どうも、朝ドラ見るるです。

今回は、緊急特別編。信じたくない、突然の花岡の死。しかも餓死……。一体なにがあったの? どうやら、当時の日本の状況が深く関係している様子。NHK解説委員の清永さんに詳しくお話を伺います。

実際に起きていた判事の餓死──食糧管理法担当の山口良忠判事

見るる 花岡の餓死の知らせに驚いて、悲しくて仕方がありません……。

清永さん このエピソード、ドラマの完全オリジナルではありません。同じ時代に似たような事案が起きていて、それを参考にしています。

1947(昭和22)年10月、花岡と同じように「食糧管理法」違反事件を担当していた判事──つまり、闇市やみいちなどで不法な取引をした人を裁く立場にあった裁判官が、栄養失調で亡くなりました。佐賀県の生まれで、京都帝国大学出身の山口よしただ(1913〜1947)さんという方です。

見るる 佐賀県! お生まれが花岡と一緒です。

清永さん そうですね。山口判事が高等試験司法科に合格したのは、昭和13年の試験。つまり三淵さんと「同期」です。合格者を伝える官報にも三淵さんの旧姓「武藤」嘉子さんと、山口良忠さんの名前が書かれているのがわかります。

昭和13年の高等試験司法科の合格者一覧の中に、「武藤嘉子(三淵嘉子の旧姓)」と「山口良忠」の名がある(官報[昭和13年11月5日]より)。

清永さん ただ、三淵さんが山口判事について言及した記録はなく、2人に面識があったのかどうかは不明です。また山口判事の出身大学は明治大学ではないので、トラコのモデルであるぶちよしさんと大学で同級生だったという事実はありません。

そして、お父様は弁護士ではなく小学校の先生だったそうですので、あくまで“参考にした人物のエピソード”ということになります。

見るる わかりました。それで、花岡や山口判事が担当していたという「食糧管理法」って、戦時中の食べものを規制したり、配給したりするための法律ですよね? 戦争は終わったのに、まだその法律は必要だったんですか?

清永さん 食糧管理法が制定されたのは1942(昭和17)年。太平洋戦争中、食糧(主に米)の不足を理由に、食糧の需給と価格の安定を目的に作られたものでした。しかし、戦争が終わってからも、しばらくの間、配給制度は続いていたんですよ。というのも、食糧不足は、むしろ戦後のほうが深刻だったそうですから……。

見るる そうなんですか。たしかにドラマの中でも、終戦したからって急に以前のような生活には戻っていないですもんね。そんな中、いわゆる「闇市」を利用しないっていうのは、そんなに大変なことだったんでしょうか? 違法なんですよね?

清永さん 本来は、そうです。許可なく米などの食糧を取り引きした場合には、食管法違反に問われることになりますから。だからこそ、山口判事は、その法律を司る立場にありながらヤミ米──闇市で違法に手に入れた米を食べることはできないと思ったのでしょう。

1946(昭和21)年10月に東京区裁判所の経済事犯専任判事になってからは、ヤミ米を拒否して、「自分の食事は必ず配給米だけでまかなってほしい」と言っていたそうです。

ただ、実際には、多くの国民がやみで手に入れた食糧を食べずに生きていくのは困難な時代でした。つまり、配給された食糧では、とても足りなかったんですね。それなのに、山口判事は、それすらほとんど、幼い2人の子どもたちに食べさせていた。彼らが栄養失調にならないようにと。

見るる すると、亡くなるまでわずか1年じゃないですか! それほど過酷な食糧事情だったってことですね……。やっぱり当時、大きなニュースになったんでしょうか?

清永さん ええ。東京地裁で倒れたのが8月のことで、それから郷里の佐賀で療養するも回復せず、亡くなったのが10月11日。33歳でした。新聞報道が出たのは11月4日。そこで大きく知られるようになりました。

見るる どんな反響があったんですか? ショックを受けた人は多かったでしょうね。

清永さん 2つの意味で社会に大きな影響を残したと言われています。1つは、国民に「おとなしく法律を守っていたら生きていけない」と実感させたことです。国が取り締まる闇の食糧を食べないと、死んでしまうことが証明されてしまったわけですから……。

一方で、そうまでして法律を守った裁判官への尊敬の念が人々の胸に沸き起こりました。このニュースを知って、裁判所に卵を持ってきた人がいるという話も残されています。

見るる これは花岡の話ですけど、第7週でとどろきたちに向かって言った言葉が思い出されます。「これからは、何も間違わず、正しい道を進むと誓う」って……。

裁判官としての正義感から口にした言葉なんだろうと思ってたんですけど、こういう悲しい結果になってしまうなら、花岡にとっての「正しい道」って、なんだったんだろうって思っちゃいます。

清永さん まさにその問いかけこそ、裁判所内部へ与えた衝撃です。それが2つ目の影響ですね。裁判官とは、法律を守る仕事。しかし、「守ったら死んでしまう法律って何だ?」──そんな問いを、裁判官たちに投げかけたんです。

さらに、この事件によって裁判官の処遇も一気に改善したそうです。要は、裁判官や検事の月給が上がるきっかけになった。それを「山口さんのおかげである」と書き残している当時の最高裁幹部もいます。

また、その後も裁判官の不祥事が明らかになるたび、法律を守って命を失った山口判事のせいれんさは長く語られてきました。

見るる 山口判事の悲しい死が、まるで“美談”として語られるのは、ちょっとモヤモヤしますけど……。この時代だからこそ起きてしまった悲劇であると同時に、法律のあり方についても考えさせられる出来事だったということは、よくわかりました。

ところで、花岡には妻の奈津子さんと子どもたちがいましたけど、山口判事のご遺族は、その後、どうされたんですか?

清永さん 山口判事の奥様は、その後、子どもを育てながら長く東京家庭裁判所の調停委員を務めました。家庭裁判所を支え続け、1982(昭和57)年に他界されました。

見るる そうなんですね。ドラマでも、奈津子さん、また登場するのかな? 花岡と結婚したときは、トラコの気持ちを思うと悔しかったけど、ともに夫を亡くした女性同士、トラコとも支え合えたら、って思います。

参考文献:山形道文著『われ判事の職にあり』(文藝春秋刊)


清永聡(きよなが・さとし)
NHK解説委員。1970年生まれ。社会部記者として司法クラブで最高裁判所などを担当。司法クラブキャップ、社会部副部長などを経て現職。著書に、『家庭裁判所物語』『三淵嘉子と家庭裁判所』(ともに日本評論社)など。「虎に翼」では取材担当として制作に参加。
※清永解説委員が出演する「みみより!解説」では、定期的に「虎に翼」にまつわる解説を放送します。番組公式サイトでも記事が読めます。
2024年5月21日放送の『みみより!解説「虎に翼」解説(3)女性弁護士と戦争』はこちらから(NHK公式サイトに移ります)。

取材・文/朝ドラ見るる イラスト/青井亜衣

"朝ドラ"を見るのが日課の覆面ライター、朝ドラ見る子の妹にして、ただいまライター修行中! 20代、いわゆるZ世代。若干(かなり!)オタク気質なところあり。
両親(60&70代・シニア夫婦)と姉(30代・本職ライター)と一緒に、朝ドラを見た感想を話し合うのが好き。