どうも、朝ドラ見るるです。

今週は“嫌われトラコ(とも)編”でしたね。見てるの、つらかった〜。後輩の前で調子にのるわ、家族には気を遣わせるわ、そして相変わらず上に盾つくわ。
これまで逆境にも負けず、次々と目標を達成してきた自分を、トラコが誇らしく思うのは(一視聴者として)完全にアグリー(同意)ではあるんだけど。

とはいえ確かに感じ悪かったもんね。年々、花江ちゃんが募らせてきた不満も、めちゃくちゃわかります(そんな花江役の森田望智さんの最新インタビューはこちら)。

でも、主人公のそんな残念なところまで描いちゃう「虎に翼」はすごい。完璧じゃなくて、人間味があるヒロイン、見るるはアグリーです!

そんなこんなで、トラコは娘のとともに新潟へ。来週からは「トラコと娘のブルース」……じゃなかった、「地方裁判官トラコの子育て奮闘記in新潟」ということになりそうですね!

でも、確かトラコのモデルであるぶちよしさんのお子さんは、実際は男の子だったはず。息子さんとの関係は? どんなエピソードがあったんでしょうか?
というわけで、今回、お話をうかがったのは、弁護士のさん。三淵嘉子についてのご著書を執筆される際、実際に三淵さんの息子さんをはじめ、親族の方に取材されたそうです。

ではさっそく。教えて、佐賀先生〜!

三淵嘉子さんの息子さんは、やんちゃな寂しがりやだった!?

見るる ドラマでは、トラコと優三さんの間の子は優未ちゃんという女の子ですけど、三淵嘉子さんと亡くなった最初の夫・和田よしさんとの間に生まれたのは、男の子だったんですよね?

佐賀先生 ええ。1943(昭和18)年1月1日生まれで、和田よしたけさんという方です。私は本の取材のために、38年ほど前にお会いしました。お母様とのエピソードをいろいろ聞かせてくださいましたよ。残念ながら、数年前にお亡くなりになったのですが。

見るる そうなんですね。当時のお話は、主に芳武さんから聞いたんですか?

佐賀先生 お話をよく聞かせてくださったのは、嘉子さんの2番目の弟である武藤輝彦さんです。お会いしたのは、やはり38年前。当時、花火を作る会社の代表をされていらっしゃいました。懐かしいですね。

見るる 花火……! それって、もしかしてドラマともつながってません? ドラマでトラコのお父さんがやっていたのって、「登戸火工」っていう、発煙筒や信号弾の製造工場でしたよね。

佐賀先生 嘉子さんの実父である武藤貞雄さんも、台湾銀行を辞めたあと、登戸で火工品会社を経営されていたそうです。その後、輝彦さんは、花火の協会の理事をされたり、打ち上げ花火についての著書も出されたりしたようです。

見るる そうなんですね〜! ドラマには直接登場しない方だけど、ご家族の活躍、なんとなくうれしいです(ホクホク)。

佐賀先生 その輝彦さんが話してくださったのは、嘉子さんが1950(昭和25)年5月から半年間、アメリカ研修に行っていたときのことです。一人息子の芳武さんは、当時7歳で小学校2年生。そして、彼を預けられて面倒を見ていたのが、当時、一緒に住んでいた輝彦さん夫婦でした。

芳武さんは、成城にある自由な校風の私立の学校に通っていました。でも、輝彦さんによると、芳武さんは「そこですらはみ出す子」だったそうです。頭の回転が早く、枠にはまらない性格で、なんでも自分の思ったとおりに行動する。授業中に一人で虫取りに行ってしまったこともあったとか。「私の妻も彼にはだいぶ、手をやきました」と輝彦さんはおっしゃっていましたよ。

三淵嘉子と長男芳武氏(昭和20年代撮影/和田芳武氏から清永聡解説委員が生前に提供を受けた写真)

見るる けっこうなやんちゃ坊主じゃないですか! でも、人一倍、行動力のある嘉子さんの息子さんですから、さもあらん!という気もします(笑)。

佐賀先生 一方、ご本人の芳武さんは、「お母さんは、昼間は裁判所に行っていていないので、おばさんにはとても世話になりました。オルガンを弾いて、歌の練習をさせてくれたことを覚えています」と回想されていました。でも、「おばさんがいても、母がアメリカに行っている間はさびしくて、授業はほとんどさぼって、遊びまわっていました」とも、おっしゃっていて。

見るる そっかあ、やっぱり、さびしかったんですね。

佐賀先生 3歳でお父さんと死に別れた(出征したきり戻らなかった)芳武さんにとっては、嘉子さんは最愛のお母さん。また、その頃には祖父母も亡くなっていたことを考えると……。

見るる それはドラマと同じなんですね(泣)。自分の夢を追いかけるのに一生懸命になるあまり、親子関係に悩む……って、朝ドラではあるあるなんですけど。でも、子どもへの愛情が足りないってことでは、全然ないと、見るる信じてます!

佐賀先生 そうですね。実際、嘉子さんも、当時の同僚にこぼしているんです。家の近所に踏切があるけど、通学する芳武さんがそこを通ると思うと、「とても嫌だから、事故のことは考えないようにしている」って。よほど心配だったんでしょうね。

それに、アメリカにこそ連れて行けませんでしたが、その後、地方の転勤先にはもちろん、裁判所の職員旅行などにも芳武さんを連れて行ったと言います。深い愛情をもって育てていらしたことは確かだと思いますよ。

当時の女性弁護士たちの子育て事情が知りたい! 久米愛、中田正子の場合は?

見るる 嘉子さんの状況はわかりましたけど、それって当時の女性法曹“あるある”なんでしょうか。それとも嘉子さんが特別? たしか嘉子さんと同じタイミングで高等試験(司法科)に合格して弁護士になった久米愛さんと中田正子さんがいらしたと思うんですけど、彼女たちの子育て事情は、どうだったんでしょうか。

劇中では、寅子とともに久保田聡子(中央/小林涼子)、中山千春(右/安藤輪子)の2人が高等試験に合格、司法の道へ入った。

佐賀先生 久米愛さんには3人のお子さんがいらっしゃいました。愛さんが1941(昭和16)年9月に女性弁護士として初めて法廷に立たれた時には、最初のお子さんはまだ生後6か月。夫の知孝さんによれば、その当時は家に住み込みの女中さんがいて、赤ん坊の面倒を見てくれたそうです。だから愛さんは、お子さんが生まれてからも、毎日、弁護士事務所に通っていらしたとか。

戦後は、夫の両親と同居。主にお義母かあさんが子どもたちの世話をしていたそうです。といっても、愛さんも家に帰ってからは、家族のためにいろいろなことをされていたと、長女の方が話してくださいました。愛さんは「母親にとって大事なのは子どもと一緒にいる時間が長いことではない。ふれあいの濃密度だ」と、おっしゃっていたそうですよ。

見るる その言葉、トラコにも聞かせてあげたいですね〜! じゃあ、夫の実家のある鳥取県に疎開した中田正子さんは、どうだったんですか? 弁護士の仕事を続けながら子育てされていたんですか?

佐賀先生 中田正子さんにも3人のお子さんがいらっしゃったのですが、ご自宅を事務所にされていましたし、裁判所も自宅から歩いて10分ほどだったため、仕事を続けていても家族との時間がとれた。もし東京の弁護士だったらこうはいかないでしょう、とおっしゃっていました。

また、中田さんの家には、ずっと通いのお手伝いさんがいて、掃除、洗濯、買い物はその方がやっていたとのこと。中田さんは、毎日の朝食づくりと、昼食・夕食の献立づくりと味付けだったそうです(下準備はお手伝いさん)。

次女の方にお話をうかがったところ、中田さんは、「勉強しなさい」「こうしなさい」と、うるさく言わない母親だったそうです。それに、女・女・男という構成のきょうだいを常に平等に扱い、男女の区別もしなかったとか。「姉や私に“女の子だから”とか、弟に“男のくせに”と言ったことはありませんでした」と聞きました。

昭和戦後期、中田正子と子どもたち(写真提供/鳥取市歴史博物館 原資料/鳥取市歴史博物館寄託[個人蔵])。

見るる ご自身が“女だから”と言われて理不尽な思いをしてこられたから、お子さんには同じ経験をさせたくなかったんでしょうね。さすがだ〜!

佐賀先生 それにしても、やはり当時、子どものいる女性が仕事を続けるというのは、相当大変だったと思うんです。ずいぶん後輩である私の時ですら、子どもが小さな時には、検事の仕事を辞めて家庭に入りました。また弁護士として復職してからも、実の両親の助けを借りて、やっとでしたから……。

ですから、周囲の理解も、環境の整備も、まだまだ足りていなかった当時、子どもにもしっかり愛情を注ぎつつ、自分の仕事も諦めなかった3人の信念は、本当にすごいと思いますね。

見るる でも、実際のところは、そんなにうまくやれていない時もあったんじゃないかな……なんて思う見るるは、いじわるでしょうか(笑)。だって、人間ですもん。

佐賀先生 そうですね(笑)。ドラマだと、当時は聞き取れなかった、そのあたりの心の機微も描いてくれるかもしれません。見守っていきましょう。


次週!

第16週「女やもめに花が咲く?」7月15日(月)〜7月20日(土)

意味:《女の独り暮らしはこぎれいにしているので、まわりの男たちにもてはやされる》

さ〜て、やってきました新潟県三条市。家庭問題も一段落して、生まれ変わったトラコによる輝かしい活躍が……あれ? 予告編を見ると、なんだか様子がおかしいぞ。一見、歓迎されていたようだけど、トラコ、「仕事いきたくな〜い!」ってゴロゴロしてなかった?
うーん、これまでにない展開! なんだか音楽の雰囲気も違うし。何がどうなる新潟編⁉️

というわけで、今週の「トラつば」復習はここまで。
来週の先生方の講義も、お楽しみに〜!!

佐賀千惠美(さが・ちえみ)
1952年熊本県生まれ。1977年司法試験合格。翌年に東京大学法学部を卒業、司法修習生に。1981年東京地方検察庁検事を退官。1986年弁護士登録。これまで、京都府労働委員会会長、京都弁護士会副会長、京都女性の活躍推進協議会座長などを歴任。著書に、『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』(日本評論社)、『三淵嘉子の生涯〜人生を羽ばたいた“トラママ”』(内外出版社)などがある。

取材・文/朝ドラ見るる イラスト/青井亜衣

"朝ドラ"を見るのが日課の覆面ライター、朝ドラ見る子の妹にして、ただいまライター修行中! 20代、いわゆるZ世代。若干(かなり!)オタク気質なところあり。
両親(60&70代・シニア夫婦)と姉(30代・本職ライター)と一緒に、朝ドラを見た感想を話し合うのが好き。