福岡・小倉連隊に所属することになった、柳井嵩(北村匠海)。軍隊になじめない嵩を気にかけてくれたのは、変わり者の上等兵、八木だった。陰から嵩を見守り、時に助け舟を出す八木の心の内とは? 演じる妻夫木聡に、八木の人物像や心情、平和への思いを聞いた。
嵩の絵を見て、生きることの大切さを思い知らされた

──戦地に赴く前、八木は嵩の描いた似顔絵を受け取りましたね。どんな気持ちだったのでしょうか?
昔の自分の顔を鏡で見たような気持ちになったと、僕は考えています。つまり、嵩が描いてくれた似顔絵には、失いかけていた自分の中の清らかな部分が表れていた、と。
「昔の自分を見るよう」というのが嵩を見る八木のスタンスだと思っているんですけど、似顔絵を貰ったときも同じような気持ちになったんじゃないかな。単純なうれしさってことじゃない気がする。あとになって振り返ると感謝をするような瞬間。戦争というものに飲まれて、失いそうになっていたものを引き戻してくれた瞬間。
それで「生きる」ということの本質を改めて感じ、ふだん滅多に言わない本音や、皮肉めいた言い方ではありましたが、嵩を励ますような言葉が言えたのだと思います。
──「戦場では、弱いものから死んでいく」「弱いものが戦場で生き残るには、卑怯者になることだ」といった言葉ですね。あれは励ましだったと?
「どんな無様でもいいから、生きて帰れ」という意味です。嵩に対して、そして自分に向かっても言った言葉だと思います。八木自身、実はそんなに強い人間ではなくて、それゆえに、ああいう言葉で自分を保とうとしている、奮い立たせようとしている側面があるのだと思います。
井伏鱒二の詩集をきっかけに嵩に親近感を覚えた八木ですが、かといって嵩ほどの純粋さは持っておらず、自分の中で、救われる道、すがる先みたいなものを探している。それが、嵩に言葉をかけるという形で表れているのではないでしょうか。
戦争とは、人間の愚かさや、やるせなさが詰まったもの。そんな状況へのささやかな抵抗として、八木は昇進を拒否していたわけですが、抵抗虚しく戦地にいくことになって、虚無になっていた。それが、嵩の絵で生きることの大切さを思い知らされて、出た言葉なのだと思っています。

──兵隊として前線の、厳しい環境で戦うことになる福岡・小倉連隊の隊員たち。戦争中のシーンを演じる上で、役作りとして取り組んだことはありますか?
役作りとして、あまりご飯を食べないように……。戦時中ですし、特に戦地は食糧に乏しいはずですから。戦況が過酷になるにつれて徐々に痩せていきたいと思ったので、食べる量も少しずつ減らして、合計3週間くらいは食事制限をしていました。
ただ、誤算もあって……。想定していたより効果が出るまでに時間がかかってしまったんです。以前は3日もあれば余裕で3〜4キロ絞ることができたのですが、年齢のせいか、思ったようにいかず(苦笑)。最終的には、食べる量を普段の半分くらいにして臨みました。
八木に引っ張られて、僕もおせっかいになってきている

──妻夫木さんが演じる八木信之介について、どんな人物だと捉えていますか?
八木は、物事の本質を静かに見極められる目を持っている人。雑念ばかりの世の中で、無駄を省いて、あるべきものだけと向き合おうとしている。そういう繊細さとストイックさを併せ持っている人。その分、失ったものも多いし、孤独なんだけど、憧れる部分はありますね。きっと、嵩とは違うやり方で、「何のために生まれて、何のために生きるのか」をずっと模索していく人だと思います。
一見厳しくはあるのですが、嵩のこともすごく冷静に見つめていて、彼の才能や人間性を誰よりもわかっているんですよね。そして、陰ながら支えていくわけですが……ちょっと見つめすぎですよね(笑)。ストーカーとか、どこかの家政婦に見えないようにしないとって監督とも話していますけど。まあ、それだけ、嵩が放っておけない存在であるということなんでしょう。基本的には、八木の姿勢には共感しています。
──妻夫木さん自身と共通する部分があるということですか?
八木ほどではないですが、ついおせっかいを焼いてしまうことはありますね。この間もリハーサルの時、子役の子がふざけて騒いでいたんです。たぶん、セリフやシーンの意味があまり理解できていなかったのだと思います。だから、こんこんと説明してみせたのですが……本来、それは僕の役目ではないので、「やり過ぎた」と、ちょっと反省しました(笑)。
でも、もしかして、八木の嵩に対する気持ちもこういうことなのかなと気づいたんです。ピュアで汚れがない彼のことを放っておけない、大事にしたくなる、という。僕はふだん、そこまで年下の面倒見がいいわけでもないですし、次男坊で、どちらかというと甘やかされて育った人間だと自覚もしているのですが……。これは、僕自身が八木の人間性に引っ張られているのかもしれないですね。

──嵩を演じる北村さんとは、2008年に映画『ブタがいた教室』で共演して以来です。久しぶりに北村さんに会って、いかがでしたか?
感慨深かったですね〜。あの時は、僕が教師役で、当時小学4年生だった匠海くんは生徒役でした。その後、今から10年ほど前に、その映画の出演者と監督で同窓会をやった時、彼が「いつかまた一緒にお芝居をできたらうれしいです」と言ってくれたんです。それが実際に叶うなんてすごいことですよね。また、今回、匠海くんにぴったりの役で共演できているというのも最高です。今度共演するなら、彼を支えるような役がいいなと思っていたので、うれしいことづくしです。
匠海くんのお芝居のすごいところは、自分に割り振られた役のキャラクターをどう理解して演じるか、という次元を遥かに超えて、その役の人物としてちゃんと“存在”しようとしているところ。力が抜けていて、とても自然なんです。はじめて出会った当時の、クールで無駄がない雰囲気は変わりませんが、これから先、もっともっと素晴らしい俳優になっていくんだろうなと、改めて感じました。

──今回、初の朝ドラ出演。改めてオファーを受けた時の感想をお聞かせください。
朝ドラに出演するのはずっと夢というか、目標でもありましたし、率直に嬉しかったですね。制作統括の倉崎憲チーフ・プロデューサーとは、2013年にラジオドラマ(FMシアター「世界から猫が消えたなら」)でご一緒してからのご縁です。
今回の話をうかがったのは、たまたま海外で倉崎さんと再会した時だったんですが、お声かけいただいたことがまず嬉しかったですし、しかも、あのやなせたかしさんのお話ということで、はっきりした内容や役柄をお聞きする前からワクワクしていました。
──やなせたかし先生の作品への思い入れがおありですか?
もちろん! 今、子どもがアンパンマンに夢中ですから(笑)。よく一緒にテレビで見ています。ちなみに、僕はロールパンナちゃんが好きなのですが、彼女の、正義の心と悪の心を併せ持っているという設定は、すごく人間味がありますよね。ピュアな心しか持たない人間なんて存在しない。誰しも人には見せない部分を持っているもの。……だから、彼女を見ていると自分を見ているような気分になる。
そういった部分を含め、やなせさん自身、正義とは何か、人間とは何かを自問自答しながら作った作品なのだろうなと感じるんです。やなせさんの哲学が詰まった、素晴らしい作品だと思います。

──今年は戦後80年の節目。この作品を通して、また八木という役を通して、平和への思いや伝えたいメッセージがあれば教えてください。
「あんぱん」の台本を読んで、僕は「希望の話だな」と思いました。世の中を明るくできるし、生きることの大切さ、人間が人間である意味、「何のために生まれて何のために生きるのか」……そういうものを考えるきっかけを与えてくれる作品です。
80年前から、いや、もっと前から、いろいろな人たちの思いを受け継いで、僕たちは今生きている。僕たちが平和に対する思いを発信すれば、それを受け取ってくれる人はいるはず。そういう思いで、八木を演じています。
争いは、負の連鎖を生むだけです。技術が発達して、それまで交わることもなかったいろいろな人と言葉を交わすことができる時代。手と手を取り合って、話し合って、少しずつでもいいから平和にむけて前進していきたい。「あんぱん」が、そのきっかけのひとつになればうれしいなと思います。