海軍少尉となって、陸軍小倉連隊に所属する柳井嵩(北村匠海)の前に現れた弟・千尋。3年ぶりとなる2人の再会は、駆逐艦に乗船して南方へと向かう千尋の、出撃を前にした面会だった……。この場面を、千尋役の中沢元紀はどんな思いを持って演じたのか? 兄・嵩や若松のぶ(今田美桜)、そして母の登美子(松嶋菜々子)に対して抱えていた、千尋の偽らざる気持ちを聞いた。


最小限の打ち合わせで、現場で生まれた感情を大切にして演じました

――千尋は嵩に、自分が海軍に志願した理由を語っていましたが、その心中をどのように理解しましたか?

ほかの学生たちに「俺も志願する。柳井、お前はどうなんだ?」と聞かれて、その場の空気を読んで「俺も志願する」と言っているので、言ってしまえば周りに流されているわけですが、そうするしかなかったんだろうなと思いました。その気持ちはすごく理解できるんです。

当時の時代背景もありますし、第32回の柳井家の食卓のシーンで「(のぶが学んでいた)女子師範学校はそういう空気ながやろ」という千尋のセリフにもあったように、彼は子どものころから空気を読みながら生きてきた人物だと思うんですよ。だから、自分としての信念は持ちつつも、志願するほうに行くだろうなと。

でも……、難しいですよね。信念を曲げているわけじゃないのに、結果として流されてしまったというのは。そのあたりは、どこか兄の嵩の性格とも似ているなという気がしました。

――千尋が「この戦争がなかったら」という言葉を繰り返すところが胸に迫ってきたのですが、実際に口にするときは、どんな気持ちになりましたか?

あまり自分を表現することのなかった千尋が、兄貴に全てをぶつけるというシーンなので、最初に台本を読んだときから、心に“くる”ものがありました。でも、兄貴なら受け取ってくれる、全部吐き出してしまおう、という思いで言いました。隠していたのぶさんに対する恋心もそうですし……。

匠海さんが嵩として全部受け止めてくれると思いながら、すべてを出し切ろうとお芝居をしました。2人で綿密に話し合って作り上げたシーンではなく、最小限の打ち合わせをして、その場で生まれるものを大事にして作っていったシーンです。

――その打ち合わせでは、北村さんとどんなやり取りをされたのでしょうか?

体の向きとか、目線とか、カメラワーク関係のみで、お芝居のことは、ほとんど話してないですね。その場で生まれる感情が大事だし、その爆発力がすごく大事な重要なシーンではあるので、最低限のリハーサルのみでした。千尋は感情的になったときから土佐ことばに変わるので、その難しさも感じながらも。

――シーンを撮り終わった後は?

匠海さんとは、撮り終えたあとに話をしました。OKになったテイクでは、千尋は涙を流してないんですよ。泣いているのは、嵩だけで。その前のテストのときは、僕はボロボロ泣いていたんです。なので、涙を流したほうが良かったのか?ということについて、匠海さんと話しました。

匠海さんは「もし気になるのなら、監督にもう1回(撮影するよう)お願いしてみる?」と気遣ってくださったのですが、「いや、監督がOKしたものが全てだと思うので」という話をして、結局やり直しはしませんでした。

兄弟として会っているのであれば全てをぶつけている千尋は涙を流すだろうし、軍人として会っているのであれば涙を見せずに(出撃にあたって)「行きます!」と言うだろうと、そんな話もしました。演じているときには、そこまで強くは意識はしてなかったんですけれども。


千尋は嵩ものぶも大好きだからこそ、2人のことを応援していた

――千尋はのぶに恋心を抱きつつも、ずっと気持ちを秘めたままでしたが……。

千尋が自分の思いを口にしない理由を、はっきりと台本に書いてあったわけではないのですが、やっぱり千尋が望んでいたのは、兄貴とのぶさんが一緒になること。それが全てだと思います。子どものころから兄貴がのぶさんのことを好きだということはずっと見てきましたし、2人のことを大好きだったからこそ応援したい、という気持ちが強かったんだと思います。

――それでも今回のシーンでは、嵩がのぶを思い続けていることも理解したうえで、生きて帰れたらのぶをつかまえる、彼女が人妻でも構わない、と言い切っていました。

「やっと本音を吐き出したな」と感じました。千尋は、自分が思っていることもめ込んで、兄貴に気を遣ったり、人の目を気にして言わなかったりする部分があると思うので。もちろん、戦地への出撃というのが彼の中では大きくて、生きて帰れるかどうかわからない中、もう後悔はしたくないという思いを含めて、本音があふれてきたシーンではないかと思いました。

その本音は、本当の母親である登美子(松嶋菜々子)さんにも向けられていましたよね。これまで彼女に対して、強く、責めるような言葉を投げてきましたが、あのシーンで「いっぺんも優しい言葉をかけちゃれんかった母さんに、親孝行したかった」と言っていて、間違いなく本心はそこにあったんだろうな、と思いました。

このシーンは、千尋としての最大の山場とも言えるので、すごく力を入れて挑みました。戦地に向かう前の千尋の切実な心情を見ている方たちに届けたいという、本当にそれだけの思いでした。


千尋がいたからこそ、アンパンマンが生まれた

――この大事なシーンを経て、千尋は嵩にも大きな影響を与えると思うのですが、千尋役を演じるにあたって大事にしようと考えた使命感のようなものは?

嵩と千尋という兄弟を演じればいい、ただの弟を演じればいいというわけではなくて、嵩にとっては唯一無二の存在で、千尋がいたからこそアンパンマンが生まれたのだと思っています。なので、その重要性は当然、僕も考えていたのですが、台本をしっかり読み込んで千尋を演じれば、自然と千尋がキーパーソンになってくる話なので、そこに自分で何かを加えよう、アドリブで何かしようとかは特にしていないです。

――千尋は優秀で、文武両道な青年でしたけれども、彼はずっと嵩のことを尊敬していて「兄貴はすごいんだ」と慕う気持ちが伝わってきましたが、改めて千尋にとって嵩はどんな存在だったと考えていますか。

一言で言うのは難しいのですが、たった1人の兄貴ですし、千尋は登美子さんとあまりうまくいってなかったので、本当に身近にいる家族でした。自分のやりたいことを貫き通す兄貴に憧れていたし、応援したいと思って見守っていたと思います。兄貴の書く漫画や絵が、いちばん好きだったのは千尋なんじゃないかなと思うくらいに。

上下関係のある兄弟ではなかったという気もします。対等というか、友達ともちょっと違いますけれど、お互いに鼓舞し合ってきましたし、応援していましたし。いちばん最後に頼るのは、千尋は兄貴だったし、兄貴も千尋だったんじゃないかなと思います。

やなせたかしさんが書かれた『おとうと ものがたり』を読むと、とても優秀だった弟さんに劣等感を抱いていたことが伝わってきます。繰り返しになりますが、弟さんがいなかったら、おそらくアンパンマンは生まれていません。嵩の中では、ある意味、千尋が“正義”のひとつの形になっていくのかなと思います。


戦争について考える時間を持つきっかけになれば……

――戦後80年という節目に放送される「あんぱん」ですが、戦時中は千尋のような若い人たちもたくさんいたという事実に対して、現代を生きる中沢さんはどんな思いを抱かれますか。

これは本当に難しい……。あまり簡単に答えを出していいわけではないと思います。この間、祖父母の家に行ったときに、戦争に行った祖父の当時の手帳や、写真を何枚か見せてもらいました。そこに祖父が笑顔で写っている写真もあって。

僕は戦争を経験していなくて、戦争はしちゃいけないもの、悲惨なものというふうに教えられてきたので、なぜ笑顔になれたのかとも思いましたが、そうやって戦争のことを考える時間を持つことがまず大事なんだろうなと。

今もまだ、世界で戦争が起きていますけれど、若い世代の方たちを含めて「あんぱん」を見ることが、戦争を多少なりとも感じる、そこに意識を向ける、戦争について改めて考えるきっかけになればいいな、と思っています。