テレビを愛してやまない、吉田潮さんの不定期コラム「吉田潮の偏愛テレビ評」がステラnetで始まります。最初に選んだのは、NHKスペシャル ドラマ「神の子はつぶやく」です。

「テレビも漫画も映画も観てはいけない、世間の音楽はけがれているから聴いてはいけない。すべては神に背く行為でサタンの誘惑である」

そんな教義のもとで育てられた女性とその一家を描いた、NHKスペシャル ドラマ「神の子はつぶやく」。

実在の宗教団体をほんのり匂わせたフィクションだが、親の信仰に縛られ、選択や意思決定の自由を奪われて生きてきた宗教2世が抱える問題に挑んだ意欲作である。

NHKがやるべきテーマ(民放局はタブー視もしくは宗教団体がスポンサーの番組もあるからな)だし、想像を超える「優しさ」と「やりきれなさ」に包まれていた1時間30分、良質な映画のような趣があった。ただ、これは宗教だけに限定した話ではないと思わせた。問題提起に幅と奥行きをもたらした展開だったと思う。


困窮や孤独を機に始まる信仰

主人公の木下遥(演じるのは河合優実)は高校生。母(田中麗奈)が新興宗教の熱心な信者で、同級生の家にも勧誘活動をするため、校内では「おいのりさん」と呼ばれて忌避されている。同級生で幼なじみの小宮義也(杉田雷麟)は、教団の説教師の息子だが、部活も友達との交流も楽しみ、高校生活を謳歌している。同じ宗教2世でも、親の信仰に対する温度差が描かれているところはリアルでもある。

貧困に苦しむ中、教団に救われて明るくなった母を見て育ったため、遥は母に逆らわない。妹の祈(根本真陽)も同様に優しい子で、母の言いつけを守り、礼拝や炊き出しなど教団の行事を最優先。友達と遊ぶこともなく、修学旅行さえも行かせてもらえない。姉妹は信仰に従わざるをえない状況だが、母を愛している。

重要なのは、父(森山未來)だけが信仰していない点だ。家族の中で唯一、教団の集会や行事にも参加しない。娘たちには主体性をもってほしいと言うものの、妻も信仰も否定はしない。姉妹にとっては、フラットな父の存在が救いだったとも。 

では、なぜ父は止めないのか。そもそも信仰は自由だと考えている。そして、若い頃から多額の借金を抱え、負い目があるからだ。実兄の連帯保証人になったせいで、木下一家は困窮生活を余儀なくされている。家賃も滞納、ガスも止められて絶望した状況で父はふがいない自分を責め、身を粉にして働くしかない。結果、妻は孤独とワンオペ育児と貧困に悩み、救いを求めたのが宗教だったという背景がある。


優しさの弊害、家庭内に閉じ込められる問題

木下一家の来し方が丁寧に描かれる中で、気づかされる。悪い人間はひとりもおらず、みんな真面目で優しくて不器用な善人なのだ、と。そして家族全員がお互いを想うがゆえに、言葉や主語を失っていき、正解が見えなくなっていく。優しいことが必ずしも正しいわけではないのに。

宗教に限ったことではなく、家庭内のトラブルは「家族を思いやる優しさ」が解決を阻むんだよなぁとしみじみ思ってしまった。問題を家庭内に閉じ込めて、SOSを発しづらくしてしまうことも多いしね。

さらに、その問題を外の人間が指摘しづらいという現実も、しっかり描かれていた。遥の担任教師(岩男海史)が意を決して、母に直談判する場面があった。遥が修学旅行に参加できないか打診するも、母は頑なに拒む。教師は気圧された反動で、「母親の布教活動のせいで遥が学校で疎まれている」旨を伝えてしまう。当然、信仰をけがされた母は激怒。遥自身も教師の言葉に傷ついてしまうのだ。   

教育の現場、もっといえば行政も警察も「家庭の問題には立ち入らない」のが暗黙の了解。この教師のとった行動は間違っていたとは言い切れないが、親を否定することで子供の心を引き裂く可能性があるという想像力は必要だったのかもしれない。ただ、教師は今後腫れ物扱いをすることが目に見えている。信仰が強い家庭の生徒には関わらないのが正解と考えてしまうだろう。あの場面は「問題を抱えた家庭が孤立するのを助長する社会の構図」を示唆していた気もする。


信仰から逃げても自由がないという現実

さて、物語は急展開を迎える。過労がたたり、父は大動脈解離で意識不明の重体に。にもかかわらず、母は教団の集会へ行くと言う。遥は母に異議を唱えるも母は聞く耳をもたず。結果、最期を看取れず、父は亡くなる。母の暴挙に怒りを覚え、神の存在を信じられなくなった遥は家を飛び出してしまう。ここから先の遥の言動には、まさに宗教2世の苦しみが象徴的に描かれていた。

神を信じる人と信じない人を分断する母の言いなりになって生きてきた遥は、物事を自分で判断できない。家出後、行く当てのない遥は夜の街の遊び人(吹越満)に拾われ、ホステスとなるのだが、その店のママ(和田光沙)からは心配される。

「あの子ね、断んないのよ。客に言われた通りに何でもやっちゃうの。自分でガードできないのよね。危なっかしいわ。ああいう子は親が異常に厳しかったか、虐待されてたか……」

確かに、自己評価が低く、NOと言わない人の背景には、親の存在が見え隠れする。教育虐待、過干渉な毒親に過保護な親……歪んだ親子関係は世にあふれている。「愛」や「教育」の名のもとに行われる親から子への強制は、子どもから主語や主体性を奪ってしまうのだと改めて思い知らされるセリフだった。

しかも遥は教義にも縛られている。神を捨てたはずなのに、心は自由にならず、むしろ逆に神の存在が頭から離れなくなるともらす。強烈な罪悪感も抱えこんでいる。自分が信仰をやめると家族が地獄に堕ちて苦しむと刷り込まれているからだ。

姉を迎えに行ったのは妹だった。姉も妹も、心の内に秘めてきた思いがある。姉妹が初めて主体性をもって母に言葉をぶつけるラストシーンには、救いがあった。亡き父の思いも含めて家族が初めて正解にたどりつけた気もした。もっと厳しい状況に追い込まれている宗教2世の人にすれば、ご都合主義と思われるかもしれないが、かすかな希望を感じとることができたのではないだろうか。


役者陣の功績と、皮肉にこめた願い

正直、私がこのドラマを観たいと思ったのは役者陣に惹かれたからだ。河合優実は『17才の帝国』(2022年)で好きになり、『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』でも温度設定が微妙に難しい主役を見事に演じきり、若手女優で最も気になる存在に。媚びない&おぼこいの二刀流で今回もハマリ役だった。

妹役の根本真陽も想像を超えてきた。『弟の夫』では無邪気な娘を演じたが、『透明なゆりかご』では10歳にして凄絶な目に遭っている少女を熱演したのが記憶に残っている。そして、母に田中麗奈、父に森山未來と手練れの俳優を据え、4人の俳優で木下一家の優しさと不幸とやりきれなさを完璧に作り上げた。

それだけでも大成功なのだが、吹越満(遊び人の宮本)、和田光沙(クラブママ)、渋川清彦(緊縛師の神岡)が醸し出す“ただれた大人の夜の街”の面々にも説得力があった。

清く正しく生きてきたが居場所を失った遥を救ったのは神ではなく、夜の街の人々という皮肉。清いか・けがれているか、信じるか・信じないか、で人間関係を分断する浅はかさを強調したのは、ドラマならではの粋なはからいだ。崇め奉られるような清いモノでも、欲望にまみれてけがれているとされるモノでも、結局すべては人間の営み。平等で対等で貴賤ナシってことだ。その描き方には皮肉だけではなく、分断や差別からの解放という願いもこめられている気がした。

ライター・コラムニスト・イラストレーター
1972年生まれ。千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業。健康誌や女性誌の編集を経て、2001年よりフリーランスライターに。週刊新潮、東京新聞、プレジデントオンライン、kufuraなどで主にテレビコラムを連載・寄稿。NHKの「ドキュメント72時間」の番組紹介イラストコラム「読む72時間」(旧TwitterのX)や、「聴く72時間」(Spotify)を担当。著書に『くさらないイケメン図鑑』、『産まないことは「逃げ」ですか?』『親の介護をしないとダメですか?』、『ふがいないきょうだいに困ってる』など。テレビは1台、ハードディスク2台(全録)、BSも含めて毎クールのドラマを偏執的に視聴している。

「NHKスペシャル シリーズ“宗教2世” 神の子はつぶやく」は、NHKプラスで11月10日(金)午後11:30まで配信中