2021年4月4日に95歳で亡くなったはし​田​壽​賀​子さんは、連続テレビ小説「おしん」、大河ドラマ「おんな太閤記」(ともにNHK)をはじめ、「渡る世間は鬼ばかり」(TBS)など数々のヒットドラマを生み出してきました。4月10日にご自宅のある静岡県熱海市より、その功績をたたえ名誉市民の称号が贈られています。2020年3月に熱海市でお話をうかがった「わたし終いの極意」を追悼掲載します。
聞き手 遠田恵子

■嫌な人は嫌、好きな人は好きと言う

——2020年で95歳を迎えられますが、実感はありますか。

橋田 私は20歳でも95でもあまり関係ないんですけど、体はやっぱり年を取ってきますね。前は階段をちゃんと上がれないと「衰えてきたんだ」と落ち込みましたけど、今はそれが当たり前だ、とのんきになりました。

ただ少しでも元気でいようと思うので、月・水・金に1時間ずつ個人トレーニングに行っています。食事もお手伝いさんがちゃんと注意してくださってるし。塩分控えめ、体重も増やさないように、でもおいしいもの食べたいなんて大変ですから(笑)。

——それはそうですね。

橋田 このごろは好きなものも食べないで長生きしてもしょうがない、好きなもの食べて、好きなとこ行って、嫌な人は嫌、好きな人は好きって言って、勝手に暮らしております。前は嫌いな人にも「笑顔を見せないと仕事くれないんじゃないか」と思いましたけど、そういうのもなくなり、今、すごい幸せです。

——お顔の表情からも、伸び伸びしてらっしゃるご様子がうかがえます。90歳がご自身の老化を考える節目だったそうですね。

橋田 はい。やっぱり足や膝が痛い。それにこれまでせきちゅう​管かん​狭きょう​窄さく​症しょうで手術を2回しましたが、90すぎたらもう手術できない、と言われて、これも年なんだと思いました。

80代は、まだ元気でした。クルーズ船の旅が大好きなんですが、行き始めたのが80代の頭。それから世界一周も4度しましたし、南極へも2度行きました。それが90になって急に痩せてきたり、病気になったりしてね。


■いろんな人に助けられて生きている

——終活されたのは80歳だったとか。何かきっかけがあったのですか。

橋田 ああ、80っていったらもうおばあちゃんなんだ、と、急にせかされた気になってやりました。いらない本や洋服、いろんなもの捨てて、ハンドバッグも何十と売りました(笑)。ちょっとしたものですけど、住んでいる熱海市へ寄付もしました。でも今は、片づける元気もなくて、残ったものは死んだあとに誰かがやってくれるだろうと思っています。

私は身寄りがないのでお葬式はしないとか、納骨はここへとか、そういうことまで決めてお願いしてあります。「橋田文化財団*」を設けているので、財産や自分の作品などは、全部そちらに贈る手はずにしてあります。最後に残るこの家は、売ろうが誰かが住もうが、後のことは知りません(笑)。

…放送文化に関する活動の奨励と新人の育成を目的に橋田さんが設立。「橋田賞」を創設。

——終活にかかった期間は。

橋田 ひと月もかからなかったですね。お手伝いの方が毎日何人か来てくださっていて、その方々がちゃんと整理してくださった。そうでなければ、私一人ではとてもできませんでした。この家もいつもちゃんとしてくださっていますし、ありがたいと思ってます。

ですから身寄りがなくても、いろんな人に助けられてるなという気がします。もし本当に1人だったら、とっくに死んでたかもしれません。年取って人のお世話になるようになると、誰と巡り合えるかって大事なことですね。私はいい方に巡り合えてよかったです。


■船旅での経験は脚本の参考にもなる

——クルーズ船での旅が趣味とうかがいましたが、どんなところが魅力ですか。

橋田 よく皆さんに「何で船旅に行くの?(熱海の家でも)愛してる海がいっぱい見えるじゃない」って聞かれるんですよ。でもこの海、景色が動かないのよねって答えるんです。船に乗ると動きますから。

私たちの世代はね、青春は戦争中だったから外国にもどこにも行けなかったんです。そのときの気持ちがずっとくすぶっていて、今でもどこかに行きたい、海外に行きたいという願望があるんですね。戦争中の屈折した気持ちがいまだにあって、それを満たそうとしているんだと思うんです。

家にいると、知らない人にはあまりお目にかかれませんが、船に乗るといろんな方が同乗してらっしゃるんですよ。いろんな人生を過ごしてきた方々と船の中だけでも仲良くして、お話をうかがっているとおもしろいんです。さまざまな人生がこんなにあって、自分の知らない世界を持った人と袖すり合える。これはすごく楽しいです。私、人嫌いだけれど、船旅は長くつきあう必要がないところも気楽なんですよね。

これまで、業界の人しか知らない世界にいましたが、船旅をするようになって、いろんな世界の方と顔見知りになりました。

この間の旅では、14、5人の大家族で乗船されている方々にお会いしました。そこの奥様が、「これは生前葬なんですよ」っておっしゃるんです。年を取って死ぬときは、孫なんか来てくれないかもしれない、だから今のうちに生前葬したら孫も参加してくれるし、とお考えになったそうで、親族皆さんで旅行されているそうなんです。

そういうことを経験するようになって、長生きするのもおもしろいと思えるようになりましたね。ドラマのタネにもなるし。

——では船旅に行くために、いつまでも元気でいなければいけませんね。

橋田 でも去年の2月の旅では船内で下血しちゃって。ベトナムで船から降ろされて、現地の病院に4泊くらいして、飛行機で帰ってきたんですよ。もうつらいからこのまま、もうスーッと血の気がうせていくまま死なせてくれたらいいなと思ったんですが、輸血していただいたから生きられたんですよね、また。

——それは生かされた、ということですよね。

橋田 そうですね。だから「ベトナムさんありがとう」です。

もしあのとき死んでいても何も思い残すことはなかったんですけど、生き延びたわけですから、好きなことをしないとね。というと、やっぱりクルーズなんですよ。
(後編へ続く)
※この記事は、2020年4月15,22日放送「ラジオ深夜便」の「わたし終いの極意」を再構成したものです。
(月刊誌『ラジオ深夜便』2021年7月号より)

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