脳科学者の恩蔵おんぞう絢子あやこさん(44歳)は、昨年5月までの約8年間、認知症の母・恵子けいこさんの介護を続けました。その介護生活の中で気付いたのは「認知症になってもその人らしさは変わらない」ということ。お母様と過ごした日々とともに、脳科学者としての視点から見た認知症について、恩蔵さんに語っていただきました。
聞き手/佐治真規子

この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年6月号(5/17発売)より抜粋して紹介しています。


「絢ちゃん」と呼んでくれた

――恵子さんの認知症は、脳のかいが萎縮するアルツハイマー型。そもそも、海馬はどういう働きをしているのでしょうか?

恩蔵 海馬は新しい記憶を作るための組織で、記憶の中枢と言われます。ただ、記憶は海馬にたまるわけではありません。記憶の貯蔵庫は大脳皮質で、海馬の役割は、その大脳皮質に記憶を定着させること。例えば今日私が帰宅して「佐治さんと会ってきたよ」と父に話すためには、会話をしている今、海馬がちゃんと働いて記憶を定着させる必要があります。

だから海馬に傷がつくアルツハイマー型認知症は、新しい出来事を記憶しにくくなるんですね。でも逆に言うと、たとえ海馬が傷ついても、すでに大脳皮質へ蓄えられた記憶は無事だということになるわけです。

――昨年放送された〈NHKスペシャル〉「認知症の母と脳科学者の私」(絢子さんが、母の介護をする様子に密着したドキュメンタリー)の中で、とても印象的なシーンがありました。

恩蔵 そのころの母は、自分の名前も娘である私の名前も、一見忘れてしまっているようでした。ところがあるとき、子どものころに母とよく通った道を散歩していたら、母はたまたま通りかかった親子をじっと見て追いかけるように歩き、そして振り返って私を見た瞬間に「絢ちゃん」と呼んでくれたんです。

親子の姿をきっかけに、私を連れて歩いたことを思い出して名前を呼んでくれたんでしょう。母は全部忘れているのではない、頭の中にはいろんな記憶がたくさん残っているけど、うまく取り出せないだけ。きっかけさえあれば引き出せるということをカメラが捉えた、忘れられないシーンになりました。

言葉以外の記憶もある

――ところで、海馬が萎縮しても新しく記憶されることはあるのでしょうか。

恩蔵 はい。海馬の隣には感情の中枢があって、強い感情が働くと残っている海馬が刺激されて新しく記憶できる可能性があります。おもしろいことに、海馬に頼らないで作られる記憶もあるんですよ。

例えば、ひどい話ですけど、私が母に「ばか」と言ったとします。すると母は傷つく。感情が動くわけですね。それで一時間後に「さっき私は何て言ったでしょう?」と母に質問しても、正確には答えられません。でも、言葉にできないだけで嫌な気持ちの記憶は残っている。だから認知症の人が記憶できないからといって、何をしてもいいわけではないんですね。

認知症でも新しいことを学び続ける例は、ほかにもあります。介護施設に行くのを嫌がっていた人が、通ううちに楽しそうにお迎えのバスに乗るようになるというもので、何度も通うことで場所に慣れて、職員の名前は覚えられないけど好きな人だという記憶ができるんですね。

母も、施設で新しいお友達を作ってきました。記憶に問題があるから友達を作るのは難しいだろうと思っていたのですが、母よりも年齢の高いお姉様方にかわいがっていただいたようで(笑)。それはとてもうれしい驚きでした。

――感情が動くことが記憶にも影響する。楽しいと思うことはすごく大事なんですね。

恩蔵 そうなんです。音楽好きな母を音楽会に連れていったのに、帰宅後に「行ってない」と言われてがっかりしたことがあります。でも母を見ていると、いい音楽を聞いたという優しい時間の記憶はちゃんと残っているのが分かる。言葉の記憶は海馬で作られますが、記憶は言葉だけではないんですね。

私は母の異変を受け入れられず、病院で診断を受けるのに1年かかってしまいました。でも認知症と分かってしまえば、それまでごまかしに使っていたエネルギーを楽しいことに使えばいい。それからは大事な思い出を作ろうと思えるようになりました。

※この記事は2024年1月16・23日放送「脳科学者 認知症の母と暮らして」を再構成したものです。

脳科学者・恩蔵絢子さんのお話の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』6月号をご覧ください。65歳の母に認知症の症状が出始めた頃のこと、母が母でなくなっていく恐怖、介護を通じて気づいたことなどについてお話しています。

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