男性コーラスグループ・ボニージャックスのリーダー・玉田元康さん(90歳)は、最愛の妻やメンバーとの別れを乗り越えて、今も現役で活躍中です。これまでの歩みやチャレンジの日々を、玉田さんが語ります。
聞き手/遠田恵子この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2025年2月号(1/17発売)より抜粋して紹介しています。
生涯の仲間との出会い
──早稲田大学ではグリークラブに入団しますが、何かきっかけがあったんですか。
玉田 うちは姉や妹が音楽の教師になって、彼女たちがよく「ハモろうよ」なんて言って合唱するような音楽的な雰囲気のある家だったんです。僕も声変わりをして低音のバスの声になったので、大学に入ったら合唱をしたいなと思っていました。
──そのグリークラブでお仲間と出会われてボニージャックスを結成します。プロデビューから66年で、いちばんの思い出は何でしょうか?
玉田 やっぱり第1回目のリサイタルかな。デビューから5、6年目でしたかね。初のリサイタル、ということでエキサイトした状態でステージに立って歌ったところ、お客様からすごい拍手をいただいたんです。もう、それまでの疲れが一気に吹っ飛ぶぐらいの達成感でした。
──華やかな芸能活動の一方、私生活では一つ年上の奥様を約10年介護し、見送られました。
玉田 僕が70代後半のとき、かみさんが病院で自分の名前が書けなかったことがあって、認知症だと分かったんです。それから、通所介護(デイサービス)なども利用しながら自宅で介護をしていましたが、症状がさらに進行したため、最終的には特別養護老人ホームに入りました。
そのとき、かみさんは大動脈瘤を抱えていましたが、高齢のため手術はしていなかったんです。結局、入所から約半年後の2018年12月7日、僕が秋田でのコンサートのため羽田空港へ向かう途中、施設からかみさんの呼吸が止まったことを知らせる電話がかかってきまして。ある程度は覚悟していましたけどね、死に目には会えませんでした。
“新しい仕事”が張り合いに
──そこからの時間もまた大変でしたね。
玉田 かみさんが死んだ翌年かな、彼女をみとってくれた施設の求人広告を見つけましてね。年齢制限は70歳で、そのとき僕は85を過ぎていたので15歳もオーバーしていましたが、施設長に「体力には自信があります」とじか談判したんです。面接時には、「僕の得意分野を生かして、入所者のみんなと歌を歌いたい」と伝えたところ歓迎されました。
※この記事は2024年10月30日放送「人生はチャレンジ 90歳のソロデビュー」を再構成したものです。
満州(現・中国東北部)生まれという玉田さん、幼いころの引き揚げ体験から、90歳でのソロデビューまでのお話は月刊誌『ラジオ深夜便』2月号をご覧ください。
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