中垣内祐一さん(56歳)は1992(平成4)年のバルセロナ五輪に出場するなど、バレーボール男子のスーパーエースとして活躍。2021(令和3)年の東京五輪では、監督として全日本男子をベスト8に導きました。現在は故郷の福井県に戻って米作りに励むとともに、大学教授として教べんをとっています。
中垣内さんが、歩み始めた人生の“第二章”を語ります。
聞き手/鈴木由美子この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年8月号(7/18発売)より抜粋して紹介しています。
――現在は米作りをされながら、福井の大学で教壇にも立たれています。学生に教えるというのは、バレーボールを教えるのとは全く違いますよね。
中垣内 学生に質問されて答えられないことがあったり、何度も恥をかきました。彼らは授業に飽きると寝てくれますしね(笑)。でも自分にも問題はあると思って、勉強して工夫を重ねています。
――米作りは3年目に入られましたが、いかがですか?
中垣内 江戸時代から続く家業を継いだんですが、これまでほとんど手伝いもしてきませんでした。農作業は楽ではありません。バレーボールの練習以上に汗をかきますし、正直きついです。
――自然も含め、農作業には自分でどうにもならないところもたくさんありますよね。
中垣内 そうですね。米の買取価格だってどうにもなりません。けれど難しい状況の中で解決法を探して実行するのはすごく楽しい作業です。今ある条件の中でどう利益を出していくのかを考える。これはバレーボールにも通じるところがあって、監督としてチームをどう強化し、どういう作戦で戦うか。解決の種は意外と身近にあるもので、それを見つけ、どう利用するかが肝心であり、おもしろいところでもあります。
――中垣内さんの人生は今、第二章の段階にあって、とても充実しておられますね。
中垣内 以前よりも、周囲の人々に深く感謝するようになりました。僕はこれまで光の当たるところで多くの方に支えられていましたが、そうした方への感謝が足りなかったのではという反省がありまして。光の当たる場所から外れた今、改めて周囲の人々に感謝することの大切さを感じています。
また、自分がもの作りに関わってみて、苦労して作ったお米を「おいしい」と言ってもらえることが最高の褒め言葉だと実感しました。お客さんの満足度を高めていくことがいちばん大事だと思っています。
※この記事は2024年2月1日放送「全日本の監督から家業を継ぎ米作りを」を再構成したものです。
前バレーボール男子全日本監督・中垣内祐一さんインタビューの続きは月刊誌『ラジオ深夜便』8月号をご覧ください。現役引退後、指導者になるために渡米した時のことや、選手の育成やチームづくりと米作りの共通点など、さまざまなことを語っています。
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