけん」と答えます。すると母も「それじゃあお父さんに全部言うけん、覚えとってね」とお願いするんです。

父は、どこかで勉強したわけでもないと思うんですけど、母の気分が楽になるような声かけができていたのはすごかったなと思いますね。

——2018年にお母様は脳梗塞で倒れます。映画の続編では、お母様の闘病を支えるお父様の活躍が目立ちましたね。

信友 認知症だけのときは母を撮っていて笑えることもあったんですけど、脳梗塞で倒れてからは弱っていく一方で、母を撮るのがすごくつらかったんですね。そういう私のつらい気持ちを察してか、父がどんどん明るくユーモラスになってくれたので、父を撮ることで私も気持ちが楽になりました。

介護は親の最後の子育て

——お母様が認知症になったことで、信友さんもいろんな発見をなさったんですね。

信友 そうですね。母が認知症にならなければ、父があんなに母のために身を粉にして家事や介護をするいい夫だということに気が付かなかったと思います。結局実現しませんでしたが、父は母を病院から家に連れて帰るために頑張ってたんですよ。自分で母のおむつを替えるため、98歳で筋トレを始めたりとか。見ていて胸を打たれました。

母は2020年に逝ったんですが、新型コロナの感染が拡大したので私は早めに実家に帰ってたんですね。コロナ禍によって母の最期に立ち会えたとも言えますね。

面会謝絶だった病院も、5月下旬に緊急事態宣言が解除されると面会を再開したので、毎日行ったんです。私は母の枕元で楽しかった思い出話をたくさんして。でも父は「おっ母がかわいそうやけん、わしゃ別れの挨拶みたいなことはせんよ」と言い張り、病室では「またファミレスにハンバーグ食べに行こうや」などと母を励ましていました。

6月13日に病院へ行くと、お医者さんから「今日は夜までおってあげてください」って言われて、私たちは覚悟しました。

夜の9時半ごろ、あれだけ「挨拶はせん」と言ってた父が、急に立ち上がって母の手を握り、「わしゃほんまにあんたが女房でよかったわ。幸せな人生をありがとうね」と言ったんです。続けて「わしももうすぐ行くけん向こうで待っとってくれや。わしが行ったら手振ってくれえの。それを目印に行くけん、また向こうで仲良く暮らそうや」と言ったら、母も聞こえたのか目に涙をためてて。

私、その光景を見て「すごい瞬間に立ち会わせてもらったな」と思ったんですね。悲しさを超越した幸福感みたいなものを感じましたし、崇高なものを見たっていう気がして、すごく不思議な瞬間でした。

そのとき、私は先輩からいただいた「介護とは親が命懸けでしてくれる最後の子育て」という言葉の意味が本当に分かりました。母は命懸けで生きて、老いて、弱って、旅立つところまで全部見せてくれた。「最後の子育て」をしてくれて、本当に感謝しています。

信友 直子 (のぶとも・なおこ)
映画監督
◆インタビューを終えて(渡邉幹雄)
「認知症の人も昨日まで当たり前にできたことができず、いらだっている」と信友さんから教わりました。また、ご両親の最後まで仲良い様子、そして別れの前にお父様がお母様の手を握り「あんたが女房でよかった」と語った情景を郷土の言葉で語ってくださったこともあり、私は編集しながら感動、涙また涙でした。

※この記事は、2022年5月3日放送「ラジオ深夜便」の「認知症の母と支えた父の物語」を再構成したものです。

(月刊誌『ラジオ深夜便』2022年8月号より)

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