「金のためにインチキな宗教をでっちあげた愚かなふたりが真理と営利を追求する、有り難い物語」と津田健次郎ナレーションでお届けするこのドラマ。コメディだが、インチキ宗教の実体と裏側、そして金と政治が絡む地獄絵図を描く鳥肌モノの社会派作品だ。令和のリアルと思ったが、新興宗教の胡散臭さやおそろしさは今に始まったことではない。
1990年代前半に大学生だった私は、新興宗教やマルチ商法が学生を勧誘・洗脳してくるのを目の当たりにした。親しげなサークルと思わせて、実は新興宗教。友達や仲間のフリして高額商品を売りつけるネズミ講。
暴走した新興宗教の教団が事件を起こし、信仰の危うさを全国民が警戒したと思っていたが、その他の団体は地道に確実に信者を増やし、不景気や災厄に乗じて蔓延ってきた。しかもより大きな権力と結びついて我が物顔で人権侵害を繰り返す。そんな今の日本の原点を凝縮した趣すらあるのが「仮想儀礼」である。
元・都庁職員と風来坊がうっかり奇跡、ちゃっかり収益
さて、その愚かなふたりとは。東京都庁の都市開発局、いわば花形の職場でエリート街道を突っ走っていた鈴木正彦。公務員として行政に詳しいだけでなく、趣味で歴史や宗教学にも精通。そもそも「人の役に立ちたい」と思う公僕気質だが、作家志望の夢を抱いたこともある。
演じるのは青柳翔。真面目さと穏やかさの裏に、ちょっぴり承認欲求をのぞかせる正彦を好演。青柳の当たり役とも言える。
そんな正彦と意気投合したのは、枠におさまらない自由人の矢口誠。中卒だが腕一本でゲーム会社に入社、他社の仕事も請け負うやり手だ。純粋に正彦の知識と素養にほれ込んで、作家の道を勧める。
口八丁手八丁、いいかげんな風来坊に見える誠を演じるのは大東駿介。彼以上にこの役をこなせる役者はいない、適役である。
誠に褒めちぎられ、ゲーム作家を目指すべきと勧められた正彦は、「グゲ王国の秘法」の執筆を開始。妻(入山法子)に内緒で仕事場として雑居ビルの一室を買い、しかも勝手に退職。一緒にゲームを作ろうと息巻いていた誠は、取引先のデザイナーの妻に手を出して解雇され、行方不明に。安定の公務員を捨てた正彦は、妻に捨てられ、作品を出版社に持ち込むも箸にも棒にも引っかからず。路頭に迷いかけた正彦の前に、ホームレスとして現れたのが誠だった。
この崖っぷちのふたりが、金のために宗教をでっちあげる。なぜなら、教義があって儀式を行い礼拝施設があれば、宗教団体を名乗れ、しかも税制優遇される。お布施丸儲け。ゲームの原案を教義とし、空き瓶と粘土でご本尊を作り、適当につけた教団名は「聖泉真法会」。正彦は桐生慧海と名乗るエセ教祖に。詐欺まがいの教団を立ち上げたところ、なぜか信者が増えて、ちゃっかり収益が出始めるわけよ。
新興宗教のえげつなさと信じる者の弱さ、表裏一体を描く
このドラマでよくわかるのは2つの実情。
ひとつは、宗教を広げるための悪しきやり口と惹句。弱みや悩みを抱える人の心の隙間にどう入り込むか。信じさせるための小芝居、信者を増やすための競争原理、集団心理を悪用するやり口は相当えげつない。
劇中では、聖泉真法会に嫌がらせをしてくる巨大新興宗教「恵法三倫会」も登場。霊感ビジネスが問題になった教団だが、政財界とつながっていて闇も深い。母親(河井青葉)がのめりこんだせいで息子が人生を踏み外してしまう「宗教二世問題」もきっちり描かれていた。
一方、たとえインチキでも救われる人がいる。悩める女性たちに対して、元公務員の正彦は誠実に接していたところ、みな信者になっていく(精神科受診を勧めたり、行政や福祉の窓口につなげる公僕マインドが功を奏した)。
霊視できるが虚言癖扱いされていた秋瞑(美波)、兄に性的虐待をうけて自傷行為を繰り返してきた雅子(松井玲奈)、家族不和と介護で疲れ切っていた主婦の広江(石野真子)、その友人で、祈りを捧げたお陰で母親の最期を看取ることができたと話す圭子(峯村リエ)。
心に悩みや傷を抱えた女性たちが祈ることで救われたと信じ、居場所ができたことを喜び、信者仲間とおしゃべりするのが楽しいと語る姿には真実味がある。実際、新興宗教の多くは居場所やコミュニティの提供、支え合いや助け合いが信者同士の絆を深めているわけで。そこは否定できないものがある。
金目当てだったが、お布施や献金の強要はせず、入信も退会も自由。憲法・民法・刑法すべての法を遵守すると断言してきた正彦。信者は次第に増え、スーパーを手広く経営する“太客”信者の森田(尾美としのり)が出資を申し出たあたりから、雲行きは怪しくなっていく。
コンサルが脱税指示、政治が絡むきな臭さ
個人的には、大東がよく演じる天衣無縫なクズっぷりが好物なので、このドラマでも誠が裏切るのでは? と思い込んでいた。誠は正彦が教祖として崇められるよう、仏像が涙を流したように見せかけろだの、霊視できるフリをしろだのと小芝居を提案してきたのだが、意表を突かれた。青柳、つまり真面目な堅物の正彦のほうが人格崩壊へ向かっている。
というのも、怪しげなコンサルタント・石坂(石橋蓮司)が指南するようになってからは、正彦がとりこまれてしまったからだ。
もう蓮司の迫力ったら! 小悪党から反社の親分、政財界のフィクサーまで、悪いことはすべてやり尽くしてきた(演じてきた)蓮司が、ぐいぐいと後半を牽引していくではないか。宗教法人を利用して、企業の脱税に、懇ろな政治家のマネーロンダリングまで正彦に押し付けてくる石坂。
その結果、堅物の正彦と楽天家の誠、和気あいあいやってきたふたりの仲に亀裂も入りかける。しかも、秋瞑に教義の台本「グゲ王国の秘法」を見られて、インチキだとバレかけてしまう!
ほれ、いわんこっちゃない! の展開にヒヤヒヤしながら、正彦と誠が加害者となるのか、はたまた被害者として描かれるのか、興味津々で見守っている。
強烈なインパクトを残した悲劇の男子と傍観者の女子
金の亡者に妄信の人々。大人がこんなにも汚れきっていたり、不安定だったり、で若者の目にはどう映るだろうか。この国、ヤバイと思わないだろうか。その答えも描かれていた。このドラマには宗教に対して純真すぎたために悲劇を迎えた男子高校生と、信者にはならずに宗教の正体を冷静に観察する女子大生がいる。
由宇太(齋藤潤)は聖泉真法会のインチキを暴こうとした男子高校生だ。実は学校でいじめられていて、ある種の救いを求めていた。新興宗教の実態と真実を大人顔負けの語彙力で滔々と語る場面もあった(齋藤の饒舌は名演!)。
ところが真理を追求するあまり、別の教団内で殺人事件を起こしてしまう。なんという皮肉、なんという悲劇。ある意味で、社会の「犠牲」だったのかもしれない。
逆に、恵法三倫会に騙されて入信させられそうになり、聖泉真法会へと逃げてきたのが女子大生の真実(川島鈴遥)だ。とはいえ入信せず。彼女は信者ではない孤独を感じながらも、宗教のおそろしさを知っている。傍観し、記録することで見極めようとしているようにも見える。彼女の存在は若者にとっての「希望」だ。
悩み苦しむ若者を取り込もうとするのが新興宗教。ふたりの対比は、このコメディドラマの深部にこめられた本意でもある。この国はヤバイけど、「大人を信じるな」であり、「信じる大人を選び間違えるな」というメッセージなのかも。
ライター・コラムニスト・イラストレーター
1972年生まれ。千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業。健康誌や女性誌の編集を経て、2001年よりフリーランスライターに。週刊新潮、東京新聞、プレジデントオンライン、kufuraなどで主にテレビコラムを連載・寄稿。NHKの「ドキュメント72時間」の番組紹介イラストコラム「読む72時間」(旧TwitterのX)や、「聴く72時間」(Spotify)を担当。著書に『くさらないイケメン図鑑』、『産まないことは「逃げ」ですか?』『親の介護をしないとダメですか?』、『ふがいないきょうだいに困ってる』など。テレビは1台、ハードディスク2台(全録)、BSも含めて毎クールのドラマを偏執的に視聴している。