日本で最初のシニアチアダンスチーム「ジャパンポンポン」の代表を務めるたきふみさん(90歳)。63歳のとき、持ち前のバイタリティーと行動力でチームを結成して以来、今も現役チアダンサーとしてダンス大会やチャリティーショーに出演しています。滝野さんがチアダンスを始めたきっかけや、新しいことに挑戦する際の心構えなどを伺いました。

聞き手/関根香里

55歳以上で「自称」容姿端麗

——滝野さんが代表を務めるチームは、チアダンス界でどんな存在ですか?

滝野 日本で最初にシニアチアを始めたチームでいわゆる老舗っていうか(笑)。メンバーは全員で23人、平均年齢は70歳です。

——55歳以上で容姿端麗であることが、入会資格に含まれるそうですね。

滝野 容姿端麗は自称ですよ、自称(笑)。

——50歳でも60歳でもなく、「55歳以上」なのは何か理由があるんですか?

滝野 米国にシニアチアチームがあって、そこは確か入会資格が59歳以上なんですが、当時の日本では59歳だと入る人が少ないと思ったので、55歳に下げたんです。

——チアダンスは衣装もきらびやかですね。

滝野 米国のシニアチアの人たちが利用しているカタログを参考にして注文してるんですね。スパンコールが山のようについていて、派手派手でキラキラなんです(笑)。

——練習は週1回、時間はどのぐらいですか。

滝野 指導の先生にお願いしているのは30分の柔軟体操と1時間半のダンスです。その後は1時間ぐらい残って自主練習をしています。先生がいらっしゃる前にも少し練習しているので、大体3時間半ぐらいになります。

——初めての曲を覚えるときは、先生が最初に踊るのを見て、それから一緒に動いて体で覚えていくんですか?

滝野 そうですね、もう、少しずつ少しずつですけども。それから、練習をビデオに撮ったりもします。私の場合、ビデオだけでは頭に残らないので、自分で絵コンテを描きます。それに、自分がダンスを覚えることも大切ですけれども、団体競技なので全員で動きを合わせなきゃいけないんです。

——それも重要なことですね。

滝野 ええ、どれぐらい動きが合うかがいちばん大事なんですよね。一人か二人が覚えてなくて間違えるともう、全部台なしになってしまう。うまい下手は別にして、合わせてなんぼの世界ですよね、本当に。

——また、週に1回とはいえ、練習に通うのも大変ですよね。

滝野 そうですね、それを27年間毎週やってきたのは大きいですね。いまだに元気でいられるのは、そのおかげだと思っています。

今年10月の練習の様子。しっかりした姿勢、強い視線で、年齢を感じさせない。

郵便番号と宛名だけで届いた手紙

——1932(昭和7)年のお生まれで、かん西せい学院大学を卒業後に米国へ留学。帰国後は25歳で結婚して、子育てを終えた53歳のときに再び米国に留学しています。

滝野 大学を卒業した年に、父が「これからの時代、女の子は自立しなければならないので留学しなさい」と勧めてきたんです。兄と弟もいましたが、父は私を留学させてくれました。結婚後の再留学はいろいろあって、ほぼ家出したかたちですね(笑)。

——どんな思いから決断したのですか。

滝野 私の父は世間的に成功した人だと思うんです。元気なころは「寝たきりになっても絶対に人生を最後まで楽しむ」とも豪語していました。それが亡くなる半年前に寝たきりになると「自分の人生は無だった」とか、「これ以上何か食べると長生きするから、食べたくない」と嘆くようになったんです。すごくショックでしたね。そのころ50歳を過ぎていた私は「このままだと同じことをするに違いない。そんな愚痴ばかり言って最期を迎える人生は嫌だ」と思って、「老年学」を学ぶために家を出て再度留学したんです。

——チアダンスチームを作ったのは日本に戻ってからなんですね。

滝野 たまたま米国の高齢者の生活について本を読んでいたら、本当に3行ぐらい、アリゾナ州のサンシティという町に「サンシティポンズ」というシニアのチアリーダーグループがある、ということが書いてありました。シニアでもチアができるっていうことに驚いて、「私もやってみようか」と思ったんです。

——それでどうされたんですか?

滝野 思い立ったけれど、どうすればいいのか全く分からなかったので、そのグループのリーダー宛てに手紙を出すことにしました。情報は先ほどの本の3行だけだったので、エアメールの宛先はサンシティの郵便番号と「サンシティポンズリーダー様」だけでしたが、そのリーダーがたまたま、以前に郵便局に長く勤めていた方だったんです。私の手紙を受け取った郵便局の人が「きっとあの人だ」と届けてくれました。奇跡としか言いようがないです。返事が来て驚きました。

——お返事はどんな内容でしたか?

滝野 私たちはこの曲を使ってこんなことをやっている、と活動や練習内容を具体的に書いてくださって。それでお礼の手紙を出したら、またすぐに返事が来て。すごく筆まめな方で、写真もいっぱい送ってくださって、それで「始められるかな」って感触を得ました。


友人たちに声をかけ、チーム結成

——その後、どうやってチームを結成していったんですか?

滝野 ある友達に「米国にこういうことをやってる人たちがいるけど、どう思う?」って聞いたら、「いいんじゃない?」っていう返事があったんですね。また、別の友達が20年ぶりに電話をかけてきたので、「おもしろいこと始めようと思ってんの」って言ったら、何も聞かないうちから「その話、乗った」って返事してくださったんです。ほかにも10人ほどとお食事しながら「こんなことやってみない?」って声をかけたら、そのうちの半分が「じゃあ、やってみる」って。物好きな人、結構いるんですよね(笑)。

そして友達の一人と、指導してくださる先生を探しに行くことになりました。彼女が青山学院大学出身だったので、東京・渋谷区の青学の青山キャンパスに行ってチアリーディング部の部室を探したんです。すると、当時チアリーディング部があるのは神奈川県の厚木キャンパスだけで、青山はバトン部だけということが分かったんですが、「バトンもチアも同じようなものよね」と気にせず(笑)、バトン部のキャプテンに会って「教えてください」ってお願いしたら、「え、(お二人の)お嬢さんにですか?」って言うから「いやいや、私たちよ」って(笑)。結局、そのキャプテンが指導を引き受けてくれて、1996(平成8)年1月から活動を始めました。

——今、改めて当時のご自分たちをどう思われますか?

滝野 これに限らず、私、何かしようと思うと本当にうまくいくんですよね。一緒に活動してくれる友達が現れたり、友達が勤めている施設を練習場として借りられたり。自分でもすごく運がいいと思ってます。


大事なことは誰にも相談しない

80代から始めたウクレレも楽しみの一つ。

——チアダンスのほか、スカイダイビングやウクレレ、語学の勉強と、いろんなことに挑戦していますが、新しいことを始めるときに「無理かな」と思うことはないんですか?

滝野 ないですね。思慮分別が足りないっていうことなのかしらね(笑)。

——あまり自分に線引きをしないんですね。

滝野 しませんね。私は「世間の人がどう思うだろう」ってあまり考えない。チアを始めるときも「やりたいからやろう。何と言われても知ったことか」みたいな(笑)。

——それってどういうことなんですか?

滝野 自分の人生だからしたいことをしないと。周りの人に何か言われるからやめるっていうのは自分の人生じゃないし、やめて後悔しても誰も責任取ってくれない。だから私、大事なことは一切誰にも相談しません(笑)。反対されるに決まってることは言ってもむだだなっていう思いはすごくありますね。

——滝野さんみたいに、自分がしたいことをするのが最高の幸せかもしれませんね。

滝野 チアを始めたばかりのころ、よく友達に「チアがあなたの生きがいね」って言われて「生きがいじゃないわよ」って反論してたんですよね。単なる趣味の一つよ、みたいな意味で。だけどチアの全くない人生を想像して今の人生と比べると、生きがいとまではいかなくても、すごく大きな部分を占めていると思うんです。友達もたくさんできたし、体も健康だし。チアと出会ってよかったなと思います。

インタビューを終えて 関根香里
時には真夏の太陽のように、時には春の日ざしのように人の心を照らす滝野さん。人生の大先輩から「年齢を気にせず挑戦すること」「いつも笑顔を絶やさないこと」を教えていただきました。ヒールの靴を履いて背筋を伸ばすことも! 私もすてきに年を重ねていきたいです。

※この記事は、2022年9月6日放送「ラジオ深夜便」の「人生も、弾んで踊って楽しんで」を再構成したものです。
(月刊誌『ラジオ深夜便』2022年12月号より)

購入・定期購読はこちら
7月号のおすすめ記事👇
▼追悼・八代亜紀インタビュー
▼安藤優子、認知症の母を語る
▼ちばてつや 85歳の日々
▼魅惑の缶詰ワールド ほか