黄表紙の先駆けとなる『金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ』を世に送り出した戯作者・こいかわはるまちには、駿河じま藩に仕える武士・倉橋いたるというもう一つの顔がある。つたじゅう(横浜流星)とともに江戸の未来を描いた『だい』を作り上げたものの、北尾政演まさのぶ(山東京伝/古川雄大)と衝突して文字通り筆を折ってしまうなど、強烈な個性を見せるが……。演じる岡山天音に、役柄についての思いを聞いた。


断筆宣言は、自分の心の叫びをうやむやにしてしまった、おならのせい

——第21回では、狂歌師や戯作者が集まるなか、北尾政演に対する嫉妬心を見せました。あの場面を、どのように捉えていらっしゃいますか?

あれは俳優としての自分の心理に近くて、気持ちが良くわかります。僕にも、誰かの作品を見て悔しいことがあったりするんですよ。特に自分の好みの作品だったり、自分に近い世界観が表現されている作品だったりすると……。

春町の作品(流行はやり言葉を化け物にした『辞闘戦新根ことばたたかいあたらしいのね』)を下敷きにして、新たな作品(本や絵を擬人化した『御存ごぞんじの商売物しょうばいもの』)を生み出した政演を、春町は盗人ぬすっと呼ばわりしましたけど、その気持ちはわかるなぁ、と(笑)。全然違うジャンルならともかく、同じ土俵ですし、それも春町の作品ありきで作られていますからね。

キャパシティーが狭いというか、春町も苦しくてしょうがないんですよ。でも、自分ではどうしようもないその気持ち、僕にはわかる気がします。あのときの春町は、自分が世界の中でひとりぼっちになってしまったように感じて、そのやいばを政演に向けることによって自分の痛みを麻痺まひさせようとしていたんだと思います。

——その勢いで筆を折ってしまいますが、あの流れは理解できますか。

はたから見ると滑稽に思うかもしれませんけど、春町が心の叫びを吐露しているところに、おならが全てをうやむやにしてしまって……(笑)。絶対に超えられない“壁”じゃないですか。その瞬間、もうどうでも良くなってしまったんですよね。

あのシーン、僕が「べらぼう」の現場に入って3日目くらいに撮ったんです。飛び飛びに撮影していて、まだ蔦重と仲良くなるシーンを全然撮っていない時期でした。なのに、大勢の前でいきなり膳を蹴っ飛ばすと台本に書いてあって、まず考えたのが、「人に当たったらどうしよう?」みたいな感じの時期だったんです。

でも、いろいろと演じようのあるシーンだったので、どう膨らませようか考えては(芝居を)出して、演出を受けてはまた出すという作業を繰り返して……。大変でもあり面白さもある現場でした。

——今回、その政演と和解することになりました。

春町にも、「政演にひどいことを言ってしまった」「まわりの人にも嫌な思いをさせてしまった」と、謝罪したい気持ちはあったと思います。でも、そういうことがすごく苦手な気がするんですよ。ある種の自己開示ですし……。政演のことを評価していると素直に口にできたのも、政演が春町の作品を認めてくれたから、やっとそこまでいけたわけで……。とても不器用な人なんですよね。

「みんなで楽しく協調する」みたいなことは、憧れているがゆえに自分から遠ざけて、これまで傷つかないようにしてきていたんです。そんな苦手なことと向き合うときに、春町はいちばん苦手なことをやるんですよ。それが「へっぴり芸」で、おならとともに新しい一歩を踏みだしていく……。そんな姿をいとおしく感じて、自分の持てる最大限で表現できたらと思い、演じました。


春町は作品を100点にして世に出したい人。いつまでも直していたい

——それにしても、春町は強烈な人物像です。岡山さんはどのように解釈していますか?

最初のうちは登場シーンも少しずつでしたし、彼がどういうキャラクターなのか、僕にも全貌が見えていませんでした。でも、衣装合わせのときに、演出の大原拓さんが、いろいろなキーワードをくださったんですよね。今でいう“ハガキ職人”っぽい人、真面目だけど頭の中では常に面白いことを探し続けている人、というような。

劇中でも言われていますが、考えなくてもいいようなことをひたすら考えている人なんですよね。戯作だけでなく、日常生活においても。誰かと会話して家に帰ってから「あんなこと言わなきゃよかったなぁ」とか「あれで大丈夫だったかな?」とかを、ひたすら考え続けているんです。

彼は武士ですし、堅い印象も見受けられますが、戯作者たちの中でもとりわけアーティスト寄りの人間だと捉えています。「べらぼう」では、物事の本質をつかもうとしているキャラクターとして描かれていて、その実直さゆえに、自分の芸術にはうそがつけない。だから、自分の作品を認めてくれた蔦重のほうに視線が移っていったのだと思います。

――春町の、作家としてのこだわりとは何でしょう。

春町は、自分の作品を100点にして世に出したい人なんですよ。音楽家や漫画家、作家といったアーティストたちって往々にしてそうですけど、「締め切りがあるから、作品を世に出せている」みたいなことを言う人って、結構いるじゃないですか? 締め切りがなかったら、いつまでも直している。その感じが、春町と重なりますね。

——春町を演じるにあたって、準備されたことはありますか?

実在の人ということで、お墓参りに行きました。あとは、つたじゅう三郎ざぶろうの関連書籍が本屋にたくさん並んでいたので、それを買って読んだりはしています。役作りという側面ももちろんあるのですが、蔦重がとにかく面白い人だなと思って。この時代の出版人のことをもっと知りたいと思いました。彼らがどういうふうに世界を見て、捉えて、ヒット作が誕生したのかを単純に知りたくて。

——絵の練習は?

練習しました。最初に現場に行ったときに「今のところ、絵を描くシーンでは誰も吹き替えを使ってないです」と言われまして。「いそりゅうさい役の鉄拳さんとか、すごかったです」とか、「唐丸役の渡邉斗翔くんも、ちゃんと自分で描いてます」とか言われて、「やめてよ~」と思いましたけど……。

筆などの道具を一式持ち帰らせていただいて、別のドラマの撮影でロケに行ったときにも、ホテルでひたすら練習していましたね。(戯作者として)文字は全然書いていませんが、絵については結構頑張ったので、絵を描くシーンの撮影が終わった後の解放感はすごかったです。スタジオを出たあとに「ああ、自由の身だ」って(笑)。

——時代劇ならではの苦労はありますか?

セットは日常で見慣れている風景とは違うし、着ている服も違うし、所作もあります。いつもと違う場所でのお芝居には、普段味わうことのない緊張感があって、終わった後はいつも疲弊しています。ふんどし一丁で下手くそなさんそうを踊るシーンも、「撮影、あしただぁ……」と、前日はどんよりして、かなりのプレッシャーでした(笑)。


流星くんが演じる蔦重の要素として、“美しさ”は大きい

——朋誠堂ほうせいどうさん役の尾美としのりさんとは一緒のシーンが多いですが、いかがですか?

「べらぼう」って、役柄の年齢と俳優の年齢がバラバラなんです。実際には10歳くらいしか離れていない喜三二と春町を、(30近く年の離れた)大先輩の尾美さんと僕が演じるんですから。でも、親友みたいな関係性を作らなきゃいけないなかで、喜三二が尾美さんであったことにすごく助けられています。

春町の独自性を出したいと思って、僕は“変化球”の表現を取ったりするんですが、尾美さん演じる喜三二の“受け”の芝居で成立させていただいています。大先輩なのに、空き時間もずっとお話しさせていただいて、こんなに優しい人ってなかなかいないよな、と思います。

ドラマの中では、喜三二がフラフラしていて、春町は地に足を着けているようにも見えますが、春町は子どもの部分を抱えているので、実は逆だったりするんじゃないか? と思う瞬間があります。ふたりの関係性が多層的になっていて面白いですよね。

ひねくれた春町を見守る喜三二の表情を(スタジオの)モニターで見ると、「ああ、本当に優しいんだな、この人」という雰囲気がにじみ出ていて、キュンとします。

——タイプが全然違う喜三二と春町が理解し合っているのは、なぜだと思いますか?

面白いと感じるものが近いのかなという気がします。喜三二と春町は一緒に作品を作ったりしていますし。ぱっと見の人間の色合いは全然違うけれど、日々感じている違和感や面白いと思うことに共通点があるんだと思います。僕にもそういう友達がいるので、ふたりの関係性はに落ちますね。

——撮影を通して、蔦重役の横浜流星さんはどのように見えていますか?

蔦重という役を全うされようとしているのをヒシヒシと感じます。尊敬の念がありますね。大河ドラマの主役という、本当に限られた人しか味わえない特別な孤独の中にいらして、横で見ていて胸の奥が痛むというか……。ご本人は現場でそんな素振そぶりを全く見せないので、勝手にこっちが物語を作っているだけですけれど(笑)。

本人の特徴としては、品がありますよね。僕は、蔦重役が流星くんと聞いて最初はイメージがつかなかったんですけれど、蔦重の痛快さもありつつ、たたずまいが美しいと感じました。

「かっこいい」という要素はやっぱり大事で、主役って、人から愛される、人を引きつける力が必要なんですよ。実際の蔦重もそうだったと思いますし、そういうカリスマ性みたいなものが、流星くん演じる蔦重のふとした角度、仕草しぐさからにじんできて、男から見てもれしています。

第1回だったかな? 蔦重がキセルで煙草たばこを吸うシーンがあって、それを描いた視聴者の方のイラストを見たとき、「いや、わかるー!」と思いました(笑)。流星くんが演じる蔦重の要素として、みんなが描きたくなる“美しさ”は大きいと感じています。


春町の新しい側面を、回を重ねるごとに更新していけたら 

——森下佳子さんが書かれた「べらぼう」の台本について、改めて思うことは?

作品が持つパワーを感じます。読みやすく面白い台本なので、ある種、連載漫画を読むような気持ちで、台本が来るのを心待ちにしています。

森下さんは以前「大奥」というドラマでご一緒させていただいているのですが、カタルシスがすごく痛快だな、と。演出の作用もあると思いますが、誰が見ても流れに乗っからせてくれる、熱を帯びた台本に痛快さがあるというか。少年漫画っぽいところがありますね。

ターニングポイントで蔦重が報われる瞬間が描かれていることが多くて、いやが応でも盛り上がりますよね。台本の段階で胸を打つ瞬間がいくつもあるのが、すごいと思います。これだけ登場人物が多くて物語も長いのに、その中に起伏があって感動させてくれる……、いつも圧倒させられています。

——春町に対しても深い愛情を注いで書かれている印象を受けました。

そうですね。春町は大事なキャラクターですし、これからも彼の魅力が描かれていくと思います。だから、春町の新しい側面や、春町自身も気づいていない本心を、回を重ねるごとに更新していけたら、と考えています。