ヒトラーとスターリンにはさまれて生きるとはどういうことか?の画像

私の姉と姪は、今回のウクライナ侵攻で、占領地の地下室に
28日間過ごすことを強いられました

女性や子供は常に戦争の人質です

ウクライナに生きる人々の中に
戦争や悲劇的な出来事を体験せずに生きのびている人は
ひとりもいません

私たちの映画は
記憶から消し去られてはいけない過去を反映したものであり
      未来はウクライナ人と世界にとってより良きものになるはずだと
信じています

映画『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』
オレシャ・モルグネツ=イサイェンコ
監督

オレシャ・モルグネツ=イサイェンコ監督
©MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020

第1回「流血地帯」の三家族

いまウクライナで大ヒットしている映画があります。
『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』。
首都キーウの映画館は、戦時下にもかかわらず、いつも満席といいます。

20世紀、独ソふたつの専制国家に翻弄された、三つの家族の物語です。
三つの家族というのは、ウクライナ人、ポーランド人、ユダヤ人の家族ですが、一つ屋根のアパートで、大きな家族のように暮らしています。映画では、三つの家族の物語が織物のように編み込まれていきます。

手に汗握る波乱の物語には、ウクライナの脚本家クセニア・ザスタフスカさんの祖母の実体験が活かされています。

これは、実話にもとづく、半ばドキュメンタリーに近い作品なのです。

20世紀という荒ぶる大海を、ちいさな舟で漂流していく三家族。
ウクライナの観客は決して映画から目が離せないでしょう。
なぜなら、映画のなかの戦争と、戦争のなかを生きている観客の現在が、いつしか時空をこえて、ひとつに重なっていくからです。
ウクライナでは、映画に登場する少女たちへの思いも、家族に対するように、濃密です。
映画を見た海外の観客の感想をいくつかご紹介してみましょう。

「人間性と優しさをめぐる、切ない物語」
「子どもたちの演技が自然で、歌声も美しい ひきこまれる」
「戦時下の日常生活、そのデテイルの描写がみごと」
「たとえ戦争に苦しめられても、奇跡を信じることをやめない子どもたち」
「独ソに蹂躙されたウクライナの歴史は衝撃的」
「ウクライナの未来もみえてくる」
「リアルで説得力がある 観客のほとんどが泣いていた」

もうひとつ、セルゲイ・コルスンスキー駐日ウクライナ大使の感想です。

「ウクライナはふるくから侵略され続けてきました。とりわけ、大戦中はソ連とドイツに侵略され、戦争が終わっても、ソ連に侵略されたのです。
この映画は、そうした激動の時代の中で、懸命に生きる家族を描いています。
ウクライナ人としての尊厳を守った両親、その愛情に育まれた子供たち。

無垢で美しい子どもたちの歌声は、われわれの心の奥底に沁みわたります。
未来を生きる子供たちの平穏な日々を奪う権利はだれにもありません」

セルゲイ・コルスンスキー駐日ウクライナ大使 

コルスンスキー駐日大使が指摘しているように、この映画には、ドイツとソ連という、ふたつの巨大な帝国のはざまで生きた人々の、恐怖と苦難の歴史が凝縮されています。

ヒトラーとスターリンにはさまれて生きるとは、どういうことなのか。
まさしく想像を絶する、地獄です。
とりわけ女性と子供の犠牲の途方もない大きさに衝撃を受けざるをえません。

三つの民族の体験には、戦争と大量虐殺の世紀の、真実が刻印されています。
映画に登場するウクライナ、ポーランド、ユダヤの三民族は、20世紀の狂気に深く傷つけられた人たちですが、映画を見て、その傷の深さを、わたしたちはいまだに、十分には理解できていないと思いました。

もうひとつ。映画をみているうちに、それが過去の悲劇で終わらず、いま眼前で進行しているウクライナ侵攻によってくりかえされていることに気づき、怖ろしくなりました。

まずは、下記の予告編をご覧ください。映画『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』は、日本でも7月7日から公開されています。

イサイェンコ監督は、複雑きわまりない歴史をドラマのなかにみごとに織り込み、生き生きとした人間の物語として語ります。

わたしたちは家族の切ない物語のなかに、人類の悲劇が凝縮されている事に気づき、深い物思いに誘われます。今こそ見るべき映画ではないでしょうか。


「流血地帯」とはなにか

ここで、映画『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』を深くあじわうために役立つ、キーワードをご紹介します。
それは、「流血地帯」ということばです。

「流血地帯」とは、Blood land の翻訳語で、名付け親は、中欧史・東欧史の専門家として名高いイェール大学の碩学ティモシー・スナイダー教授です。

「流血地帯」は、この百年、ドイツとソ連、ふたつの巨大帝国のはざまに位置し、20世紀でもっとも大量の民間人が犠牲になったエリアを指すことばです。ポーランド、バルト三国、ベラルーシ、ウクライナが、このエリアの中核をなします。

スナイダー教授によれば、この「流血地帯」では、ヒトラーとスターリンの独裁政権によって、1400万人の民間人が殺害されたといいます。

「流血地帯」では、独ソ両国によって、強制収容所への移送、奴隷労働も、史上空前の規模でおこなわれました。ちなみに教授は、ホロコーストについて、こうのべています。

「ホロコーストといえば、アウシュヴィッツに象徴される強制収容所でのユダヤ人殺戮を思い浮かべるひとが多いだろう。しかしそれは、ヒトラーとスターリンによる犯罪のほんの一部でしかない。もっとも悲惨な出来事は、ドイツでもソ連でもなく、両者にはさまれた土地でおこった」

ドイツでもなくソ連でもなく、両者にはさまれた土地……それこそ「流血地帯」であり、映画『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』の舞台です。


Carol of the bells」はウクライナの存在証明

大事なことを忘れていました。この物語のタイトルになった「Carol of the bells」という歌のことです。
この歌は、世界でもっともポピュラーなクリスマス・ソングのひとつとして、知られています。最近では巨匠ジョン・ウィリアムスが『ホーム・アローン』という映画でとりあげ、話題になりました。

かつて1919年に独立したウクライナが、欧米に合唱団を派遣してウクライナの存在をアピールしたとき、この歌が評判になって、ウクライナへの理解に大きく貢献しました。

いまでは世界中の歌手やミュージシャンが、さまざまなアレンジをほどこして、この歌を歌っています。いくつかの演奏をご紹介しましょう。

■ロンドンの少年合唱団Libera

■オリジナルに近いウクライナ・ヴァージョン

■2014年のユーロ・マイダン革命の映像とのコラボ

実はこの歌は、ウクライナに何百年も前から伝わる民謡「シチェドリック」のメロディーをアレンジして作られた曲です。

ちなみにイサイェンコ監督は、この歌をウクライナ人のアイデンティーを象徴する歌ととらえています。監督は語っています。

「ウクライナ人、ウクライナ語、ウクライナ文化が昔から存在しているということを世界に向かって叫ぶ歌です。ロシア人はウクライナ語でこの歌を聴くと不快になります」

「ウクライナ文化など存在しない」と虚偽の主張をくりかえすプーチンは、この歌を聴いたことがあるのでしょうか。

ウクライナ民謡の「シチェドリク」を合唱用に編曲し、英語の歌詞をつけて「Carol of the bells」というクリスマスソングに仕立てたのは、ウクライナの作曲家ミコラ・レオントヴィッチでした。
レオントヴィッチは、悲劇の作曲家です。ソビエト時代のウクライナで、ウクライナ音楽のために独自の合唱団をつくろうとして、ソビエトの秘密警察に銃殺されました。

映画の冒頭は、陶然とするほど美しい「Carol of the bells」の合唱ではじまります。作曲家は無念の死をとげましたが、歌は世界中で愛されています。

さて、このコラムでは、4回にわたって、『キャロル・オブ・ザ・ベル 家族の絆を奏でる詩』の劇的な物語をたどりながら、家族の物語が「流血地帯」の激動の歴史とどうからむのかを「解読」していきたいとおもいます。
映画を見るのに余計な「解読」はいらないかもしれませんが、この映画に関しては、史実を知れば知るほど、作品の奥深さに驚かされると思います。


1939年1月 ポーランドの街角で

物語は、1939年1月にはじまります。ポーランドの街スタニスワフ(現在はウクライナのイヴァノフランコフスク)の路上に、あいついで大きなトラックが止まります。愛らしい少女が降りてきます。見知らぬアパートを見上げ、不安の色を隠せません。

あわただしく家財道具が運ばれます。ウクライナ人の家族、そしてポーランド人の家族がおなじ日に、おなじアパートに引っ越してきたのです。

ウクライナ人の娘ヤロスラワ
©MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020

ウクライナ人の家族は夫婦と娘の三人。夫ミハイロはギタリスト、妻ソフィアは歌の先生、娘ヤロスラワは歌が得意な少女、という音楽一家です。
娘が歌う「シチェドリク」(「Carol of the bells」の原曲)は美しく、だれもが魅了されます。「この歌を歌えば祈りが叶う」という母の言葉を娘は信じています。

ポーランド人の家族も、夫婦と娘の三人。夫はポーランドの軍人で、いつも軍服を着ています。高い教育を受けた紳士で、おそらく将校かとおもわれます。
ひとり娘テレサは、ウクライナ人の娘ヤロスラワとすぐに親しくなり、ソフィアから歌のレッスンを受けることになります。

ポーランド人の少女テレサとウクライナ人の少女ヤロスラワ
©MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020

アパートの家主は、ユダヤ人の弁護士イサク・ハーシュコヴィッツ。
一階で弁護士事務所を開業しています。
有能な人物ですが、あまりに忙しすぎるので、妻から文句をいわれています。
当時、スタニスワフ(現在のイヴァノフランコフスク)では、130人のユダヤ人の弁護士が開業していたといいますから、競争もはげしかったのでしょう。

ユダヤ人の弁護士の家族(夫イサク、妻ベルク、娘ディナ)
©MINISTRY OF CULTURE AND INFORMATION POLICY OF UKRAINE, 2020 – STEWOPOL SP.Z.O.O., 2020

ただし夫婦の愛情の深さは、深夜、蓄音機をかけてダンスに興ずるシーンから、しみじみ伝わってきます。
イサク弁護士には、娘がふたりいます。妹は幼く、10代の姉ディナが面倒をみています。

ところで、東ヨーロッパの観客は1939という数字を見ただけで、暗い記憶をよびさまされるかもしれません。
なぜなら、その年は、ヒトラーがスターリンと密約をむすんでポーランドに侵攻し、第二次世界大戦を開始した年だからです。

ただし、ヨーロッパが地獄の炎につつまれるのは、三家族が出会ってから8か月後の1939年9月です。


なぜスタニスワフだったのか

物語の舞台となる街は、ウクライナのイヴァノフランコフスクです。
第二次世界大戦が始まる前は、ポーランド領スタニスワフでした。
華やかな文化都市リヴィウの近くにあり、中世以来の歴史をもつ古都です。

ウクライナのイヴァノフランコフスク(1939年当時は、ポーランド領スタニスワフ)

イサイェンコ監督は、なぜこの街を物語の舞台に選んだのでしょうか。

「イヴァノフランコフスクは、第二次大戦でナチスからの爆撃があり、はじめはソ連、ついでナチスに占領されました」と監督は語っています。「ところが、ナチスの占領から解放された直後に、こんどはソ連が攻めてきて街を再占領しました」。

つまりこの街は、独ソのはざま=「流血地帯」の縮図なのです。

と同時に、この街は、ヨーロッパ有数の多民族国家ポーランドを象徴する街でもあります。何百年も前からユダヤ人が定住し、大戦前後には、弁護士や医者、教師、工場の経営者など、様々な職業につき、経済発展に尽力し、市政にも参加していました。

1939年には、ユダヤ人がポーランドの人口の10%を占めていました。
首都ワルシャワでは、じつに3人にひとりがユダヤ人でした。

ユダヤ人ばかりではなく、ウクライナ人もいれば、アルメニア人もいます。
それぞれが社会の担い手として重要な役割を果たしていました。

ですから、ユダヤ人、ポーランド人、ウクライナ人の家族がおなじアパートで暮らすのは、そもそも、それほど珍しい事ではなかったのです。

たしかなことは、三つの民族は、独ソふたつの帝国にはさまれた「流血地帯」で、もっとも苦しんだ人々、すなわち20世紀の地獄の最深部を生きた人々だということです。

腰をすえてこの街の歴史を観測すれば、「流血地帯」全体の歴史を物語ることができるのではないか。イサイェンコ監督は、そう考えたのでしょう。

もうひとつ、この街が、激しい空爆を経験し、ソ連からの侵攻を受けたということも、重要なポイントであったとおもわれます。というのは、大戦から84年たった今、イヴァノフランコフスクは、かつてとおなじ恐怖をふたたび経験しているからです。


複雑な民族感情も

引っ越してきたころ、ポーランド軍人の妻はどうもほかの家族とぎくしゃくしていて、とりわけウクライナ人夫婦への態度はひややかでした。
家主であるユダヤ人の妻ベルタは、そんな空気を気にしていますが、弁護士の夫は「しかたがない」といいます。「ポーランド人とウクライナ人の歴史だ」と。

ここで「ポーランド人とウクライナ人の歴史」として暗示されているのは、おそらくは独立をめぐる複雑な感情でしょう。

すこし、時をさかのぼります。
19世紀、東ウクライナはロシア帝国、西ウクライナはハプスブルク帝国の支配を受けていました。しかし、第一次世界大戦とロシア革命がきっかけで、両帝国はあっけなく崩壊。この機会を活かし、ウクライナ人は独立の夢を実現しようとたちあがりました。

そしてついに1918年、東に「ウクライナ国民共和国」、西に「西ウクライナ人民共和国」を誕生させたのです。
スタニスワフは、西ウクライナ国民共和国の首都でした。

そして、東西のウクライナ国家は手を携え、1919年、ひとつの独立国家への合流しますが、残念ながらあまりにも短期間で終わってしまいました。東ウクライナはソ連に、西ウクライナはポーランドに占領されたのです。

1939年といえば、ウクライナ独立の挫折から20年。ウクライナとポーランドのあいだに、複雑な民族感情が存在するのは当然でしょう。

けれども、三家族の娘たち、ヤロスラワ、テレサ、ディナは、歌や音楽への愛を通して、あっというまに打ち解けます。三人の少女は、「Carol of the bells」の原曲「シチェドリク」を美しく合唱し、親たちを驚かせます。

テレサ(ポーランド人)、ヤロスラワ(ウクライナ人)、ディナ(ユダヤ人)

三人のパフォーマンスが、親の心を和らげます。ポーランドの少女も、ユダヤ人の少女も、ウクライナ人の音楽教師ソフィアのレッスンに参加して、歌と音楽を学びます。
宗教、文化、歴史、ことばの違いはありながらも、三家族は、娘たちを通して交流をふかめ、しだいに心を通い合わせていきます。
思えばこの頃が三家族にとって一番、希望にあふれた時でした。


独ソの「秘密議定書」

ふたりの独裁者 スターリンとヒトラー

1939年9月1日 ヒトラーが突然、ポーランドを侵略、17日には、スターリンがポーランドに侵攻しました。これに先立ち、独ソは不可侵条約および「秘密議定書」をむすび、ポーランドを山分けする算段をすでに終えていました。この時点で、スターリンのソ連がヒトラーの強力な同盟者であったことを忘れてはなりません。

独ソは「秘密議定書」をむすび、1939年、ポーランドに侵攻した(第二次大戦勃発)

英仏はただちにドイツに宣戦布告。まさしく第二次世界大戦は、独ソのはざまにひろがる「流血地帯」からはじまったのです。
不幸にもこの地域で暮らす多くの民族は、人類史上もっとも悲惨な戦争に、いやおうなく巻き込まれていきます。

(第二回へ続く)

京都大学文学部卒業、1981年にNHKに入局。特集番組の制作に従事。NHK特集「山口組」、ハイビジョン特集「笑う沖縄・百年の物語」、BS特集「革命のサウンドトラック エジプト・闘う若者たちの歌」、最近作にNHKスペシャル「新・映像の世紀」「戦後ゼロ年東京ブラックホール」「東京ブラックホールII破壊と創造の1964年」などがある。ユネスコ賞、バンフ国際映像祭グランプリ、ワールド・メディア・フェスティバル2019インターメディア・グローブ金賞など受賞多数。現在はフリーランスの映像ディレクター・著作家として活動。著書に『戦後ゼロ年東京ブラックホール』『1964東京ブラックホール』がある。2023年3月放送の「ETV特集・ソフィア 百年の記憶」では、ウクライナ百年の歴史リサーチ、映像演出を担当。