ドラマの出演者やスタッフが「この回のあの人、あのシーン」について語ったコメントを不定期で配信するコーナー。今回はつたじゅう三郎ざぶろう役の横浜流星さん、脚本の森下佳子さんから!


横浜流星さんの第18回振り返り

——捨吉すてきち(染谷将太)と名を変えていた唐丸からまるを引き取り、歌麿うたまろの名を与えました。蔦重は唐丸の過去や暮らしぶりをどう感じたと思いますか?

唐丸(渡邉斗翔)と呼んで一緒に過ごしていた時期には知ることのできなかった事情を、再会して初めて知りました。普通なら、そのことを重く受け止めたと思うんです。同情もしたと思います。

でも、唐丸の複雑な事情を理解しながらも、さらりと流してあげられるところが蔦重の良さ。「そうかもしれないけれど、俺は今のお前と一緒にいたい」と言って、むしろ自分を責めている。あのとき、ちゃんと話を聞いておけば、もっと自分にできたことがあったんじゃないか、と……。人と関わるときに何が大事なのか、蔦重から教えてもらうことがたくさんあります。


森下佳子さんの第18回振り返り

——朋誠堂ほうせいどうさん(尾美としのり)が『みるがとくいっすいのゆめ』を書き上げるまでが劇中劇で描かれていましたが、このように描写した理由は?

あれは喜三二さんのバックヤードの話であって、出来上がった『見徳一炊夢』はあんな話じゃないのでお間違いのないように(笑)。バックヤードと本編とのリンクは「夢から覚めてもまだ夢だった」という一点のみです。

喜三二さんはお武家さんで、「食うために書く」わけではなく、どうも余暇として「楽しいから書いている」感じの人なんです。オンよりオフが大事な人というか。吉原をこよなく愛していた人だったから、彼にとって最もキツい悪夢を、と、考えました……。

時代が下がると、歌麿や葛飾かつしか北斎ほくさいのように、人生全てが絵を描くことだったような人も出てきますし、十返舎一じっぺんしゃいっのように武家を捨てて作家として食べていこうとする職業意識も生まれてきます。物を作ることに対するスタンス、情熱や思いは人それぞれ違います。それぞれのあり方を出していければと考えています。