テレビを愛してやまない、吉田潮さんの不定期コラム「吉田潮の偏愛テレビ評」の中で、大河ドラマ「光る君へ」について熱く語る連載(月に1~2回程度予定)がスタート!

胡散臭くてなんだか禍々まがまがしい陰陽師・安倍あべの晴明はるあきら(顔色の悪いユースケ・サンタマリア、適役!)の登場で幕を開けた「光る君へ」。ユースケだけでなく、芸能界の“平安顔の手練れ”を一堂に集めた大河、と話題だった。誰もが名前を知っているものの、詳しくは知らない紫式部(まひろ)が主人公、演じるのは吉高由里子だ。 

基礎知識がほしいと思い、まずは参考図書を入手。「紫式部日記」(山本淳子編、角川ソフィア文庫)と、「人生はあはれなり…紫式部日記」(小迎裕美子著・赤間恵都子監修、KADOKAWA)である。どちらもわかりやすく解説してあり、すこぶる面白い。紫式部をはじめとする登場人物の基本情報がしっかりと頭に入る良書なのでオススメだ。こうした史実に基づく情報をもとに、思いっきり変化球で魅せてくれるであろう大石静脚本、心して視聴せねば。


主人公の信念を定着させた初回

初回から惹きつけたのは、まひろ(幼少期を演じたのは落井実結子)の家の貧乏っぷり。赤貧洗うがごとしの出自が好物の私としては垂涎の設定。鳥の餌すら買えず、下働きの者が次々暇を乞うほどの貧しさに、ぐっと下唇を噛む。でも、藤原家は下級とはいえ貴族だよね? なのに、なぜ…?という背景が描かれた。

まひろの父・藤原為時ためとき(岸谷五朗)は和歌や漢詩に精通する学者だが、うだつのあがらない男。下級貴族の職は天皇が決める時代。いくら学識があっても、採用されなければ職にありつけず、むしろ生真面目な堅物は厄介払いされる。おかげで、まひろの家はドのつく貧乏。

清く貧しく、といいたいところだが、父は無職のくせに別宅へ通ったりするわけよ。一方、母のちやは(国仲涼子)は文句も愚痴もいわずに夫を支える。ふがいない夫が仕事につけるよう密かにお百度参りをする、優しくできた妻。まあ、これは朝ドラによくある夫婦の構図なので、なじみやすい。

ところが、初回終盤の衝撃的なシーンで度肝を抜かれた。右大臣の藤原兼家かねいえ(腹黒い策士が似合う段田安則)の次男・道兼みちかね(猟奇性満タンな玉置玲央)がまひろの母を刺殺したのだ。まひろの目の前で。権力者の犯罪に父は及び腰どころか忖度、「妻は病気で死んだことにする」という。これは、まひろの人生に大きな命題を突き付けた。今流行の復讐(今期ドラマは復讐モノが多い!)とかそんな単純ではない。今後の人生で「理不尽で横暴な権力に抗う」という信念の萌芽が見えた。

ちなみに、第4話でもその片鱗をのぞかせる場面があった。左大臣家の姫君サロンに通うようになったまひろが「竹取物語」についての考察を述べた。「なぜかぐや姫は5人の公達に無理難題を押し付けたのか」という問いに、「かぐや姫は、やんごとない人々への怒りや蔑みがあったのではないかと思います。帝さえも翻弄していますから」と答えて、やんごとない姫たちにドン引きされる。身分の高低や権力などくそくらえ、という確固たる礎が彼女の中にすでに生まれているわけだ。


「散楽」で表現される政治風刺も利いている

三郎、のちの藤原道長(柄本佑、子役は木村皐誠)が好んで観に行くのは「散楽さんがく」。町中で軽業や曲芸を見せる一座だが、政を風刺する演目も行う。天皇家、そして摂関政治で権力闘争を繰り広げる藤原家を揶揄し、コミカルな動きで笑いをとる。令和で言えば、ザ・ニュースペーパーみたいな芸風かな。「兼家は娘の詮子(年齢設定に微妙に無理はあるが、背負う内容は適役で無二の吉田羊)を入内させ、権力を手中に収めようと躍起」。これをネタにしているのだ。

自分の父や姉が庶民の間で笑いモノにされているのに、一緒になって笑っとる三郎。風刺劇の散楽を観に行く時点で、権力闘争に興味なしということか。いや、民の声を傾聴できる政治家としての資質ということか。いずれにせよ、三郎が権力を握って上り詰めていくうえでの矜持を匂わせる。天皇家のプライバシーや、藤原家の強欲ぶりを民が笑う構図には「スパイス効いてんな!」と膝を打つ。令和の皇室もかなりスパイシーだけれども。

道兼の犯罪は、まひろと三郎の関係に微妙な影を落とす。幼少期に出逢い、惹かれ合いながらも「宿敵の弟」であることが判明し、因縁がより複雑に絡み合っていく。「ビギニング・オブ・紫式部日記」である。


代書屋バイトで和歌の腕を磨く

「女に学問は不要」と考える父・為時は、まひろの弟・惟規のぶのり(高杉真宙)だけに漢文を教えている。のんびりやで勉強が嫌いな弟とは異なり、まひろは傍らで耳学しながらぐんぐん知識を吸収。その賢さと達筆を活かし、父に内緒で代書屋バイトというのが実に面白かった。

絵師(飄々ひょうひょうとした小物感の三遊亭小遊三)のもとで、姿を見せずに男のフリをして客の話を聞き、恋文の代筆をするまひろ。人間観察、恋愛の駆け引き、和歌の鍛錬、そして小銭も稼げて一石四鳥! 平安時代の貴族たちが御簾の中で繰り広げるヒソヒソ・うふふ・クスクスな陰湿さも興味深いが、市中の庶民の生活や文化に触れる場面はもっと興味深い。貧困女子が才能と機転で稼ぎ、人間の感情の裏側を読み取ることに長けてゆく。まひろも三郎も、最高の学び場は町中にあるとわかっているわけだ。

ただ、まひろは絵が超下手。三郎が濡れ衣で捕まった第3話、三郎の無事を確認したくて似顔絵を描く場面があった。それを弟に託して探させるも「その絵で人探しは無理!」レベルで爆笑。天は二物を与えず。容赦ない脚本は信頼できる。


気になる人物が多すぎるが、しいて挙げるなら色事を匂わす人々

清く正しい人物はさておき、クズっぷりが猛々しい人物がいれば、大河はぐっと盛り上がる。現段階ではなんといっても兼家だろう。段田安則のざらついた声とギョロリと動く狡猾な眼球、物語の前哨戦を牽引するトップ・オブ・クズである。   

入内して皇子を産んだにもかかわらず、円融えんゆう天皇(坂東巳之助)に愛してもらえない詮子の心中やいかに、と思うし、汚れ仕事を請け負わされる道兼も自業自得だが報われないなとも思うし。兼家んとこの子供たちが権力闘争の道具に使われていくのがおぞましくて切ない。吉田羊と玉置玲央にぐっと思いを馳せてしまった。

ちょっぴり大人の事情、色事を匂わせてくれる人物もまとめておこう。三郎が従者・百舌もずひこ(本多力)と散楽を観に出かける場面、おそらく多くの人の記憶に残っているだろう。貴族としてはたしなめられるところ、三郎は好んで観たがる。百舌彦も不承不承……と思いきや、散楽の場で女・ぬい(野呂佳代)と逢引きしとるのだ! やることやってんのよ、百舌彦ったら! 

もうひとり、好き者がいる。為時が兼家の口利きで漢文を教えることになった東宮とうぐう(のちの花山かざん天皇)である。演じるのは、幸薄そうな役がぴったりの本郷奏多。勉強する気がなく、やる気スイッチが見当たらないと為時が嘆くシーンがあった。それどころか女好き。「母親と娘、両方に手をつけたが、手ごたえも同じ」などと無粋で下卑た親子丼体験談を自慢げに話す好き者っぷり。

為時いわく「痴れ者のフリをしているだけかと思ったが、あれでは帝になっても誰もついていかない」と。それでも為時は辛抱強く教え続けた。実際、東宮は堅物の為時をからかっただけで、為時を信頼していることがわかる。平安時代の大人の事情、へそから下の艶話もしれっと品よくぶっこむあたり大好物である。

ということで、初回はこのへんで。登場人物がほぼほぼ藤原さんなので混乱するかなと思ったけれど、役者陣の持ち味のおかげで今のところ問題なく楽しめている。みなもとさんも登場し、姫君サロンのやんごとなきマウンティング合戦も今後の見どころだ。毎週日曜、ヒリヒリさせてほしい。

ライター・コラムニスト・イラストレーター
1972年生まれ。千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業。健康誌や女性誌の編集を経て、2001年よりフリーランスライターに。週刊新潮、東京新聞、プレジデントオンライン、kufuraなどで主にテレビコラムを連載・寄稿。NHKの「ドキュメント72時間」の番組紹介イラストコラム「読む72時間」(旧TwitterのX)や、「聴く72時間」(Spotify)を担当。著書に『くさらないイケメン図鑑』、『産まないことは「逃げ」ですか?』『親の介護をしないとダメですか?』、『ふがいないきょうだいに困ってる』など。テレビは1台、ハードディスク2台(全録)、BSも含めて毎クールのドラマを偏執的に視聴している。