高松美代子さん(61歳)はママチャリで鍛えた脚力を生かして、48歳のとき「ガールズケイリン」選手養成所の入所試験を最年長でクリア。50歳でプロ選手としてデビューしました。引退した今も自転車を楽しみ、海外を含むレース出場を続けています。
聞き手/恩蔵憲一この記事は、月刊誌『ラジオ深夜便』2024年4月号(3/18発売)より抜粋して紹介しています。
─―女子の競輪選手になるためにはどうすればいいんですか?
高松 静岡県伊豆市の修善寺に日本競輪選手養成所(旧・日本競輪学校)があり、10か月ほどいろいろなことを教わって、最後のテストに合格すればプロ選手になれるんです。
私は48歳で養成所を受験し、49歳の誕生日に入所して寮生活に入りました。当然、最高齢でしたね(笑)。若い子のまとめ役として生徒会長もやりました。家事もせず、毎日自転車に没頭できる楽しい時間でした。
─―ということは、ご主人や娘さんが自分たちで家事をされていた。
高松 そうです。心配だったんですが、娘たちはもう20歳を過ぎていましたし、私も子離れのいい機会でした。養成所は規則で携帯電話が使えないので、娘たちは時々手紙で「今日のごはんは茶色いのばかりでしたが、こうやって作りました」と教えてくれました。
─―選手になるテストは難関でした?
高松 年々記憶力が落ちていくので、筆記テストは大変でしたよ。実技も自分の娘よりも若い子たちが、右肩上がりで記録が伸びていく。私はこれ以上下がらないように、頑張っていました。そして、合格できて50歳のときに選手としてデビューしたんです。
輝かしくも厳しい選手生活
─―初戦はいつでしたか?
高松 2012(平成24)年の7月1日です。神奈川県の平塚競輪場で、声援もすごくて興奮しました。でも戦績は7名中6着。
─―では、初めての一着獲得は?
高松 その年の12月、香川県の高松競輪場でした。師匠からは「今年中に1回ぐらい1着を取らないとね」と言われていたんです。半年ほどかかってやっと約束を果たせました。初勝利は、やっぱりうれしかったですね。夫も子どもたちも喜んでくれました。
「挑戦に“遅すぎる”なんてない!」高松美代子さんのお話の続きは月刊誌『ラジオ深夜便』4月号をご覧ください。
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