“ママレスラー”という女子プロレス界のパイオニアとして人気を博した北斗晶さん。現在は、主婦タレントとして活躍の場を広げる彼女が、夫婦、親子、人生についてお話ししました。                  聞き手/江崎史恵

夫・健介に支えられ、日本初のママレスラーに  

  ママになったときは、どのようなお気持ちでしたか?

北斗 ママになったときは現役の女子プロレスラーだったので、鏡に映った自分のお尻を見たとき、すごいお尻大きくなったな、ラッキーと思ったんですよ。でも、待てよと。病院に調べに行ったら赤ちゃんがいたわけですよ。恐ろしい話なんですけど、知らないで2か月くらいはリングに立っていたんですよね。だから、よく生きていてくれたなと思いますね、長男はほんとに。おなかをさすりながら、「気がつかなくてごめんね」と謝罪しましたけど。

  ご結婚したときはプロレスを続けようと思っていたのですか?

北斗 その当時、全日本女子プロレスという団体にいましたが、「25歳定年・酒たばこ禁止・男はダメ」という決まりがあったんですよ。誰かと結婚したり、恋人ができたりしたら辞めなさいという。ただ、それは罰として辞めなさいというのではなくて。もうお亡くなりになりましたけど、全日本女子プロレスを作った、当時の松永高司会長の親心ですね。「プロレスというものは青春だ!」と。25歳くらいで引退して、いい人を見つけて、幸せになりなさいという。

  でも、結婚された後もプロレスを続けたわけですよね?

北斗 続けさせてもらえたのは、健介のおかげです。健介との婚約記者会見のときに、松永会長に同席していただいて、そこで健介が「結婚したらプロレスを辞めなければいけないというおきてあるのは知っていますが、(妻に)プロレスをやらせていただくことはできませんか」と言ってくれたんですよ。それは、私が悩んでいたので。そしたら松永会長が、「あなたのようなしっかりした方が隣にいてくださるのであれば、特例として認めましょう」と言ってくださって。だから、パイオニアといえばパイオニアなのかもしれないですけど、松永会長が許してくださったのがいちばん大きかったと思います。

悩んだときこそ、前向きに  

  その後、お子さんが生まれて子育てする中で、北斗さん自身は孤独を感じることはありましたか?

北斗 東京に夫婦2人で住んでいて。現役中は健介が東京にいるときは、私が地方。私が東京にいるときは、健介が地方みたいなすれ違いの生活が多かったので、なかなか一緒にいて何をしたという思い出がないくらい。そんな夫婦生活の中での出産だったんですよ。出産後は、頼るものは参考書だと思い、参考書を買いました。私は母乳の出があまりよくなかったんですよ、長男も泣いていましたけど。参考書を読むと3時間おきにミルクをあげて、げっぷをさせてとか、細かいこともいろいろ書いてあって。でも、うちの子は3時間おきに起きないんですよ。どうしてこの子は起きないんだろうと、悩みそうになったときにふと思ったんですよ。大人だっておなかいっぱいだったら食べないし、大人だって眠かったら寝続けるし、泣いたらあげればいいやと。

  赤ちゃんの感情に任せるということに気づかれたのですね。

北斗 野生の本能(笑)じゃないですけど、そう思わないと悩んでしまうだけじゃないですか。今、子育て中のお母さんや、これから赤ちゃんを産むお母さんは、私もそうでしたけど、テレビや雑誌からの影響って大きくて。例えば、母乳を飲ませないとダメとか。母乳が出ないからしょうがないだろうと、私は思うんですよ。うちの子たちは、90パーセント粉ミルクです。でも、今は私よりでかいです。母乳はとても体にいいとは思いますけど、悩むほどじゃないというね。あと、うちの子は周りの子と比べて立ち上がるのが遅いと悩んでしまうお母さんがいますよね。確かに1歳児健診のときに、すでに立っている子がいたんですよ。うちは下の子は3月生まれで、上の子は11月生まれで、早く生まれた子は立ち上がっていたり、つかまり立ちしたりしているわけなんですよね。そうすると悩むお母さんが出てくる。同じくらいなのに、うちの子はつかまり立ちもしないでずっと座っていて、成長が遅いって。でも、今なら「最高に親孝行じゃん!」って言えるんですよ。かわいい時期を長く見せてくれているんだから。パッと立ち上がって、歩いちゃうよりも親孝行だと言えるんですよ。

長男出産から8か月でリングに復帰。
子育てとの両立は  

  出産した翌年にはプロレスのリングに復帰されましたが?

北斗 長男が8か月になって復帰しました。そのときは引退のために復帰したんです。それまで長い間プロレスをやってきて、何も挨拶なしに、子どもを産んだから辞めますみたいなことはできないなと。ファンの方たちも戻ってくると思っているので、早く戻って引退しようと思ったんです。1試合でもいいかなと。ただ、復帰したら引退できなくなっちゃったんですよ。なぜなら、子どものいる女子プロレスラーは日本初だったので、マスコミの皆さんが大きく取り上げてくださって。そうなると余計に注目されて、引くに引けなくなっちゃったんですよね。

  プロレスと子育ての両立は、どのようにされたのですか?

北斗 長男はプロレスの場に連れていきましたね。「風邪ひかないでよ」と思いながら。試合のときは、コスチュームを着て鬼みたいなメークをして、ミルクをあげるわけですよ。そしてあげ終わったら、哺乳瓶から木刀に持ち替えてリングに向かうという(笑)。出産後、私は強くなりましたね。試合のリングに上がると、子どもの声がときどきするんです。今まではいっさい耳に入ってこなかったのに、長男を産んだ後は子どもの声を私の耳が拾うようになったんですよね。そこで何が起こるかというと、はっと思うわけですよ。「長男が待っているから早く相手を倒して帰らなきゃ!」と。ますます強くなりましたよ。

  母のパワーはすごいですね。

北斗 でも、いいことばかりでもなく、子どもが熱を出したときや、体調を崩してしまったときに「自分はなんて悪い母親なんだろう。自分のやりたいことにこの子をつきあわせて、なんて悪い母親なんだろう」と思ったことも多々ありましたね。

  母は、いつも優しくて手を差し伸べる存在でなければならないと、自分でハードルを上げてつらくなる方もいます。北斗さんはどう思われますか?

北斗 お母さんはこうでなくちゃいけないというものですよね。でも、世間の言う「いいお母さんって何なんだろう」と。いいお母さんか決められるのは、自分の子どもだけですよ。だから、料理が上手じゃなかろうが、せんべい食べながら横になり寝ていようが、子どもが「うちの母ちゃんはいい母ちゃんだ」と思うならば、いいお母さんじゃないですか。もう型に捉われる必要はないですよ。私だって口は悪い母ちゃんだけど、息子㆓人は私のこと大好きですからね!

(NHKウイークリーステラ 2021年6月25日号より)