月刊誌『ラジオ深夜便』にて、2022年4月号より連載している「渡辺俊雄の映画が教えてくれたこと」をステラnetにて特別掲載。「ラジオ深夜便」の創設に携わり、現在「ラジオ深夜便」の「真夜中の映画ばなし」に出演中の渡辺俊雄が、こよなく愛するラジオと映画を熱く語る。

前回は『笛吹童子』の話が中心でしたが、その続編とも言うべき『べにじゃく』もNHKラジオドラマの映画化で空前の大ヒットを記録、引き続き主役をつとめた中村錦之助はとにかく知名度を上げろ、という東映の方針でほとんど休みなく出演を続け、映画デビューを飾った1954年には18本、その後も毎年10本以上に出演し日本映画全盛期に貢献しました。

1958年が日本映画のピークで当時の観客動員数は11億2700万人、現在の約10倍にあたります。

『紅孔雀』で忘れられないのは「心眼を鍛えよ」です。中村錦之助の主人公が妖術に惑わされた時、大友りゅうろうしっします。

「お主の剣は正剣、敵は邪剣。なのに勝てぬのは心眼を鍛えておらぬからじゃ」。

「なるほど!」とよくわかりもしないのに近所の子どもたちとのチャンバラごっこでは、「心眼を鍛えよ」が流行しました。
これは『めつやいば』の「全集中の呼吸」やブルース・リーの「考えるな、感じろ」に通じるもので、男の子はこうした極意みたいなものに妙に憧れるものなのです。

こうして、東映チャンバラ映画によって映画 館通いの快感に目覚めた私でしたが、さらに衝撃的な作品と出会うことになります。

『オズの魔法使』です。地元・三軒茶屋の映画館は邦画中心で、小学校に上がる前の私には松竹の小津安二郎監督や東宝の黒澤明監督、女性映画主流の大映作品は敷居が高く、日活は不良が見に行くものと言われていました。
洋画というものがあることは知っていましたが、玉電(東急玉川線)に乗って渋谷に行かなければ見られないので、父親に懇願して連れて行ってもらったのです。

映画が始まってすぐ、竜巻に家ごと飛ばされた主人公ドロシーが外に出ると、モノクロームだった画面が鮮やかなカラーに変わります。この瞬間、私は映画のとりこになったのです。映画という別世界に完全に入り込んだという感覚は、その後2万本近い映画を見てきましたが、『オズの魔法使』と大学時代に見たフランス映画『さすらいの青春』(1969年)だけだと思います。

『オズの魔法使』については、映画の勉強をするようになって、あれっ? と気づいた事があります。製作年が1939年なのに私が見たのは確かに1954年12月。

このタイムラグを生じさせたのは戦争でした。歴史を調べると、1939年に外国映画の配給統制が始まっています。
この年はアメリカ映画の当たり年、『風と共に去りぬ』『駅馬車』『オズの魔法使』などの名作がアカデミー賞を競った年です。このうち、戦前に公開されたのは開拓時代の西部を舞台にした白黒映画『駅馬車』だけ。

『風と共に去りぬ』は1952年、『オズの魔法使』は1954年まで公開されませんでした。 豪華なカラー映画を見せることは、敵国の優秀性を国民にみせつけることになると危惧したのでしょう。

1941年にはNHK語学講座も放送中止、アメリカ映画の上映も禁止されます。 朝ドラ「カムカムエヴリバディ」が描いた時代です。映画は国境や民族を超えて相互理解に役立つ最高の芸術だと私は信じています。どうか再びこんな不幸な時代が来ませんように……。

渡辺俊雄(わたなべ・としお)
1949(昭和24)年、東京生まれ。’72年NHKにアナウンサーとして入局。地方局に勤務後、’88年東京ラジオセンターへ。「ラジオ深夜便」の創設に携わったあと、アナウンス室を経て「衛星映画劇場」支配人に就任。「ラジオ深夜便」の「真夜中の映画ばなし」に出演中。

(月刊誌『ラジオ深夜便』2022年5月号より)

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