1976年に放送が開始され、美術好きにとっては唯一無二と言っても良い「特別な場所」を占めている人気番組、「日曜美術館」。私もずっと見続けているが、7月10日に初回の放送があった「杉本博司 江之浦測候所奇譚(きたん)」は鮮烈な印象と深い魅力があり、とりわけ素晴らしかった。
長年、現代美術家として活躍する一方で、日本の古美術の収集を続けてこられた杉本博司さん。その原点には、若き日にニューヨークで古美術店を営んでいたという体験がある。
一方では古来の美を探求し、他方では大胆な発想で斬新なアート作品を生み出す。まさに、美の絶えざる「温故知新」。そんな杉本さんの生涯のいわば集大成が、紹介されていた「江之浦測候所」。
かつてみかん畑だった小田原市江之浦の地につくられた杉本さんの巨大なランドスケープ。建築と、石と、古美術と、庭と。すべてが一体となってつくりだす複雑で豊かな「作品」の魅力を、番組はドローン空撮なども交えて余すところなく伝えていた。
番組MCである作家の小野正嗣さんが現地を訪れることから杉本さんとの対話が始まる。フランス文学に通暁し、ご自身も先端的な小説を書く小野さんが、いわば芸術家どうしとして杉本さんと重ねる言葉の響きが興味深かった。
「江之浦測候所」という一風変わった名前は、この作品と太陽との特別な関係に由来する。一年に一回、夏至の日と冬至の日に、それぞれ太陽の光が通り抜ける特別な隧道が用意され、全体を構成する重要なモティーフとなっている。この発想は、アイルランドにある先史時代の遺跡、ニューグレンジと響き合っている。人間と自然の関係の根源を求め、「美」を通して魂の旅を続ける杉本ワールドが次第に深堀りされていく。
NHKならではの、豊富なアーカイブを用いた編集が惹きつける。1985年放送のNHKニュース「若手天才カメラマン杉本博司」のクリップ。精気と自信に満ちた杉本さんが、あたかも遠くを見つめるかのような表情で着想を語る。その視線の向こうには、すでに「江之浦測候所」が見えていたのだろうか。
子どもの頃、「この世は存在するのか?」という疑問が心を離れなかったという杉本博司さん。「在ること」の根底にある「ゆらぎ」を感じさせる表現を世に問うてきた。古代人が見たのと同じ風景を求めて、「海」と「空」が中央線を挟んで向き合う杉本さんの代表作「海景」シリーズ。博物館の動物たちのディスプレイを、まるで野生の一瞬のように撮影した「ジオラマ」。2時間の映画が投影される間シャッターを開きっぱなしでとらえた「劇場」。はっとさせる新しい発見の中、心に映った世界の「ひな形」が、そのまま「アート」に昇華する。そんな杉本作品の積み重ねの先に、「江之浦測候所」が立ち現れる。
神は細部に宿る。奇跡のような経緯で再現された十三重の塔や、明恵上人の夢日記の掛け軸。丹念に編集された映像を眺めて、時代を超えた魂の響き合いに包まれる。そうやって杉本作品の根源に触れているうちに、テレビというメディアが到達できる最高の芸術体験が生まれた。
自分の作品の完成、竣工日は「五千年先」なのだと、悠久の時間感覚を語っていた杉本博司さん。「江之浦測候所」のありさまをつたえる「日曜美術館」の意義も、ひょっとしたら10年後、20年後に定まってくるのではないか。そう思わせる充実した内容だった。
1962年、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て、「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究。文芸評論、美術評論などにも取り組む。NHKでは、〈プロフェッショナル 仕事の流儀〉キャスターほか、多くの番組に出演。