徳川吉宗、家重、家治(眞島秀和)と三代の将軍に仕え、晩年には15年にわたって老中首座を務めた松平武元。改革を急ぐ田沼意次(渡辺謙)を嫌いながらも、家基(奥智哉)の不審死については意次の潔白を信じる懐の深さを見せたが……。第15回で急死した武元の役柄について、石坂浩二に聞いた。
武元の発言には常に裏がありそうで、これまで演じた役と比べても難解だった
——松平武元という人物に対して、どんなイメージを持って演じていらっしゃいますか?
彼はいわゆる“政治家”ですね。ただし、選挙で選ばれたのではなく、密室で行われる政治で、うまい具合に立ち回って上がってきたタイプの人間です。いつの時代にもいますけど、「前に進もうとすると破綻するぞ」「ここで踏みとどまるのが一番だ」と言って、慣例を守ることには賛同するけど、新しい試みはすごく嫌がる(笑)。
あと、自分にも他人にも“集団意識”を求めます。そんなイメージを持って役作りをしたので、セリフのテンポや声の高さを工夫しました。これまで演じた役と比べても、武元は難解でしたね。彼の発言には、常に「何か裏があるだろう」と思わせるものがある。そして、そう感じられるよう演じたつもりです。いまの政治家にも似たような人がたくさんいますし(笑)。

——武元は政治家として何を目指していたのでしょうか?
簡単に言えば、将軍の権力をより確固たるものにすることです。そのために「将軍のおかげで太平が保たれているんだぞ」と絶えずアピールし、発信し続けてきたんだと思います。当時、お金がものを言う時代になりつつありましたけど、武元としては、シンプルに将軍の権威を強調することしか思いつかなかったのではないでしょうか。
武元は老中首座でしたから、誰かが自分を罰するわけでもないし、本当は何もしないで座っていてもよかったんだけど、そうはいかない爺さんなんです。慣例の通りにやらない奴は叩き潰そうと思ってしまう。保身じゃないんですよ。使命感でそう動いてしまうんです。
——友だちにはなりたくないタイプですね。
私は話を聞いてみたいですね。たぶん面白いはずです。雑誌に載っている政治家のインタビューなんかも面白いじゃないですか。いつの時代も、人間はそんなに変わらないと思うので。
田沼がやろうとしたことは革命のようなもの。大勢の仲間が必要だったが、後ろ盾は将軍の家治だけだった
——田沼意次という人物にはどのような印象をお持ちですか?
田沼については、再認識、再評価の時期に来ていると思います。たとえば彼には金権政治のイメージがありますけど、一方で、金本位制のきっかけをつくった人物でもあります。お米ではなく、貨幣を軸にした経済にしようとした。これは、私が「元禄太平記」(1975年)で演じた柳沢吉保も実は考えていたことなんです。

——彼らは先進的な政治家だったということですね。
そうですね。ただ、先進的なアイデアを実現するには、革命のようなものが必要になります。そのためには大勢の仲間が必要だったんだけど、田沼についてくる人はあまりいなかった。後ろ盾は10代将軍・徳川家治(眞島秀和)だけ。だから、次の将軍になるはずだった家治の息子・家基が死んでしまったショックはすごく大きかったと思います。
——ドラマでは、武元と意次が激しくやり合いました。
「裏金があったっていいじゃないか」という田沼に対して、武元は「そんなことはけしからん」と言うのですから、きっと「西の丸のうるせえ白眉毛め」と思われていたことでしょう。そういう世代の差みたいなものが出せればいいなと思って演じました。
渡辺さんは非常に先鋭的な演技をなさっているし、視聴者の皆さんには、私とのやり取りはかなり面白かったのではないでしょうか。ただ、とにかく喋る量が多いから大変でしたね。もっと簡単にいじめられないかと思っておりました(笑)。
それにしても、今回の田沼のキャラクターはとてもよく描けていますね。この時代の人物で、皆さんがよく知っているのは田沼意次でしょう。だから、もしかしたら蔦屋重三郎から入っていくよりも、田沼から入っていったほうが、時代をより理解できるかもしれません。
史実から大体の展開はわかっていても、「この話とあの話が繋がるんだ」とワクワクする
——蔦屋重三郎という人物については、以前からご存じでしたか?
知っていました。謎の多い人ですよね。だからこそドラマになるんでしょうけど。すごく発想力のある人物だと思います。彼が浮世絵バブルを生みだしたわけですが、そういう意味では、1980年代終盤の日本を彷彿とさせるところがある気がします。
——ちなみに、浮世絵はお好きですか?
昔から好きです。昭和の浮世絵はかなり持っているんですが、江戸時代の浮世絵は、本物は高くてとても買えません。桁が3つくらい違います。でも、昭和の浮世絵もだんだん値上がりしてきていますから、買うならいまのうちですよ(笑)。

——蔦重役の横浜流星さんとの共演はありませんでしたね。
私も吉原のセットに行ってみたかったのに、残念です(笑)。吉原遊郭が廃止になったのは、私が高校生のとき。1958年でしたか。「行ったことがある」という先輩もいました。
出来上がった作品を見ると、吉原側と幕府側の両方がいっぺんに出てくるじゃないですか。史実から大体の展開はわかっていましたが、それでも改めて「この話とあの話が繋がるんだ」とワクワクしました。
技術の進歩によって、大河ドラマに新しい表現が生まれた
——大河ドラマへのご出演は10回目になりますが、変化はありますか?
私が最初に出演した「太閤記」(1965年)はまだモノクロで、「天と地と」(1969年)からカラーになりました。複数のカメラをスイッチングで切り替えながら収録するんですけど、1シーンを最初から最後まで止めずに通しで撮影していたんです。そのため、リハーサルも2、3日かけてやっていました。
今ではずいぶんやり方が変わって、1シーンを数ブロックに分けて撮影したり、同じシーンをカメラの配置を変えて何度も撮ったりするようになって……。特に、今回はリハーサルもありません。技術の進歩によって、「細かく編集してみよう」「前とは違う映像にしよう」と、大河ドラマにも新しい表現が生まれたのでしょう。
面白いなと感じるのは、若い人たちの演技や立ち居振る舞いも従来の時代劇とはちょっと違うんです。一方、私は年寄りなので、従来の時代劇風です。スタジオの中で断然年上ですから、誰にも負けないですよ(笑)。

——白い眉毛のメイクが印象的です。
昔なら、こんな長い眉毛をつけたら途中で取れちゃったと思いますが、いまは1日中つけっ放しでも大丈夫。これも技術の進歩のおかげですね。もう自分の眉のような感じです(笑)。
NHKは4K8Kの高画質にも対応しているのでメイクさんは大変です。前回、「江〜姫たちの戦国〜」(2011年)のときは千利休役だったから、「頭を剃っちゃえばいいや」と簡単だったんですけど、今回はカツラをつけています。以前はカツラの境目がどうしても目立ったのに、今では全くわからない。素材の進歩もすごいなと思います。
歴史の重要な転換期という点では、現在の日本にも通じる
——台本を読んで、どのようにお感じになりましたか?
過去の大河ドラマでも様々な時代設定、様々な人物設定がありましたけど、それらと比較しても、ちょっと異色だなと感じました。
江戸時代も後期になると、幕末以外はほとんどドラマの舞台にならないですよね。なぜなら大きな事件がないし、それぞれの将軍のイメージも弱い。試験にも滅多に出ないから、みんな勉強しなくて歴史の抜け穴になっている。だからドラマで描かれるのは8代将軍の吉宗止まりでした。
ところが、今回はそこから2代、3代あとですからね。かなり異色ですが、私はこの時代を取り上げたことにすごく感心しました。

実はこの時代って歴史の重要な転換期なんです。安定した時代が終わって、幕末に向かって混迷を深めていく、ちょうど変わり目で、幕府は金銭的に行き詰まってきている。借金をする武士が多くなって、金貸しが力を持つようになった。その金貸したちが武装したら大変だと、なんとか食い止めているような状況でした。そういう転換期を、よくぞ取り上げたと。
この時代は、どこか現在の日本と似ている気がしますね。何かきっかけがあれば、一気に破綻してしまいそうな気配がある。一方で、庶民による新しい文化がどんどん生まれる時代でもあります。いまは、コンピューターが発達して、個人が自由自在にものを作ることできますよね。蔦屋重三郎のような個人が活躍した時代と、何か通じるものがあるように思います。
新しく生まれてくる庶民の文化に対して、江戸幕府がどう対応したのかは、興味深いところですね。お上がどう取り締まり、一方で戯作者や本屋がどう抜け穴を見つけていったのか。そんなところも、今後のみどころだと思います。