夏が来れば思い出す。あの球場でのこと。
夏の高校野球、甲子園を目指す地方大会のラジオ実況。3試合ある1試合目の担当が私。第2、第3試合は先輩アナウンサーの2人が実況することになっていた。狭い放送席に音声担当の技術さん、スコアを記録する大学生アルバイト、担当ディレクター、それに実況の私の4人。クーラーなし。もう熱気ムンムン。試合は終盤、「さあこの試合、9回を残すだけとなりました!」。私も改めて気持ちを引き締めてコメントした。
ふと振り返ると、ディレクターの横に人が立っている。放送部長だった。唇が真一文字になっている。なんで? 何か不適切なコメントを言ってしまったのかと不安になった。すると放送部長はおもむろに私の肩に手をかけた。そしてひと言。
「後の試合もよろしく頼む」
ん? どういうこと? 先輩アナたちは? 合点がいかない。そのときディレクターが耳元でささやいた。
「食中毒だって!」
実は、前日も球場での高校野球の実況があった。担当試合の合間にそれぞれがお弁当を食べた。先輩アナが私に言った。
「哲也、アワビ食べたか? あんなうまいものを食べたことないだろう」
得意げだった。確かに私は「アワビの煮付け」たるもの、目にするのは初めてのこと。
「でも、ちょっと変な臭いがしたので食べませんでしたよ」
これが運命(?)を分けた。どうも先輩2人ともアワビを食べたらしい。この日、朝から体調を崩し球場へ来られなくなったのだ。
私は第2、第3試合とも続けて実況することに。試合の資料はチームのオーダーだけ。焦った。しかしこれが実に勉強になった。「試合の資料はグラウンドに転がっている」の先輩の言葉はそのとおりだった。不思議にゲームに集中できた実況になった。
試合ではグラウンドに目を凝らし、弁当には鼻を利かせること。ご用心、ご用心!
(やまもと・てつや 第5水・木・金曜担当)
※この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年7月号に掲載されたものです。
最新のエッセーは月刊誌『ラジオ深夜便』10月号でご覧いただけます。
購入・定期購読はこちら
10月号のおすすめ記事👇
▼大江裕が語る師匠・北島三郎
▼90歳を超えても現役でいたい!中村梅雀
▼俺は漁師でピアニスト!
▼全盲のヨットマン・岩本光弘 ほか