江戸時代中期を舞台に、親なし、金なし、画才なしの町人・蔦屋重三郎(横浜流星)が、時代の風を読み、やがて“江戸のメディア王”になるまでを描く、大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」。
脚本を手がける森下佳子は、この作品で何を描こうとしているのか。森下の思いを紹介する。
大河ドラマは“祭り”という心意気を忘れずに、エンターテインメント作品にしたい
——執筆依頼の際、主人公が蔦屋重三郎と聞いて、どんな印象を持ちましたか?
「大河ドラマで?」というのが正直なところでした。合戦のない時代、もちろん蔦重は天下もとらないし、非業の死を遂げるわけでもありません。「脚気で亡くなる本屋のおっちゃん」の人生で、何を描くのだろう、と(笑)。
でも、蔦重と彼が生きた時代を知れば知るほど夢中になりました。蔦重が作り出した本や錦絵のすばらしさ、個性的な作者たちの逸話、光と闇を抱える吉原の文化、報われない天才・平賀源内。一方で、田沼意次や松平定信、一橋治済らが蠢く政治の世界があって、興味の尽きるところがありません。
——大河ドラマは「おんな城主 直虎」に続いて2度目ですね。
「直虎」を書くとき、NHKの方に「大河ドラマって、何をもって大河なのでしょうか?」とお聞きしたら「“祭り”です」と答えられました。そもそも大河ドラマの始まり(第1作「花の生涯」1963年)はテレビドラマがバカにされていた時代、「こんなものに名のある人は誰も出ない」と言われる状況下で、それでも「なにくそ」精神で大スターをキャスティングして派手に始めたとのことでした。
だから、歴史の移り変わりや、その中で人がどう生きたかを描くことも大事ですけど、やっぱりこれは“祭り”なんだ、という心意気は忘れずにいたいと思っています。歴史を紹介する番組ではなく、エンターテインメント作品にしないと、結局、誰も見てくれないので。

——2度目ならではの意気込みはありますか?
意気込みなど見失ってしまうぐらい、史料の海に溺れております(笑)。「直虎」のときと圧倒的に違うのは、何しろ出版の話なので、史料が山のようにあるんです。出版は時代を映すものなので、今回はさらに“時代感”をプラスしたいです。その時代がどういうふうに動いたのかを描くことは、今の私たちが生きる指針にもなるので。
登場人物が戦っているものは、現代の私たちと変わりがない
——「べらぼう」の舞台となる江戸時代中期について、どのように捉えていますか?
戦国時代のように、きょう明日敵に襲われるとか、生死をかけた戦が国中で起きているとかではない世の中ですが、そこには“お金の戦い”であったり、“見栄の戦い”であったり、“承認欲求の戦い”があります。この「べらぼう」の中で登場人物が戦っているものは、現代の私たちが戦っているものと、あまり変わりがないのではないかと思っています。
——江戸時代を描きながらも、現代を投影するということでしょうか?
人と人との関係性や、人間が世の中で起こすことは、あまり変わらないと思います。有史以来ずっと戦争があって、未だに戦争をしているじゃないですか。これだけ悲惨なものだと分かっていても、戦争をやめる方法ひとつ知らないのが人間だと思うと、今も昔も全く変わっていません。
それに「べらぼう」の時代って、現代社会とすごく似ているんです。経済を何とか立て直そうとしていたところに、噴火や冷夏などの異常気象による災害が起きて、まさかの「米がない!」という事態を引き起こし、お金の問題から政権交代にまで繋がってしまって……。
「これって私たちが去年から経験していることなのでは?」と感じるくらい、よく似ているなと思いながら、台本に取り組んでいます。

——蔦重について、どういったところに魅力を感じていますか?
「彼がどういう人だったのか」をイメージするときに、狂歌師の宿屋飯盛として知られる石川雅望が書いた墓碣銘に、「蔦重というのは陶朱公のように生きた」という記述があるんです。
陶朱公というのは范蠡という中国・越の武将なんですけど、戦国の世を戦った後に商人になります。武将のときは知略を巡らしてエグい戦い方をしていた人なのですが、商人になってからは、儲けては周りの人の面倒を見て、行く土地行く土地を繁栄させていきました。蔦重はそういうふうに生きた、と書かれていて、「いやー、なんてかっこいいんだろう」と。
蔦重が作ったものは現代にもたくさん残っていますが、どれも明るくて洒落ていて、笑いのセンスもすごくあるんですね。もちろん本を完成させたのは蔦重だけの力ではなかったと思いますが、商才もあって、センスもあって、「そんなふうに生まれたかったぜ、私は」と思います(笑)。
——黄表紙や洒落本、錦絵など、蔦重が作った当時のエンタメについてはどのように描きますか?
限られた時間のなか、勉強できる範囲で読んでいますが、特に黄表紙に関しては、すごくシュールで、発想も自由で、めちゃくちゃ面白いと感じます。だから、できる限り描きたいとは思っていますが、作品の内容そのものを具体的に紹介するのは、なかなか難しい。
蔦重はプロデューサーなので、「なぜそれを作ったのか」「どうやって作ったのか」が、“蔦重の物語”なんです。だから、作品一つ一つの全貌をドラマの中で語り尽くすことはできません。もし視聴者の皆さんがご存じの作品が出てきたときには、「これ、本当はこんなに面白いんだよ」と、SNSなどを使って世間に広めていただけたら。本当に面白い作品がたくさんあるので、ぜひお手伝いください。

——前半では、蔦重が地本問屋に立ち向かうビジネスの戦が主に描かれていました。
ビジネスの戦を描くには、“コンテンツ”と“やり口”が大切だと思っています。みんなが欲しがる“コンテンツ”——面白い本を作らなくては始まりませんが、いろいろな縛りのある時代に地本問屋の掟に立ち向かうには、売るための“やり口”——流通や広報もすごく大事で、蔦重は「どうやったら縛りをすり抜けられるか」を必死に考えていたと思うんです。
作品として良いものを作ったとしても、“やり口”がまずいと結果につながらないこともある。それはドラマ作りでも同じことと、自戒を込めてしっかり描きたいと考えています。
蔦重と瀬川の真ん中にあるのは吉原という街への愛着で、それを突き詰めると、ふたりは別れるしかない
——吉原を描くときに気を付けていることはありますか?
女郎も、女郎を買う人も、それで飯を食っている人も、それを生み出したのも、すべからくそこらへんにいるであろう人である、というところは忘れないようにしています。結局はそれが一番大事かつ厄介なことだし、ドラマで表現することの意味かな、と。
歴史の中で、吉原をなかったことにはできません。今の価値観から見て「どうなんだ」という意見は当然あると思いますが、あったものはあったものとして、光の部分も影の部分もできるだけフラットなスタンスで描けたらいいなと思っています。吉原で生きていた人たちにはどういう選択が許され、どういうふうに生きたのかを大事に描きたいです。
——蔦重と瀬川(小芝風花)の恋模様は、瀬川が身を引くことで幕を閉じました。
ふたりの真ん中にあるのは、吉原という街への愛着——愛着と表現するには辛いこともいっぱいありましたが——自分が生きてきた場所に対する愛情だったのだろうと思っています。それを突き詰めると、ふたりは別れるしかないのでは、と考えました。
彼らは市井の人ではありますが、ある意味、「直虎」で描いた「国を思う気持ち」とあまり変わらないんじゃないかなと思って、ふたりの関係を書きました。

——田沼意次(渡辺謙)の人物像については、どのように考えていますか?
武家中心の社会から商人が台頭する社会に変わるタイミングで、お武家さんたちも権威にあぐらをかいているわけにはいかなくなった時代です。田沼意次は、“もうひとりの蔦重”と言ってもいいように成り上がり、生き抜いてきた人だと思っています。
意次は、経済システムをいじりまくっているんです。要は、米を経済の主体にしていたところから、金を主体にする世の中に変えようともがいて、最後には今の国債の原型みたいなものまで出している——。けど、有体に言えば失敗したんですね、彼の試みは。
ただ、賄賂政治と言われたり、身贔屓をしたり、褒められないところもいっぱいあったけれど、彼はすごく政が好きだった。「こうしたい!」という明確なビジョンや意欲があったと思っていて、彼がもがいた姿はしっかり活写したいと思っています。
——今後、写楽も登場すると思いますが、謎めいた存在をどう描写するつもりですか?
私にとっての写楽の謎は、彼が誰なのかということよりも、その出し方です。なぜ蔦重があの時期に写楽を出し続けたのか。画期的といえば画期的なのですが、売れたか売れなかったかで言うと、結果としては失敗なんですよね。売れなかったのに出し続けたから、写楽画は多いんです。
人生も最後になって、しかもお金もない時期に、なぜ蔦重はそんなことをしたのか、ものすごく不可解なものを感じています。私自身まだ整理ができていないところもたくさんありますが、このときの蔦重はプロデューサーとして一体何を考えていたのか、何を狙っていたのか、そこに最大の謎を持っていきたいと考えています。

今の世の中にも、蔦重が潜り込んだような隙間がどこかにあるはず
——「べらぼう」を通して、視聴者にどんなことが伝われば良いと思っていますか?
今の世の中、格差だとか頭打ちだとか言われて、日本人があまり元気のない状態だと思います。けれども、困難に直面したときに膝を抱えたままではダメ、人を責めてもダメで、蔦重のようにチャンスを見つけようとすべきだと思っています。自戒も込めて。
蔦重が潜り込んだような隙間がどこかにあるはずで、昭和っぽいかもしれませんが(笑)、「すり抜けろ!」「生き抜け!」という気持ち、したたかさを伝えられたらと思っています。