「清原父子は凄いな!」夏の甲子園、父・和博さんはPL学園で二度、子の勝児は慶応の107年ぶりのVメンバーとして今年、その名を刻みました。印象に残る場面があります。
初戦の、福井の北陸戦。慶応は評判どおりの強力打線で5回まで毎回得点。9対0で迎えた7回裏の攻撃が始まろうとしたとき、場内がザワザワ、「おや?」グラウンドに視線を送ると背番号15の 登場。「7回の裏、慶應義塾高校の攻撃は、9番小宅君に代わりまして清原君!」。ドワーッと高校野球の代打のコールには珍しく大歓声でした。
父と同じ右打ち。選抜では5打数1安打、仙台育英との最終打席、チャンスに三振、チームも敗れそれ以来の甲子園、夏の初打席です。ゆったりと構え、3球目、外角速球をジャストミート、「ウォーッ!」と沸く中、 痛烈なライナーがレフトへ、しかし左翼手が数歩動き捕球、「オーッ!」と残念と安堵が交錯した後、球場全体が拍手に包まれました。
選抜ではレギュラーだったので勝児に対する歓声には驚きませんが、ベンチスタートの夏、出番を待っていたファンの気付きの早さ、後押しの大きさに皆の「清原待望」を気付かされました。大記録の甲子園通算13本塁打の父を持つ息子に期待し、息子の姿にダブらせて父を懐かしむのです。
場内アナウンスから僅か1分ほど、でも相当楽しめました。父を彷彿とさせる打球の速さ、少し角度がついていれば〝父子弾〞となり大騒ぎになったでしょう。
和博さんは「いい当たりでした。素晴らしいスイングでした。僕の甲子園13本塁打より価値があると思っていますし、親として尊敬の念を抱いています」と話しました。
最後は父の本音です。勝児は注目され窮屈だったと思いますが、チームでは最高の盛り上げ役、また毎試合後は出場しなくても取材指名され、多くの質問に丁寧に答えました。父子がそれぞれの立場で日本一、球史に清原の名を刻みました。甲子園の新たな醍醐味に出会いました。
(おのづか・やすゆき 第1金曜担当)
最新のエッセーは月刊誌『ラジオ深夜便』1月号でご覧いただけます。
購入・定期購読はこちら
10月号のおすすめ記事👇
▼大江裕が語る師匠・北島三郎
▼90歳を超えても現役でいたい!中村梅雀
▼俺は漁師でピアニスト!
▼全盲のヨットマン・岩本光弘 ほか