鳥山検校(市原隼人)に身請けされ、妻・瀬以となった瀬川だが、不当な高利貸しを咎められて奉行所に捕縛された検校は、瀬川に離縁を申し伝えた。蔦屋重三郎(横浜流星)と一緒になることに障壁がなくなったと思われたが、瀬川は蔦重のもとを去る。その決断の裏にどんな思いがあったのか、演じる小芝風花に聞いた。
重三の夢が詰まった世界は、私がそばにいると叶わないと気づいてしまった
——第14回で、蔦重と一緒になれることになったのに、なぜ瀬川は身を引いたのでしょう。
それは、検校が金貸しをして色んな人から恨みを買っていたためです。瀬川は検校の妻だったので、世間から見たら「自分たちから毟り取ったお金で贅沢をしているヤツ」なんですよね。ただでさえ重三は市中の地本問屋から意地悪されて仲間に入れてもらえないのに、瀬川のような曰く付きが一緒にいると、重三の夢の妨げになってしまうのではないかと……。
重三から貰った本『青楼美人合姿鏡』を見て、気づいてしまったんです。その絵に描かれている、花魁たちが平和に笑い合うような、重三の夢が詰まった世界は、私がそばにいると叶わないんだと……。
誰かに「お前が一緒にいたら重三の夢は叶わない」とか「別れろ」と言われたわけじゃないのに、自ら身を引くことを決めたのが切なくて……。
10数年も思い続けた人と一緒になれる道があるのに、それでもやっぱり私は重三が本を作る姿が好き、吉原を良くしたいと抗う姿が好き。だから、重三と一緒になりたいという思いに蓋をしてでも、重三の夢を守ろうとしたんだと思います。

このシーン、最初は重三と一緒になるための荷造りだったのに、途中からは重三から離れるための荷造りに変わっていくんです。それがすごく苦しくて……。その後、重三にあてた文を残すんですけど、涙が止まらなかったです。カットがかかっても、いつまでも涙が止まらないぐらい、すごく苦しかったです。
——蔦重のもとを去った後の瀬川は、どこでどんな風に暮らしてると思いますか?
実際の瀬川については記録が残っていないんですよね。色んな説がありますが、何が本当なのかはわからなくて……。
瀬川はたくさん本を読んで知識はあるけど、吉原の外の常識は知りませんし、お金を稼ぐことも簡単ではないでしょう。厳しい時間が多いとは思いますけど、瀬川の「人が求めているものを見抜く力」は、きっと外の世界でも強い味方になってくれるはず。幸せに暮らしていますように、と願うばかりです。
ただ、どこにいても、重三が元気に夢に向かって走り回っていることを願っているんだろうなと思います。どこか遠くの本屋さんで蔦屋の出す本を見かけては、「今も作ってるんだ」と笑顔で見守っている気がします。
いろいろな「あり得ない」が重なって、やっと重三と結ばれた瞬間は、手放しで幸せだった
——小芝さんご自身が心を掴まれたシーンはどこですか?
たくさんありますけど、第9回で、鳥山検校に身請けされることが決まった瀬川が、稲荷神社で重三から身請けを引き止められるシーンは、いろんな感情が渦巻いて、すごく好きです。
ふたりでいる時にはいつもくだけた話し方をする瀬川が、重三から「検校で手を打つこたないんじゃね?」と言われると、「鳥山様は素敵な方でござんすよ」と廓ことばに変わるんです。きっと本心を隠しながら会話をしているんですね。
でも重三が鳥山様の悪口を続けて「ヒルみたいな連中だぞ」と言ったとき、「あんただって、わっちに吸い付くヒルじゃないか!」と瀬川は感情を剥き出しにするんです。これまで、瀬川は自分の苦しさ辛さを重三に見せて来なかったのに、ここで初めて「今までどれだけ耐えてきたか」という本心を重三にぶつけるんです。

すると、「俺がお前を幸せにしてぇの」って、まさか重三の口から出るなんて思ってもみなかった言葉が出てきて……。瀬川にとっては驚きやら嬉しさやら、とても心が動いているのに、甘いモードにはならずに、重三の胸倉を掴んで「心変わりしないだろうね」と言うんです。
この胸倉をつかむお芝居は、台本の指定ではなく、私が監督に提案してやらせていただいたものです。お互いの思いが通じ合っても甘くならずに、男同士の喧嘩みたいに見える方が、ふたりの今までの関係性や“幼なじみ感”が出ていいんじゃないかと思って……。そうやって監督とアイデアを出し合って、丁寧に作ったシーンなので、すごく印象に残っています。
このシーンで私はクランクアップしたんですけど、やっと重三と思いが通じ合う、数少ない幸せなシーンを最後に撮影できたのが、とても嬉しかったです。
——検校から離縁が言い渡された後、蔦重とふたりで「瀬川もの」の物語を考えているときの気持ちはいかがでしたか?
この時が一番幸せだったと思います。絶対にないことだと思っていたので。
恋愛に疎い重三から「俺がお前を幸せにしてぇの」と言われる奇跡が起こりましたけど、その思いを蹴って身請けをされて、二度と会う事もないと思っていましたから……。それに、まさか検校から離縁されるとは思ってもいなかったので、いろいろな「あり得ない」が重なって、やっと結ばれた瞬間だったんです。だから、あのシーンは手放しで幸せだったと思います。

——瀬川にとって、鳥山検校はどんな存在だったと思いますか?
身請けされる前に瀬川が言っていた「稀に見る、いい男でありんすな」というセリフの通り、本当にいい男だと思います。だから重三さえいなければ、添い遂げたかったと思うし、添い遂げられる人ではあったと思うんです。でも、どうしても心の中に重三がいて……。
検校は、ちょっとした声色や仕草で全部を察してしまうんですよね。瀬川が検校と関係を築きたいと思っても、近寄ると心の中を覗かれてしまう。だから上手に心の距離を縮められなくて、そのことで検校が「いつまで客と花魁の関係性のままなんだ」と、モヤモヤを募らせてしまったんだと思います。
瀬川としては、検校とちゃんと関係性を築いていきたかったと思うので、察し過ぎる部分さえなければ、きっと夫婦仲良く暮らせたんじゃないかと思っています。
——検校が離縁を申し出たのは、なぜだと思いますか。
それは、“愛”だと思います。「こんなに頑張っているのに、なぜ瀬以は自分の方を振り向いてくれないんだ」という憎しみに似た感情よりも、「それでも、やっぱり瀬以が望むことを叶えてやりたい」という思いが勝ったのだと思います。
目が見えないこともあって、検校は孤独な生い立ちだったと思います。だから、「好きな人を幸せにしたい」という思いが、人一倍強かったのではないでしょうか。自分が好きな人と一緒にいたいという思いを抑えてまで、好きな人は好きな人といるべきだと考えてくれたのは、検校の真っ直ぐすぎる深い“愛”ゆえだと感じます。

重三の作る本と、重三の語る夢だけが、瀬川を吉原の外に連れ出してくれた
——小芝さんは、瀬川についての魅力をどんな風に捉えていらっしゃいますか。
女郎という境遇のため、絶対に重三と結ばれるわけがないのに、それでも彼の夢が少しでも叶うよう、瀬川という大きな看板を背負って立つところが、すごく格好いいと思います。キツイお客さんを引き受け、1日に何人も相手をしなきゃいけなくなって、どんどん心も体も疲弊しているのに、絶対に重三の前では疲れてる素振りを見せなくて……。
好きな人の前では素直になれないところ、重三に対する瀬川の乙女心が見ていていじらしくて好きです。重三の一言一言に喜んだり、地獄に突き落とされた気分になったり、感情が掻き乱されるので、その機微を逃さないよう丁寧に演じたいと思いました。
——瀬川にとって蔦重がどのような存在だったか、教えてください。
「蔦重はわっちにとって光でありんした」というセリフの通り、女性がその身を削らなければ生きていけない吉原では、重三という存在だけが光だったんだと思います。重三の作る本と、重三の語る夢だけが、瀬川を吉原の外の世界に連れ出してくれて……、だから「この人に出会うために私はここにいるんだ」とまで思える存在だったと思います。
——シチュエーションによって声のトーンや喋り方などを変えていますか?
変えています。重三といる時は江戸っ子のようにラフなトーンの喉から出す声で、お客さんの前にいる時は、ここでしか味わえない特別な時間をお客さんに感じて欲しいと、少し柔らかめにするなど、声の出し方を工夫しました。
花の井から瀬川になった後でも変えていて、格が上がった感じを出せたらと、気高く聞こえるよう意識しました。気高くあればあるほど、華やかであればあるほど、実際の勤めとの落差、残酷さが際立ってくると思うので……。

重三とは「かたじけなすび」のような地口、軽口を言い合っていたと思うんです。第9回で、鳥山検校が瀬川に「遅かりし由良之助」と冗談を言ったのに対し、「御生害(切腹)には間に合いんしたようで」と返したやり取りは、瀬川と重三の普段の関係性に近かったんだと思います。だから、重三が「あれ?」とモヤっとしたのではないでしょうか。
視聴者の皆さんに対しても、瀬川と鳥山検校の距離感が近くなったと感じるきっかけになると思ったので、花魁と客という関係性だけには見えないよう、声のトーンや仕草を意識しながら演じました。
——思い入れのあるセリフがあったら教えてください。
第8回で、重三から「名のある人に身請けされて幸せになってほしい」と言われたときに返した「馬鹿らしぅありんす」という言葉は、とても印象に残ってます。
重三の細見が売れるよう瀬川という名跡を継いで、そのブランドを汚さないよう身を削って頑張った挙句に、重三から言われた言葉が「名のある人に身請けされて……」だったので、「私は何をやってるんだろう」と、本当に馬鹿らしくなって……。勿論、重三への恋心が報われるとは思ってもいませんが、感情的にすごく苦しくなって、印象に残っています。
——第10回で、蔦重から『青楼美人合姿鏡』を贈られた時、どんな気持ちでしたか?
瀬川の絵が載るのは、この本が最初で最後です。花魁のイメージは、夜の街で豪華絢爛に着飾る姿だけど、『青楼美人』で描かれる花魁は日常の姿。お喋りしてる花魁もいれば、瀬川は本を読んでいます。吉原にお客さんとして来ていたら絶対見られない姿で、こんな何気ない日常を描けたのは、重三だからこそだと思います。
吉原という、辛いこと苦しいことがたくさんある世界で、瀬川が大門を出て自由に世界を膨らませられるのは本を読んでいるときだったと思うので、その姿を重三が絵に残してくれたことが、すごく嬉しかったです。

——女郎屋の松葉屋は、花の井、そして瀬川にとって、どんな場所だったと想像されますか?
決して気の休まる場所ではなかったと思います。普段からみんなで一緒にご飯を食べたり、本を読んだりしていますけど、仕事が仕事ですから、ストレスがたまって、その怒りの矛先を周りに向ける人もいたでしょう。それに親父様(正名僕蔵)が優しいようで、目が全然笑ってないじゃないですか(笑)。だから、いつもピリッとする所があったと思います。
——瀬川は子どもの頃に蔦重からもらった『塩売文太物語』を大切にしています。最後には好きな人と結ばれるハッピーエンドの物語ですが、どんな感想をお持ちですか。
「籠の中の鳥」という表現があるように、女郎は吉原の中でしか生きられません。物語のようになれるとは瀬川も思ってはいないけど、朝顔姐さんから言われた「真の事が分からないなら、出来るだけ楽しいことを考えよう」という教えをこの夢物語に託して、心の拠り所にしていたんだろうなと思います。
今の時代にエンターテインメントに関わる仕事を出来るありがたさを噛みしめた
——初めての大河で、印象深かった事は?
実際の花魁は10代から20代前半だそうですので、年齢的には花魁役が来るのはこれが最初で最後かもしれないと思い、出せるものは出し切りたいと、いろいろと研究しました。
花魁ならではの所作や着物の着崩し方、万年寝不足状態の気だるい感じや、着物の開け具合が綺麗に見える角度など、所作指導の先生や衣装さん、メイクさんとすごく話し合って、いろいろ試しながら検証しました。インティマシーコーディネーターの方と話す経験も今回が初めてで、「べらぼう」ではいろいろと勉強をさせていただきました。

——SNSでは花の井や瀬川に対する絶賛の声が多数見られますが、演じきっての感想は?
私自身が花魁を演じることにピンと来ていなかったので、視聴者の皆さんにどう受け止められるのか、とても不安でした。でも、見て下さった方が瀬川の細かな感情まで汲み取って下さる声を見る度に、「伝わった。こだわって良かった」と、嬉しい気持ちになりました。
今までは「元気で明るく自分の正義感に真っ直ぐ突っ込む」という役が多かったので、色気や大人っぽさについては苦手意識がありました。この大きな難題に、今回大河ドラマという場でチャレンジさせていただけたことは、とても楽しく嬉しいことでした。少しでも皆さんの期待に応えられていたなら幸せです。
——瀬川を演じて、小芝さん自身に学びはありましたか?
吉原という柵のなか、恋をするのも命懸けという時代に花魁役を演じたことで、「人の為に生きる」という言葉の意味と深さについて時間をかけて考えることができました。今の時代に、エンターテインメントに関わる仕事が出来るありがたさを噛みしめましたし、自分が幸せと思える道を進まなくては、と大きな勇気を貰いました。
観た方から「面白かった。感動した」と感想をいただくと、どんなにしんどい撮影でも全てが報われる気持ちがします。これからも、お仕事をするときには、少しでもいい作品になるよう頑張っていきたいと思います。
——最後に、瀬川から蔦重へのメッセージをお願いします。
今回、私は辛い選択をしましたけど、それは全てあなたの夢が叶うよう願ってのこと。急に私がいなくなって重三も苦しいとは思うけど、その真っ直ぐさと、皆を良い方に巻き込んで進んで行く強い力で、江戸の町を盛り上げていってほしいと思います。
