大阪市出身の久本雅美さん(66歳)は子どものころから人を笑わせることが大好き。20代で家出同然に上京し、憧れの劇団に押しかけ入団。持ち前の個性とバイタリティーで舞台やテレビで大活躍しています。走り続ける久本さんの、“笑い”にかける思いを伺いました。
聞き手/大倉順憲この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2025年1月号(12/18発売)より抜粋して紹介しています。
ヴォードヴィルショーに“一目ぼれ”
──昔からおもしろいお芝居が好きだったんですか。
久本 大阪育ちで、子どものころから人前でおもしろおかしくしゃべるのが本当に好きでしたね。当時人気だったザ・ドリフターズのコントをまねして笑いを取っていました。
高校で朝礼のときにしゃべってばかりいたら、先生に「毎日ようそんなしゃべることがあるな。前に出ろ」って言われて。「日本一のおしゃべりです」って、朝礼台に立たされたこともありました。
──関西ではちょっとおもしろいことを人前で言うと「吉本行け」なんて言われますよね。
久本 そうそう。私も中学時代の三者面談で担任の先生から「進学するか、吉本興業入るか」って言われました。でもお笑いの世界に入る気は全くなかったんです。ただ、母からも「将来、普通の会社員は向いてないから、ほかのことを考えた方がいいんじゃないか」って。娘の性格を見抜いていたんですよね。
当時、ラジオのディスクジョッキーが人気で、「大好きなおしゃべりができるし、かっこいい仕事だな」と思って、短大に通いながらアナウンサー養成学校にも行き始めました。そこで知り合った友達と、吉本興業主催の演芸大会に「暇だし、やってみる?」なんて参加したら、優勝しちゃって。それでもこの世界に入る気はなかったんですよ。
ところがその後、東京に遊びに行ったときに、俳優の佐藤B作さん率いる超人気の東京ヴォードヴィルショー*1の公演を見て、腹抱えて笑って。お笑いにこんな世界があったのかって衝撃を受けましたね。一緒にいた友達の手を握って「私、この劇団に入るわ」って言ったんです。
*1 1973年に結成した、喜劇舞台を上演する劇団。
──劇団にはすんなり入れたんですか。
久本 入団させてほしいと毎日電話してたんですが、「募集はしていない」って断られていました。でも若いときの根拠のない自信とエネルギーってすごいですね。「断られたなら直接行くしかない」って、じか談判ですよ。
忘れもしない雨の日、なかなか勇気が出なくて稽古場の周りを何周もしてね。でも「何しに来たんや、入るためやろう」って自分を鼓舞して、パッとドア開けました。下を向いたまま「東京ヴォードヴィルショーに入れてください!」って大阪弁丸出しで叫んだんです。そしたら中から人が出てきて「毎日電話してきたのはお前か」って言われて、B作さんに面接してもらえることになりました。帰り道にはもう涙が出ちゃった。緊張が解けたらやったことの大胆さに震えちゃってね。
面接当日、もう一人受けに来た子がいたんです。その彼女が「私はスクールに通っていたのでタテができます。ダンスも踊れます」って言うんですよ。「やっべー、私、何にもできないただの素人だ」って思ってたら、B作さんがこっちを向いて「君は何ができるんだ?」って。だから大きな声で「めちゃくちゃ元気です!」って言った。そうしたら「おー、元気がいちばんだな」って(笑)。「これは落ちた」と思いましたね。
でもB作さん、その30分後に現場に来た柴田*2に、「今日大阪からおもしろい女が来てさ、お前の一生のコンビになると思うよ」って言ったらしいんです。
──それは先見の明がありましたね。
久本 すごいですよね。でも柴田は初対面で、「何だこの勢いだけの女」と思ったって(笑)。
*2 俳優の柴田理恵。当時ヴォードヴィルショーに所属していた。
※この記事は2024年10月2日放送「生涯現役! ワハハと笑わせて40年」を再構成したものです。
「お客様に笑っていただける喜びは何ものにも代え難い」と語る久本さん。舞台への思いなどお話の続きは……月刊誌『ラジオ深夜便』1月号をご覧ください。
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