20世紀は映像の世紀と言われる。

写真、映画の映像文化が花開き、そしてテレビがあらゆる映像をお茶の間に届けたからだ。そのテレビは1975年にメディアの王様の座に就く。他のメディアに比べ優位性があり、媒体別の広告費で断トツとなった。

勝因はもう1点あった。
ビジネスとしてテレビに栄光をもたらしたのは、視聴率があったからだ。映像の世紀にメディアの王様となったテレビを支えた視聴率の実態に迫る。


テレビ放送スタート

1953年にNHKと日本テレビがテレビ放送をスタートさせた。
ただし当時は、視聴率測定という概念はなかった。そもそもテレビ受像機は当初2600台ほどしかなく、その中で見ている人の比率を出しても意味がなかったのである。

そこで日テレは広告収入の指標として、テレビ視聴者の実数を使った。
街頭テレビの前の人数を測定し、「街頭テレビ日報」を作成したのである。これだと受像機の数より視聴者の数がはるかに大きくなる。

例えば開局2か月後のボクシング中継。
街頭テレビの前には人だかりが出来たが、テレビは同時に中継していたラジオより、勝敗を占うクイズへの回答数が11倍多く集まった。6か月後のプロレス中継では、新橋に設置された1台の街頭テレビに、なんと2万人が殺到した。

日テレ初代社長の正力松太郎には持論があった。
「テレビの広告効果は、受像機の数ではなく、それを見ている人の数」。このやり方に乗り、同局は開局5か月で黒字とした。正力の見通しが正しかったのである。

ちなみに街頭テレビについて貴重な調査がある。
55年11月にNHK放送文化研究所が実施した「自宅にテレビのない人の視聴状況」調査だ。それによれば、街頭テレビや飲食店に「この1か月にテレビをわざわざ見に行った人」は30%に及んだ。
実際に見た番組は、プロレス80%、プロ野球36%、相撲35%。日テレの中継番組が上位に来たが、正力の経営センスを裏付ける統計と言えよう。


初期の視聴率調査

民放にとって視聴率は、番組の広告料を決める指標だ。
ビジネスで大きな意味を持つこの視聴率、テレビの普及と共に進化を始める。日本初の調査は、54年にNHK文研が京浜地区で実施した面接調査だった。前日のテレビ番組表を見せながら、「どの番組を見たか」を聞いたもので、手間がかかるが正確な統計だった。

61年には人手から機械による調査へと進化した。
最初に導入したのは、米ニールセンが日テレと契約し、関東300世帯で調査を始めた。紙テープに視聴したチャンネル番号と時間が1分刻みに記録される方式で、テープは1週間後に回収・集計された。

62年には日本独自の調査が始まった。
テレビから漏れる電波を感知し、紙テープに1分毎に記録する方式で、VRが着手した。年間を通じて記録が取れ、集計から分析が自動化した点が画期的だった。

この年、白黒テレビの普及率は80%に達した。
このタイミングで毎日全ての番組の視聴率が測定され、広告効果が評価されるようになった。

激しい視聴率競争の幕開けだったのである。


高視聴率番組続出

測定が始まると、高視聴率番組が話題になり始めた。
VR社が年間を通じて測定した最初の年63年、トップは第14回NHK紅白歌合戦で81.4%だった。視聴率測定を始めて50年での最高記録となった。2位がNHKニュース66.7%、3位に日テレプロレス中継64.0%が入った。

歴代の世帯視聴率ベスト10には、初期の番組が6本入る。
テレビ放送の黎明期、如何にテレビが視聴者を魅了していたかがわかる。

ちなみに63年に50%を超えた番組は6本、40%超では19本だった。
翌64年は50%超7本・40%超20本以上となった。東京オリンピックの年で、高視聴率番組のオンパレードとなったのである。

通常番組も高い視聴率となった。
83年に朝の連続テレビ小説『おしん』が62.9%をとったのを筆頭に、多くの番組が高視聴率リストに並ぶ。
ドラマ 『旅路』56.9% NHK 1968年
ドラマ『おはなはん』56.4% NHK 1966年
ドラマ『ありがとう』56.3% TBS 1972年
ドラマ『あしたこそ』55.5% NHK 1969年

テレビ初期の視聴者の熱量を感じるデータだ。


テレビがメディアの王様になった理由

テレビがメディアのトップになった理由の一つがメディア特性だ。

人と人をつなぐ最初のメディアは文字だった。
手紙から本、そして新聞や雑誌へと発展していった。

次に音声を活用するメディアが登場した。
オルゴールや蝋管が発明され、音を記録できるようになった。さらにレコードへと進化し、20世紀にはラジオが発明され普及した。

最後に映像メディアが登場した。
静止画の写真から動画となった映画、そしてテレビへと展開した。日本では70年代にほぼ全ての家庭にテレビが普及するまでになった。

図のピンクと青は、パッケージとフローメディアの違い。
送り手から受け手への到達に時間がかかるものと、瞬時に大勢に届くものとの差である。放送は、早さと届く人の数の多さで圧倒的に優位だった。だから最も普及するメディアになった。

もう1点、リアリティで大差がついた。
文字・テキストは抽象性が高く、全員が理解できるとは限らかった。識字率という言葉があるように、文字を読めない人もいる。難しいメディアで、中には使いこなせない人もいたのである。

文字・テキストに音声が加わると具体性が増す。
例えば悲しい場面に悲しい音楽をのせると、誰でも悲しいシーンを想起できる。「ギー、バタン」と効果音を加えると、ドアがどうしまったのか、誰でも理解できる。
このように音声メディアは奥行が出来たので、受け手が全てを自分でイメージするのではなく、音声の力を借りて想起しやすくなり、リアリティが各段に増したのである。

「百聞は一見に如かず」という諺がある。
見る行為が最も具体的で、誰でも理解でき信頼できるということ。メディアの中では、リアリティが最もあり、全ての人が使いやすいものとなった。
かくして瞬時に千万単位の人々に届き、全ての人が理解できるテレビがほぼ全世帯に普及したのである。


視聴率の存在意義

テレビがメディアの王様になるには、もう一つ要因があった。
視聴率の存在だ。20世紀には、マスメディアが4つあった。新聞、雑誌、ラジオ、そしてテレビだ。この中でテレビだけ、コンテンツがどの程度見られているのか、1分単位で測定したデータがあった。

例えば新聞や雑誌。
発行部数はわかっても、各記事が実際に何人に読まれたのかのデータはない。ラジオには聴取率という調査があるが、1年を通じで全番組をカバーしていない。しかも調査結果が判明するのに時間がかかる。

広告主の視点に立ってみよう。
映像だと自社製品を最も魅力的に受け手に届けられる。しかもどのくらい受け手に届いたのかを、翌日にはデータとして確認できる。

かくしてテレビ広告費が急増した。
1975年には、それまでトップだった新聞を抜きさった。そして今世紀初頭には、ダブルスコアの差をつけるまでになる。
2000年のテレビ広告費は2兆793億円でピークとなった。

ところが今世紀、テレビ広告費とその前提となる視聴率は、厳しい局面を迎える。
何がテレビに起こったのか、詳細は次号。

愛知県西尾市出身。1982年、東京大学文学部卒業後にNHK入局。番組制作現場にてドキュメンタリーの制作に従事した後、放送文化研究所、解説委員室、編成、Nスペ事務局を経て2014年より現職。デジタル化が進む中で、メディアがどう変貌するかを取材・分析。「次世代メディア研究所」主宰。著作には「放送十五講」(2011年/共著)、「メディアの将来を探る」(2014年/共著)。