意次おきつぐ(渡辺謙)の嫡男として異例の出世をとげ、若くして若年寄にまで昇進することになる田沼意知おきとも。今作では、必要となれば身分を隠して吉原に潜入する行動力の持ち主として描かれている。大河ドラマ初出演となる宮沢氷魚に、意知の人物像や作品の魅力を聞いた。


意知が率先してことを進める場面は、演じていて清々しく楽しいです

──意知は第21回では奏者番そうじゃばんになっていて、これから更に重職に就くことになりますが、内面の変化をどう捉えていますか?

物語序盤は、与えられた仕事を真面目に遂行するだけだった意知も、徐々に高い地位を与えられ、やりたいことを実現するチャンスが増えました。そのなかで、自らの意志で行動する力を身につけていきます。これまで意知が意次の姿を間近に見てきたからでしょう。物事を成し遂げるためには、時には汚い手を使うこともやむを得ないと、意知も理解するようになったのだと捉えています。

──父親である意次には、何か変化を感じますか?

意次って、ジェットコースターのような人物だと思うんです。物事がうまく回っている時はとても陽気なのに、いざ窮地に立たされると焦りと不安に押しつぶされそうになる。感情の起伏が激しいキャラクターですよね。

そんな意次も、16回で平賀源内(安田顕)が亡くなったあたりから、変化し始めたように思います。自分が信頼していた人物が、もしかしたら自分のせいで命を落としたのかもしれない。そんな罪悪感が大きくなって、源内の死以降、意次が背負うものがどんどん重くなってきたように感じます。

──源内の死は、意知にも影響を与えたのでしょうか?

意知にとっても、源内の死はとても大きなことだったと思います。なぜなら、「源内を見捨てるべきだ」と意次に進言したのは、意知ですから。意知は、蝦夷えぞ地のあげのために精力的に動き始めますが、それだって源内を死なせた罪悪感をふっしょくしたいという思いが根底にあるためでしょう。源内が成し遂げられなかったことを自分たちでやり遂げるんだという強い思いが、意知の背中を押しているんだと思います。

所領の支配権を取り上げて幕府の直轄地とすること

──身分を隠して吉原を訪れるようになりますが、演じていてどうですか?

すごく楽しいです。それまでは、敷かれたレールの上を歩いていただけだった意知が、初めて自分の意志で行動する。自分のためでもあり、田沼家のため、もっと言えば幕府のために、動きます。まだ若い意知が、熱いエネルギーを胸に率先してことを進める場面は、演じていて清々すがすがしく、楽しいですね。

意知のようなエネルギーが、果たして今の自分にあるのかと、問いを突きつけられているようにも感じます。きっと、意知と僕自身の実年齢が近いからでしょうね。何かを変えようと行動する時には、それを後押しする力もあれば、当然批判的な力も生まれる。むしろ反対する声の方が大きいのが普通でしょう。田沼意次や意知は、それにもめげずに自らの意志に従って突き進んでいく。僕は、そんな姿に大きな魅力を感じます。


吉原のシーンは屋敷から出られた開放感で、セットに入るだけでワクワクしました

──吉原のシーンは、どうでしたか?

すごく楽しかったです。もちろん、上知計画を進めるためにぬけ(密貿易)の証を見つけないといけないという任務を帯びているので、緊張感は忘れていません。でも、演じる僕としては「田沼の屋敷を出られた!」という開放感でいっぱいでした(笑)。

屋敷の中って、流れている空気がどうしても重いんです。かたや吉原は、衣装や調度品なども華やかで、セットに入るだけでワクワクしてしまって……。それに、屋敷の中では意次と三浦(庄司/原田泰造)と意知の3人でのシーンがほとんどでしたが、登場人物が多い吉原ではさまざまな人と出会える楽しみもあります。演じる僕が感じた開放感は、そのまま吉原を訪れた時の意知の思いと重なるように感じました。

——たがそで(福原遥)と初めて顔を合わせるシーンはいかがでしたか?

まず、自分が吉原を訪れたのは、抜荷の証拠を見つけるためだということが、誰袖にバレてしまっている時点で、「何者なんだ?」とかなり警戒しました。「実は、黒幕の松前藩とひそかにつながっているんじゃないか?」と思ったほど。ところが、実際に接してみると、怪しい雰囲気はないし、しかも「身請みうけしてほしい」とまで言われる始末で……。

この場面、僕は意知の優しさがにじみ出ていると感じました。なぜなら、もっと強引に口止めをして、なんとかして黙らせることもできたはずなのに、意知はそうしなかった。初対面ながらも誰袖の身を案じる感情が、意知の中にあったからでしょうね。

──福原遥さんの印象はいかがでしょうか。

誰袖って、あいきょうもあるけどずるがしこさもあって、負けず嫌い。いろんな要素を持った人物なので、演じるのがとても難しいと思うんです。でも福原さんは、それを本当に巧みに演じてらっしゃる。

台本では、誰袖のセリフに必ず「んふ」と書かれているんですよ。「面白いなあ」と思う一方で、実際演じたらどうなるのか収録日まで全くイメージできませんでした。ところが福原さんの「んふ」は素晴すばらしかったですね。愛嬌たっぷりで全く嫌味がなくて、誰袖のキャラクターにぴったりでした。見事に誰袖のトレードマークに昇華されていて、驚きましたね。


渡辺謙さんの言葉に救われ、いろいろチャレンジできるようになった

──田沼意次役の渡辺謙さんとの共演のご感想を教えてください。

謙さんとは、舞台作品で2回ご一緒させていただいて、今回が3度目の共演です。もちろんお芝居の上で勉強させていただくことはたくさんありますが、何より現場での立ち居振る舞いが本当に勉強になりました。いちばん印象に残っているのが、セットでの収録の初日。僕、めちゃくちゃ緊張してしまって、芝居も思うようにできなかったんです。そうしたら、謙さんがそんな僕に気づいて、僕の芝居の印象を教えてくださいました。

そのおかげで、「謙さんにはそう見えてるのか。じゃあ、次はこうしよう」といろいろチャレンジできるようになったんです。謙さんは、僕だけでなく皆さんに同じことをされているんです。その人が救われるような一言を、さらっと伝えてくださる。これまで数々の作品を経験されたからこそだと思います。

──史実では、意知は若くして亡くなりますが、そのことについてはどう思われますか?

意知の最期がどう描かれるかは台本がまだないので分かりません。とはいえ結末は決まっているので、カウントダウンはもう始まっているなと感じています。そしてそれは、演じる身としても同じことが言えます。田沼意知という人物を演じられる時間も限られているので、どの場面も一つ一つ大切に演じたいと思っています。

──最後に、「べらぼう」をご覧いただいている視聴者の皆さんにメッセージをお願いします。

先日友人と、「『べらぼう』で描かれている時代が素敵すてきだね」という話になったんです。江戸時代中期って、思い切り挑戦ができた時代だったように思うんです。何かを変えよう、新しいものを生み出そうというエネルギーに満ちあふれていて。

いつの時代も、僕たち若い世代に「何かを変えたい」という思いがないと、物事は変わっていきません。この作品で、意知たち江戸に生きる人々の生き様を見て、現代を生きる僕たちこそ、新しいものを生み出すエネルギーを持たないといけないんじゃないかと気付かされました。ドラマを見ている皆さんにも、ぜひ登場人物から大いに刺激を受けていただきたいと思います。