にぎやかな音とともに街を巡るちんどん屋「ちんどん喜助」の豆太郎さん(46歳)が、 その歴史や魅力を語ります。聞き手は、能楽師狂言方大藏流の大藏基誠さんです。
この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年6月号(5/17発売)より抜粋して紹介しています。
――陽気な音に愉快なおしゃべり。ちんどん屋さんが来ると盛り上がりますね。ちんどん屋さんは、どんなお仕事なんですか?
豆太郎 簡単に言うと街の宣伝屋ですね。例えばお店から「セールをやるから宣伝してほしい」と依頼を受けて、鉦や太鼓を鳴らして街を一日練り歩き、演奏や口上で人を集めてチラシを配る。そしてお店から幾ばくかのお金をいただくという仕事です。
年を重ねて音や芸に深みが増す
――ちんどん屋さんは、現在何人くらいで動いているのですか?
豆太郎 基本的には、ちんどん太鼓、クラリネットなどの洋楽器、「ゴロス」と呼ばれる大太鼓の3人組ですね。時には、チラシを配る人や、「旗持」と言って、踊りながらのぼりを振る人が加わることもあります。
――どんな宣伝の依頼が多いですか?
豆太郎 以前はパチンコ屋さんがメインでしたが、最近は飲食店さんが多く、またイベントに呼ばれることも増えてきました。
――街を巡る途中で、店の様子を見に行くことは?
豆太郎 ありますよ。お客さんが少なければ人の多いところを狙って、満員なら店から遠いところまで宣伝します。 こんなデジタルの時代でも、陽気な音を出す人たちからチラシをもらうと「行ってみようか」と思っていただけるようです。
――僕らがやっている狂言などとは違って、ちんどん屋さんは型で伝承するものではないんですよね。
豆太郎 型はありません。皆、見たり聞いたり考えたりしながら、自分なりの“ちんどん”を作っています。若いころ、親方のようなちんどん太鼓をたたこうとしたら「いやらしいね、それっぽくたたこうとしている。若いんだからガンガンたたいたっていいんだよ」と言われました。「年を重ねて、ようやく枯れたような音になるんだ」と。
それからは、今できる精いっぱいの力で頑張っています。何を受け継げばいいのか、親方は教えてくれませんでしたが、自分なりの“ちんどん”をつかみたいです。
1977(昭和52)年生まれ。ちんどん屋。音楽に興味を持ち、大学で芝居を始める。その後、路上パフォーマンス、道化、パントマイムを経て、2004(平成16)年に、ちんどん菊乃家に入門。2010年に独立し、ちんどん喜助を立ち上げる。日本舞踊・大衆芝居・伊勢大神楽なども学び、祝福芸も行う。
※この記事は2024年2月19日放送「にっぽんの音~ ちんどん喜助 豆太郎」を再構成したものです。
ちんどん屋・豆太郎さんのお話の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』6月号をご覧ください。ちんどん屋の起源や変遷、豆太郎さんがちんどん屋さんに引かれた理由、師匠のちんどん菊乃家・〆丸さんとの思い出話などについてお話しています。
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