もうまもるさん(76歳)は大学の助教授から日本人初の宇宙飛行士に転身。最初は搭乗科学技術者として、次は搭乗運用技術者としてスペースシャトル・エンデバー号に搭乗、2度の宇宙飛行を経験しました。帰還後は日本科学未来館の初代館長に就任。20年にわたり、最先端科学技術と社会とを結ぶ科学コミュニケーションの推進と、人材育成に取り組みました。

常に挑戦を続けてきた毛利さんが、宇宙での経験を通して感じた未来への思いを語ります。

聞き手/遠田恵子この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年8月号(7/18発売)より抜粋して紹介しています。


宇宙を目指す思いも進化の過程

――実際に宇宙に行かれて、どんな感想を持ちましたか。

毛利 1回目の飛行では細胞の培養実験を担当し、毎日顕微鏡で人や猿の細胞を観察していました。目が疲れて、小さな窓からふと地球を眺めたとき、表面の模様が目の前の細胞と似ていたんです。「ああ、全部つながっているんだ」と、地球を一つの生き物のように感じた瞬間でしたね。

2回目のときは、立体地形図を作るために絶えず地球を観測していました。ずっと見ているうちに「地球は本当に宇宙に浮かんでるんだ」と実感したんです。月も地球も宇宙に浮いている。こういう星はほかにもたくさんあるんじゃないか、きっと宇宙人もいるだろうな、と感じたのがいちばんの思い出です。

――そういう壮大な経験をされると、人の一生は短く、はかないものと感じませんか。

毛利 1回目の搭乗後、私は生命の誕生から人類登場までを新たな科学的視点から捉えた番組「NHKスペシャル 生命 40億年はるかな旅」のキャスターを務めました。番組で恐竜が鳥に進化したことを解説しているとき、「なぜ恐竜は羽を持ったのか」という疑問が浮かんだんです。そして空を舞ってでも生き延びたいという意志があったからではないかという結論に至りました。

そういう種として生き延びる意志の力も、遺伝子レベルに影響を与えるのではないか。40億年、未来へ生命の種をつなげようと多様化しながら、激変する環境にも耐えて命をつなげ、生き延びてきたのです。

そう考えたとき、私は自分が宇宙に行きたかった理由をストンと納得できました。それまでは問われても、「ただ行きたかったから」と言うばかりで、明確に答えられなかった。けれどこの願いもまた、40億年続く進化の過程の一瞬なんだ、生き延びたいという種としての意志の一つだと思えたのです。

地球を守ることこそが人類の責任

――生命を未来へつなげていくためには、何が必要でしょうか。

毛利 人間はほかの生命に対しても思いやりを持たないといけないということですね。人は40億年続くほかの生命のおかげで地球という環境に生かされており、人類のためにほかの地球生命が犠牲になっていいわけがありません。私たちの持続的な発展のためにこそ、生物の多様性を守り、自然環境をどう保っていくか。人間の活動で温暖化が進み、地球環境に限界がきている現在、今の生活を相当変えなければいけないでしょう。

初めて宇宙から地球全体を見たとき、そんかもしれませんが自然と「自分は今、40億年の歴史がある地球生命を代表して宇宙にいるんだ」という気持ちになりました。宇宙飛行も含めた人間のさまざまな活動は、地球生命全体を集団として生かそう、未来へつなげようとする力があるのではないかと思ったのです。

※この記事は2024年4月18日放送「ミッションは“挑戦”、そして生き延びること」を再構成したものです。


宇宙飛行士・科学者の毛利徹さんインタビューの続きは月刊誌『ラジオ深夜便』8月号をご覧ください。子どものころの思い出や宇宙での経験、未来へのメッセージなどを語っています。

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