
由紀さおりさん(78歳)は小学生のころから童謡歌手として活躍し、1969(昭和44)年に「夜明けのスキャット」でソロデビューしました。1980年代から始めた、歌手で姉の安田祥子さんとの童謡コンサートも人気を集めています。
2024(令和6)年に歌手生活55年を迎えた由紀さんが、音楽への思いとこれからの夢を語ります。
聞き手 遠田恵子この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2025年3月号(2/18発売)より抜粋して紹介しています。
再び向き合った三味線
──歌手生活55年の記念曲「人生は素晴らしい」は、「ありがとう」という歌詞が繰り返されるのが印象的ですね。
由紀 もろ手を挙げて「人生ってすばらしい」という年頃ではないと思い、どう歌うか迷いもありました。でも初めてお客様の前で歌ったとき、「たくさんの別れを経験しなきゃいけない世代になったけれど、芳醇ですてきな時間を共有したすべての人々にありがとうという気持ちで歌えばいい」、お客様にそう気付かせていただきました。
──歌い出しの、別れを思わせるフレーズも奥深いですね。
由紀 ありがとうを伝えたい人がもう目の前にいない場合も多い年頃でしょ? 私自身も二度の離婚を経験し、そういうことを乗り越えての今がある。だから重みのある言葉から始まっているのに共感できます。
──55周年のコンサートでは「新しいわたし」もテーマにしていらっしゃいます。
由紀 これまで一曲一曲を大事に歌ってきたけれど、それだけではドキドキしないような気がするんです。ステージの幕が上がったときのお客様の食いつきが違うっていうのかな。お客様に新鮮な気持ちで聞いていただくには、私自身が新しい何かに挑戦してドキドキワクワクしていないと、と思っています。
──50周年に、観世能楽堂で『夢の花―蔦代という女―*1』の一人芝居にも挑戦されましたね。
由紀 はい。芸者さんで、三味線を弾く役どころでした。母が長唄をやっていて自宅に三味線があり、若いころに習ったこともあったのですが、あまりに難しくてやめてしまって。でも「年を重ねた今、これからも仕事をしていく私に無理なく似合うものを身につけたい」と思ったんです。
歌を長く続けていることに慣れてしまっているのではという反省もありました。ずっと続けるために、もう一度ちゃんと向き合うものが欲しかったんですね。
再び三味線を始め、日本を代表する奏者・本條秀太郎*2先生に教えを請う中で、日々に「よろしくお願いいたします」「お稽古ありがとうございました」と言う謙虚な時間ができました。
未熟な自分を師匠が導いてくださるという関係性とそこに生まれる作法が、もう一度自分に必要なものだと感じたんです。そこから、ステージではお客様に対して謙虚でいたい、ひいては自分の生き方もそうでありたいと思うようにもなりました。
*1 有吉佐和子の小説『芝桜』に登場する芸者・蔦代を描いた作品。*2 三味線演奏家・作曲家。楽派「俚奏楽」を発表し、本條流を創流。
※この記事は2024年11月21日放送「今日を生き切る」を再構成したものです。
姉・安田祥子さんについていって合唱を始めた幼いころのエピソードや、病気やけがとの向き合い方、日々のトレーニングなど、「前しか向いていない」と語る由紀さんのお話は月刊誌『ラジオ深夜便』3月号をご覧ください。
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