演歌歌手のおおゆたかさん(34歳)は10代のころから「演歌の上手な高校生」としてテレビのバラエティー番組などで注目され、常に敬語で話す礼儀正しいキャラクターで人気者となりました。

その後、念願かなって憧れの北島三郎さんの弟子になり、歌手としてデビュー。大江さんがデビューまでのいきさつや、北島さんへの思いを語りました。

聞き手/山下信この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年10月号(9/18発売)より抜粋して紹介しています。


憧れの北島先生に初めて会った日

――大江さんは歌手デビュー前から、北島三郎さんの大ファンで演歌が上手な高校生として、民放テレビ番組に出演していましたね。

大江 僕は幼いころから祖父が歌う北島先生の『男の涙』や『兄弟仁義』を子守歌に育ちました。弟子になりたい思いも強く、ファンのころから「先生」とお呼びしていたのです。

――弟子入りはすぐにかなったのですか。

大江 すんなりはできなかったですね。当時、公には先輩の歌手の北山たけしさんが「北島三郎の最後の弟子」とされており、「弟子になれないのなら歌手を諦めよう」とも考えました。でも祖父に「当たって砕けろ」と言われ、勇気を出して先生にアタックをしたわけです。

――実際に北島さんに会いに行ったのですか。

大江 まずどうしたらいいかと考え、最後の弟子である北山さんに相談しに行きました。北山さんに、先生の弟子になりたいという思いを1時間くらいお話ししたのです。

北山さんは「気持ちはすごく分かります。ちょうど今、北島先生が新宿の劇場で1か月間公演をしているので、先生が使うエレベーター前までは連れていってあげられます」と言ってくださいました。

僕は「近くに行けるだけで十分です」とお伝えし、2人でエレベーター前で先生をお待ちしたのです。けれどいざ先生が現れたときは、頭を下げたまま「行ってらっしゃいませ」と言うのが精いっぱいでした。

――どんなお気持ちだったのですか。

大江 幼いころからの憧れ、神様のような方が前を通るわけですよ。直接お顔を拝見することはできません。実を言うと「行ってらっいませ」と言葉を誤ったくらい、緊張しておりました(笑)。「なぜ何も言えなかったんだ」と、後悔に終わりましたね。


エレベーターボーイにふんして再会

――その後どうなさったんですか。

大江 「昔の人間は行けば行くほど気にかけてくださるから、諦めずに何度も行け」という祖父のアドバイスもあり、もう一度北山さんに「どうしても先生とお話がしたいです」と相談しました。すると北山さんが交渉してくださって、先生にお会いできることになったのです。

その方法というのが、先生が公演中の劇場に、僕がエレベーターボーイとなって乗り込むというものでした。いざエレベーターで待っていると、劇場で曲のオープニングが流れる中、楽屋のある地下2階から先生が乗ってこられました。そして僕を見て「テレビ見てるよ」と声をかけてくださったんです。

――「演歌のうまい高校生」というのは知っていてくれたんですね。

大江 はい。僕はそれだけでぼーっとなってしまって、エレベーターの行き先ボタンを押せなかった。もう曲が始まっているのに、エレベーターの扉がまた楽屋の階で開いて、先生に「大江くん、だめだよ」とポンと肩をたたかれました(笑)。そして最後に「いい声してるね。歌、頑張ってね」と言われたのが、今でも心に残っています。その言葉が「諦めるなよ」という声にも聞こえたんですね。


「身柄預かり」として事務所に入所

――そこからどうやって弟子になりましたか。

大江 そのあとに先生から直筆の手紙が届いたのです。「君の演歌を愛する熱意は伝わってきました。何か手伝えることがあったら力になります。北島三郎」と書いてありました。これはすごかったですね。

「もっと先生にお会いしたい」という気持ちがどんどん高まりました。どうしたらいいか悩みに悩んだ末にTBSアナウンサーのずみ紳一郎しんいちろうさんに相談しましたら、「歌を入れたデモテープを送ったほうがいい」とアドバイスを受けました。

早速デモテープを作って北島音楽事務所に送ったところ、先生も聴いてくださったらしく、事務所の社長から「身柄預かりとして北島音楽事務所に入れます」というお手紙をいただきました。「弟子じゃなくても先生のそばに行ける」と有頂天でした。

その後、先生から歌の入ったデモテープが届きました。

※この記事は2023年9月11日放送「北島三郎先生の優しさ」を再構成したものです。


デビュー後順調だった大江さんは長期の体調不良に。その時北島さんがかけてくれた言葉とは...「先生はいつまでも神様のような存在」大江裕さんのお話の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』10月号をご覧ください。

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