先ほどからつかみ合いになりそうな激論が続いている。「何でそんな名前で呼ぶんだ!」「旧ユーゴ時代からの名称で、問題はないはずだ!」。コソボ共和国をどう呼ぶかについて、セルビア系のRTK2の記者が旧ユーゴスラビア時代の名称を使ったことから、アルバニア系のRTK1の職員がこれに激しく反発したのだ。

旧ユーゴスラビアから独立したコソボ共和国の公共放送RTKを支援するJICA・国際協力機構の事業が2015年から始まり、旧NHKインターナショナルの専門家など5人が、プロジェクトの目標である「放送を通じた民族融和」の実現を目指していた。コソボの公共放送RTKはアルバニア系職員のRTK1セルビア系職員のRTK2に分かれており、当時、局員同士の交流は稀で、日本人の我々が仲介者になりニュース番組を共同制作しないかと呼びかけたのだ。両民族が同じテーマで協力して番組を制作するのはコソボの公共放送で初めての試みだった。冒頭の激論は、2015年の年末、雪深いコソボ北部、モンテネグロ国境に近い山岳地帯の山荘で、番組の性格や取材テーマについて議論しようと合宿していた時の一コマだ。

最初は和気あいあいに議論は始まったが、やがて国名問題から紛糾。日本人の我々が間に入り何とかその場を収めたが、当時は独立からまだ7年で、集まった両民族の職員達も紛争で家族や親族に行方不明者や犠牲者を抱え、表面の平静さの背後には敵対感を含む強い感情が渦巻いていた。たった一つの言葉、言葉遣いが感情の爆発を生みだしてしまう民族対立の根深さを目のあたりにした瞬間だった。

■画期的なニュース番組「In Focus」がスタート

技術プロジェクトは、放送系と技術系支援の二本立てで構成されている。私たちがNHKで培った「番組制作や報道、そして技術の能力」をRTK職員に伝えることで、RTKがコソボの全ての国民に「正確・中立・公正」な情報を提供する公共メディアになることを目指してきた。放送の分野では当初の激しい議論を経て、2016年の1月30日に共同制作ニュース番組の「In Focus」の最初の放送が始まった。一回目のテーマは「災害」。降雨による洪水、雪による交通マヒ等について伝えた。番組では、コソボが抱える様々な課題に焦点をあて、RTK1、RTK2がそれぞれの観点から問題点をリポートし、アルバニア系、セルビア系それぞれの民族の二人のキャスターが並んで立ちお互いの言語で解説する。その際、二つの言語のスーパーが入る。これまでもRTK1と2がお互いの番組を放送することはあったが、一つの番組を共同で制作し放送するのは、RTKの歴史でも初めての画期的なことだった。 

左 アルバニア人キャスター 右 セルビア人キャスター
右のセルビア人が話すと 下のスーパーは アルバニア語(Pershendetje,,,) 

左のアルバニア人が話している時は 下のスーパーはセルビア語(Naime,,,,)

途中休止期間もあったが、2016年以来、2023年の5月までに70本を放送してきた。まずは番組を続けることに重点を置き、当初は両民族が受け入れられるテーマを選んだ。「文化習俗」に始まり、段々と難度を上げてゆき、「若者の失業」「未整備のインフラ」といった社会、経済の問題を取り上げるようになった。去年は遂に、隣国のセルビアとの関係など政治課題についても取り上げるようになり、今では、毎月1回放送する定時番組に成長した。日本とコソボの間では、オンライン会議でテーマを決め、取材状況を話し合うことも定例化している。


■放送と技術の両面でコソボの平和を

放送系だけでなく技術分野でも大きな成果を上げている。コソボ国内の二つの主要都市、南部のプリズレンと北部のミトロビッツァに支局を開設したことだ。支局員はアルバニア系、セルビア系だけでなく、コソボを構成するトルコ系やボスニア系、ロマ系などの職員で、日常的に複数の民族が協力して日々のニュースや番組を作る体制が今春までに整った。それぞれの地域の情報を国内の視聴者に提供することで、コソボ国民としての一体性と民族の融和感情が強まることを狙いとしている。

放送と技術の両面で、日本の公共放送の知見を8年間にわたり、コソボの平和構築のために少しでも生かせたことは深い喜びだ。勿論、国内の政治状況は安定しているとは言い難い。また、コソボを取り巻く国際情勢には厳しいものがあることも事実だ。対立していた二つの民族間の微妙な調整は、到底一筋縄ではいかない。しかし、希望はある。プロジェクトで蓄積してきた放送、技術の両面での成果を基に、RTKがコソボ国内の安定、民族の融和のために今後も貢献出来ると確信している。
(取材・文/NHK財団 国際事業本部 長﨑 泰裕)
NHK財団  国際事業本部のページはこちら


■コソボ共和国 基礎情報

面積:10,908平方キロメートル(岐阜県に相当)
人口:179万人(2021年)
首都:プロシュティナ(人口60万人)
民族:アルバニア人(92%)、セルビア人(5%)トルコ人等諸民族(3%)*
※ボシニャーク及びゴラニ(計約2%。いずれも南スラヴ系)トルコ系(約1%)、ロマ、アシュカリ、エジプシャン(計約1%。いずれもロマ系)が共存する。
言語:アルバニア語、セルビア語等
宗教:イスラム教、セルビア正教等
歴史:1990年以降の武力紛争、内戦を経て、2008年独立を宣言
(出典:外務省 コソボ共和国|外務省 (mofa.go.jp)

■コソボ公共放送局RTK(Radio Television of Kosovo)

RTK外観

コソボ国内では20のTV局、83のラジオ局(2018,Independent Media Commission)が設立されており、RTKはコソボで唯一の公共放送局で、かつ多言語に対応している放送局である。1999年に欧州放送連合(EBU)の管理下で国営放送として設立され、その後2001年にEBUの管理を脱して独立公共放送局として正式発足した。

スタジオカメラマン研修
JICAプロジェクトにより設立された プリズレン支局
JICAプロジェクトにより設立された ミトロビッツァ支局

JICAプロジェクト:コソボ公共放送局能力向上プロジェクトフェーズ2
Capacity Development of Radio Television of Kosovo(RTK)Phase 2
実施期間:フェーズ1  2015年~2019年9月 フェーズ2  2021年1月~2024年1月