赤紙(召集令状)が届いて入隊の日を迎えた柳井嵩(北村匠海)。そんな嵩の出征を、町の人々とともに見送った若松のぶ(今田美桜)。これからは、嵩が軍隊で過ごす日々を中心に物語が進んでいく。戦争パートの展開の中で、語られるものは何なのか。連続テレビ小説「あんぱん」の制作統括を務めている倉崎憲チーフ・プロデューサーに、“戦争の時代”を正面から描く意義について話を聞いた。


やなせさんの戦争体験を描かなければ、「あんぱん」をやる意味はない

連続テレビ小説「あんぱん」では、物語の中に“戦争”が影を落としている。のぶが入学した女子師範学校では、黒井雪子(瀧内公美)の徹底した愛国教育が行われ、朝田家では蘭子(河合優実)の思い人である豪(細田佳央太)が出征して帰らぬ人となった。屋村草吉(阿部サダヲ)が語った壮絶な従軍経験……。そして第11週からは、嵩の軍隊での苛烈な生活や、戦時下ののぶの姿を描く「戦争パート」となる。

これまでも、連続テレビ小説には、 “戦争の時代”が描かれてきた作品がある。「あんぱん」と同じく中園ミホが脚本を書いた「花子とアン」をはじめ、「エール」でも「ブギウギ」でも、そして去年放送された「虎に翼」でも、戦争は登場人物に大きな影響を及ぼしていた。そんな過去作以上に「あんぱん」では、戦争の時代をじっくりと描いているような印象を受ける。
そこまで深く、丁寧に描かれているのは何故なぜなのか。倉崎CPはこう語る。

倉崎 2025年前期の連続テレビ小説を担当させていただくにあたって、最初に考えたのは「何を題材に選び、どう描くべきなのか?」ということでした。2025年は「放送100年」であると同時に、「戦後80年」です。私にとっては後者のほうがより大事で、この節目の年にやなせたかしさんと小松のぶさんご夫婦の物語を連続テレビ小説にしたいと考えたことが、そもそもの始まりでした。

ぞんの方も多いかと思いますが、やなせさん自身の戦争体験、戦場でいちばんつらかったのは空腹だったという記憶が、アンパンマン誕生の大きな要因になっています。その観点からも、やなせさんが数年にもわたり出征していたという事実を大切に扱うべきだと考えました。

やなせさんは『ぼくは戦争は大きらい』という書籍も発表されています。今の時代でも、いまだに世界では戦争が続いていますし、やなせさんがもし生きていらして、日本あるいは世界の今の状況を見たらなんておっしゃるだろう? ということは、ずっと中園ミホさんと話をしていました。そういう状況の中で、戦争を、やなせさんが経験された戦争というものをこのドラマの中できちんと描かないのであれば「あんぱん」をやる意味はないと考えて、かなり早い段階から「戦争パートはちゃんと描こう」とチームでも決めていました。


のぶと嵩、それぞれの正義が逆転する瞬間が

倉崎CPは、かつて「エール」のスタッフの一員として演出(第20週「栄冠は君に輝く」)を担当。戦時歌謡でも名をせた作曲家・古山裕一の姿を描いている。裕一も、のぶと同じく戦争の時代には軍部に協力する姿勢を見せる主人公だった。のぶは女子師範学校在学時に「愛国のかがみ」と称され、子どもたちに愛国精神を説く教師となっている。胸の内では自分の立場に戸惑い、葛藤を抱えながらも、当時の日本を覆う時代の空気にはあらがえないでいた。そんなのぶが、戦争が終わった後にどうなっていくのかも「あんぱん」の大きなテーマだ。

倉崎 戦争パートでは、嵩たちが戦地で空腹を経験するところもドラマの重要なシーンになっています。そして終戦を迎えたときに、日本の正義とは何だったのか、ということを突きつけられます。一方で、戦地には行っていないのぶも、自分がりどころにしていた軍国主義が崩壊して、状況が大きく変わります。
「あんぱん」のテーマのひとつでもある「逆転しない正義とは何か」。

のぶと嵩それぞれが、正義が逆転する瞬間に直面して「逆転しない正義」を求めて自問自答していくところは、この「あんぱん」をやるにあたって絶対に描くべきこと、描かないといけないことでした。その2人の葛藤をしっかりと描き、皆さんにお届けしたいと思っています。

ここで思い浮かぶのは、「あんぱん」第1回の冒頭部分だ。嵩のモノローグによる「正義は逆転する。信じられないことだけど、正義は簡単にひっくり返ってしまうことがある」――。あの言葉には、嵩だけでなく、のぶの思いも集約されていて、これから明らかにされていくに違いない。


戦争をどう描くか、から逆算して全体の構成を考えた

「あんぱん」全体のドラマ構成も、戦争パートを丹念に描くことが前提になっている。倉崎CPによれば、ドラマの展開は綿密な打ち合わせをもとに構築。劇中での年代と史実、当時の世相を照らし合わせながら「この年代に、日本ではこういうことが起きていた」と、年表を作成しながら登場人物の設定が作られたという。戦争の時代を迎えると、実際に豪のような年代の若い男性が徴兵されていたこともあり、あのストーリーが出来上がったそうだ。

キャストを選ぶにあたっても、戦争の時代の描写が想定されていた。例えば嵩の弟である千尋(中沢元紀)も、第11週で放送されるシーンを前提に、オーディションが行われたのだという。

倉崎 そこで映像化しているのが、小倉連隊に配属されたやなせたかしさんを弟の千尋さんが訪ねてきた、という史実です。その様子はやなせさんの自伝など複数の書籍で知ることができますが、この史実は絶対に映像に起こしたいと企画当初から考えていました。それで、このシーンを誰が演じたらハマるのかという観点を持ちながらオーディションを行いました。

そして「この人に」と思ってオファーさせていただいたのが、中沢元紀さんです。実際、素晴すばらしいお芝居で、まっすぐでピュアなところや北村匠海さんとの距離感など、誠実な千尋と本当にリンクする部分がありましたし、我々の中でも大切なシーンになりました。


戦争を正面から描くための制作陣の“挑戦”

倉崎CPの言葉の端々から伝わってくるのが、作品制作に対する“覚悟”だ。個人的な印象を言わせてもらうなら、「あんぱん」は一見、連続テレビ小説の王道的な作品となっているが、実はかなりの野心作であるように思える。挑戦をすることに対して制作スタッフは覚悟を持ち、ブレることなく作品作りと向き合っている。

倉崎 いわゆる「朝ドラっぽいもの」を求める声に対して「では、朝ドラっぽいものとは何なのか」とも考えますし、そういうものばかりを追求するうちに同じようなものしか生まれなくなるのではないか、という個人的な危惧もあります。そういう意味で、チームである種の挑戦をさせていただいていますし、大事なことは全26週を見終わった後、視聴者の皆さんにどう捉えていただけるか。

この「あんぱん」が持っているテーマは「一度きりの人生、全員に平等に与えられている命をどう生きていくのか」ということで、すごく普遍的な物語でもあると思っているので、それをきちんとお伝えすることをいちばん大切にしています。

これから放送される「戦争パート」では、やなせたかしが体験したであろう従軍生活がかなり詳細に描かれていく。理不尽が蔓延まんえんする兵舎での暮らし、過酷な軍事教練、戦地・中国でのせん活動……。この戦争パートの編集作業が終わった段階で、倉崎CPは仕上がりに確かな手応えを感じたという。

倉崎 嵩が軍隊で出会う八木信之介役の妻夫木聡さんもすさまじいお芝居をしてくださっていて、戦争パートについては「これ『あんぱん』なの!?」と思えるほどで、「まるで映画のようだ」と感じるくらい。とにかく、早く皆さんに見ていただきたいですね。

この戦争パートでは、連続テレビ小説としては史上初めて、バーチャル・プロダクション収録にもチャレンジしています。今までは、焼け野原や空襲などはグリーンバックで撮って合成するのが一般的でした。スタジオであれ、ロケであれ。

それを今回は背景映像にLEDを使い、手前側にリアルの瓦礫がれきセットを作るような表現に挑戦しました。演じる俳優のみなさんも、グリーンバックでお芝居をするよりも、奥行きまで視覚的に見える環境でお芝居したほうがより感情移入できると思いましたし、実際に出演者のみなさんからは臨場感ある現場で集中しやすかったなどのお声をいただきました。

技術チームも奮闘してくれて、それが映像表現としてすごくクオリティーの高いものになっていて、収録環境も含めてチャレンジしています。天候や時間、場所などの制約に縛られず撮影ができ、かつ撮影後の編集行程を大幅に省略化もできるという効率面での利点もあります。

もしかしたら「朝から戦争の話は見たくない」「重すぎる」という声が上がるかもしれませんが、これはやるべきことだと判断し、中園ミホさん、演出陣を含めたチームとして、1年以上前から覚悟を決めてやってきましたので、それをやりきりたいと思っています。

生きる喜びを描くために、悲しみもちゃんと描いていく。“逆転しない正義”とは何かをドラマのなかだけでなく、いまを生きている出演者もスタッフも一人一人が自分たちにも問い続けているし、世の中にも問い続けていきたい。配信の時代になった今、一日のなかでいつでも観れますし、「あんぱん」は海外でも放送だけでなく、一部地域ではその国の言語で配信もされています。これは日本だけの物語でなく、世界へ向けた物語なのです。

カツオ(一本釣り)漁師、長距離航路貨客船の料理人見習い、スキー・インストラクター、脚本家アシスタントとして働いた経験を持つ、元雑誌編集者。番組情報誌『NHKウイークリー ステラ』に長年かかわり、編集・インタビュー・撮影を担当した。趣味は、ライトノベルや漫画を読むこと、アニメ鑑賞。中学・高校時代は吹奏楽部のアルトサックス吹きで、スマホの中にはアニソンがいっぱい。