「元気を伝えたいンです」
「平清盛」のドラマがはじまる前のインタビューで、清盛を演ずる松山ケンイチさんはそう語っていました。目下元気いっぱいです。“元気を伝えたい”というのは、いうまでもなく去年*の“東日本の大災害”で、大きなショックをうけた被災地内外の人びとへの、復興にむかう気力おこしのエールだと思います。

その清盛をなやませるのが白河法皇の不気味なことばです。清盛は法皇の子だといわれていますが、その法皇が清盛にこういいました。「そちにも、このモノノケの血が流れておるのだ」伊東四朗さんがいうとよけい気味がわるいですね。

モノノケとは「物の気・物の怪」などと書きます。“たたりをする悪霊や生き霊のこと”と辞典に書いてあります。ホトケがすでにどこかへいってしまった、という平安末期の社会不安を、ピッタリあらわすことばです。法皇にはそういう妖怪がとりついているのでしょうか。

法皇とくらしをともにするおんにょうもふしぎな女性です。この呼称は名前ではありません。“祇園ちかくに住む女御”という意味です。女御というのは宮廷内の女性の尊称で、中宮(后きさき)につぐ高い位のことだといわれます。このころは高位にある公家の娘でなければ、その位置を得られませんでした。

祇園女御の出身経歴はいっさいわかりません。法皇とのむすびつきも不明です。しかし宮廷内では大きな力を発揮しています。後宮(御所の大奥)でのモノノケでしょうか。松田聖子さんのオーラにも一種の“妖気”がありますね。

この時代は愛する者が会うときには「男性が女性を訪ねる」というのが習慣でした。ですから法皇がしばしば祇園女御を訪ねていたのです。

法皇と祇園女御が養女にしていた少女がいます。閑院(藤原)実の娘・璋子(たまこ・あるいはしょうし)です。大変な美少女で法皇も祇園女御もかわいがっていました。

イラスト/太田冬美

ところが美しい女性が大好きな法皇は、この娘にも手をつけてしまいました。冬など「冷えた足を温めてやる」といって昼間から璋子と寝室にいたそうです。このことはすぐ評判になりました。──モノノケがうごめきはじめ清盛もまきこまれます。

(*NHKウイークリーステラ 2012年2月24日号より)

1927(昭和2)年、東京生まれ。東京都庁に勤め、広報室長、企画調整局長、政策室長などを歴任。退職後、作家活動に入り、歴史小説家としてあらゆる時代・人物をテーマに作品を発表する。