■読者の皆さまへ
いつも連載コラム「亡命ウクラニアン 百年の物語」をお読みくださり、ありがとうございます。ウクライナと世界の運命をめぐる物語は、ベアテ・シロタのエピソード前篇で終了となります。ここまでは神戸や東京が中心でしたが、後篇では日本ばかりでなく、アメリカ、ヨーロッパ、満洲、上海へと舞台が広がっていきます。どうぞ、ご期待ください。
なお後篇の再開まで、このコラムでは「FEEL !WORLD」コーナーを拡大して、ウクライナの音楽や映画、文学作品などをご紹介しながら、ウクライナと世界の来し方行く末に思いを馳せていきます。
【FEEL ! WORLD】特集「1944/2022」
■ジャマラの絶唱
まず、こちらの曲をお聴きください。
ウクライナの素晴らしい歌手JAMALA(ジャマラ)が歌う「1944」。
スターリンによる「強制移送」をテーマとした、胸を打つ傑作です。
2016年のユーロビジョン・ソング・コンテストでみごと栄冠に輝きました。
*ユーロビジョン・ソング・コンテスト…EBU(ヨーロッパ放送連合)の主宰する
欧州最大級の音楽コンテスト。1956年から毎年開催。
⦿ユーロヴィジョン・ソング・コンテストにおけるLive(2016)
※圧巻、迫力、熱狂のステージです。
「1944」の作詞も作曲も、ジャマラみずから手がけました。歌詞の大意です。
「1944」 JAMALA
見知らぬ男たちが家を襲う
わたしたちを連れ去り 皆殺しにするために
かれらは言い放つ
俺たちは正しい 殺しても許される
それでも人間なの?
神様になったつもり?
かれらは吞み込んでしまう
わたしたちの魂を
青春が奪われた
平和が奪われた
かれらは平気で盗む
わたしたちの未来を 自由を 愛を
人生で一番しあわせな時間を
人間らしい心はどこへ?
魂をうばわないで わたしたちの魂を・・・
6年前にリリースされた名曲ですが、今年になって、この歌にふたたび注目が集まり、あたらしいバージョンがアップされています。
なぜいま注目が集まるのでしょうか。
次の映像をご覧ください。
⦿ジャマラ「1944」の最新映像(オーケストラ・バージョン)
冒頭、歌のタイトル「1944」という文字に「2022」という文字が重なります。
カメラは、暮れなずむウクライナの街を、空から凝視します。
切ない視線が街を漂流します。
いつミサイルに破壊され、失われるかもしれない世界。
ジャマラの歌声と響きあい、深い悲しみが伝わってきます。
「1944」で歌われたクリミアの悲劇、そして、ロシアによるウクライナ侵攻のもたらした2022年の現実。ふたつの出来事が、時を超えて、重なり合う。
ソヴィエトの崩壊によって葬られたはずの恐怖がいま、よみがえっている。
リスナーのひとりPanni Kattakは、こう回想しています。
「この曲がリリースされた2016年には、内容が政治的すぎると批判する人もいた。しかしロシアによる侵攻が始まってからは、2022年という年は、1944年に逆戻りしたように感じられる」
■1944 民族追放の悲劇
2014年、ロシアは国際法を踏みにじり、軍事力によってウクライナの自治共和国クリミアを侵略し、占拠しました。
ロシアによる不法な占領をきっかけに、クリミア・タタール人は、70年前の悪夢を思い出し、不安にかられました。あの悲劇が再演されるのではないか。
70年前、クリミア・タタールとナチスとの協力を疑った独裁者スターリンは、民族をまるごとシベリアや中央アジアまで強制移送しました。
ジャマラの歌は、家族の人生を破壊した、おそろしい記憶から生まれたのです。
まず、この歌の背景となったできごとをふりかえってみます。
1939年9月1日、ヒトラーがポーランドに侵攻。スターリンもあとを追うかのように、16日、ポーランドに侵攻しました。ふたりの独裁者は、ひそかに秘密協定をむすんでいたのです。ポーランドという「獲物」を山分けするために。
ところが1941年になって、野心を露わにしたヒトラーは、突如、ソ連との同盟を破棄し、ウクライナを、ついでクリミアを占領します。
それまでウクライナやクリミアは、スターリンの圧政の下で、土地を奪われ、文化を破壊され、飢餓、虐殺、はてしない苦しみを強いられてきました。
それゆえ、スターリンの恐怖政治から解放されたい一心で、少数ながら、ナチスに協力する者が存在したことは事実です。
しかし多くの住民はソヴィエトにしたがい、兵士として戦いました。もちろん、そこにクリミア・タタール人2万人もふくまれていました。
3000万人が犠牲となった悲惨きわまる独ソ戦。ようやく1944年になって、ソヴィエトはクリミアをナチスから奪い返します。
クリミア・タタール人も、大きな犠牲を払いました。
ところがスターリンは、あろうことか、すべてのクリミア・タタール人をナチの協力者と決めつけ、シベリアや中央アジアに、民族を追放したのです。
クリミア・タタール人の恐怖と絶望をおもえば、胸がふさがります。かれらは家畜のように貨物車に押し込まれ、食糧もろくに与えられないまま、ばたばたと死んでいきました。数万人が犠牲になりました。
クリミアで暮らしていたほかの少数民族(ギリシャ人、アルメニア人、イタリア人、ブルガリア人)もみな移住を強いられ、あるいは追放されています。
ジャマラの家族もクリミアから追放されました。曽祖父は赤軍の兵士として戦ったにもかかわらず、まだ20代だった曾祖母とともに不毛の土地へ追放され、移送の途中で娘のひとりを失いました。
この映像をご覧ください。強制移送の恐怖をジャマラとダンサーが身体的なパフォーマンスによって再現しています。絶望と悲しみが伝わってきます。
⦿1944 公式映像2021 (ダンス・パフォーマンス)
クリミア・タタールを「排除」したソヴィエトは、たちまちクリミアを「ロシア化」し、地名をロシア語に変え、モスクを破壊しました。
そこへ大量のロシア人が「入植」します。
古代ギリシャ以来の、クリミアの長い歴史や伝統はロシアによって完膚なきまでに破壊され、いわばロシアの「植民地」にされてしまったのです。
クリミアにはロシア系の住民が多いけれども、その背景に、クリミア・タタールを迫害したスターリンの「強制移送」のあることを、まず想起すべきです。
強制移送を生きのびたタタール人、そしてその子孫が祖先の土地クリミアに帰還できるようになったのは、ようやく1991年、ソ連が崩壊してからです。
しかし2014年のロシアによる併合以来、ロシアに対する不満を口にするだけで、裁判にかけられ、拘置所に入れられてしまいます。
国際司法裁判所(ICJ)は2017年4月19日、クリミア・タタール人への差別が存在すると認定し、ウクライナ語教育の機会均等を命じました。
2021年5月5日にはG7(先進7か国)がクリミア・タタール人への人権侵害を非難する共同声明を発表しました。
ところがロシアはまるで意に介せず、9月21日、部分動員令を発令、多くのクリミア・タタール人を戦争の最前線に送り込み、ウクライナ人と同士討ちさせようとしています。
■ウクライナを苦しめた「強制移送」の恐怖
「強制移送」に苦しめられてきたのは、クリミアばかりではありません。
スターリンは戦前から、ソヴィエト帝国のあらゆる民族を「強制移住」させましたが、とりわけ地獄の追放生活を強いられたのは、ウクライナでした。
ウクライナでは、モスクワから土地を奪われることに抵抗した農民は、まっさきに銃殺されるか、もしくは「強制移住」させられました。
突然、秘密警察に拉致され、シベリア、ウラル、極北の地へ向かう何千両もの貨物列車に詰め込まれます。故郷を何千キロも離れ、厳寒の痩せた土地で、生涯、奴隷労働を強いられました。逃亡者は、容赦なく射殺されました。
東欧現代史の第一人者スナイダー博士のリサーチによれば、「1939年から43年にかけて、スターリンとヒトラーのふたりだけで、およそ3000万人の人々が立ち退かされ、移動させられ、追放され、離散させられた」のです。
*テイモシー・スナイダー「ブラッド・ランド」…ナチスとソビエトに
はさまれた史上最大の流血地帯の歴史を解き明かした名著
おなじころ、スターリンは大規模な民族テロルにも手を染めました。その実態は長く隠されていましたが、1938年の時点では、「民族テロルによって殺害された人の数は、ナチスの千倍」に達していました。
「平気で人を殺す、当時もっとも残忍な政権」に支配されていたため、「ウクライナ人もユダヤ人も大量死する」悲劇を強いられたのです。
日本人も、ソビエトによって「強制移送」の苦しみを強いられました。
いわゆる「シベリア抑留」です。
第二次大戦後、50万を超える日本の兵士が拉致され、酷寒の僻地で、奴隷労働を強いられました。兵士がどれほどの辛酸をなめたか。想像をこえています。
それをおもうとき、ウクライナ人にとっての「強制移送」の苦しみが、さらにリアルに、切実に感じられてきます。
戦後も、ソヴィエトとその衛星国では、半世紀にわたって、追放、監禁、見せしめ裁判、処刑がくりかえされ、恐怖による支配が人々を苦しめました。
日本でも公開された傑作「ドンバス」で知られるウクライナの映画監督ロズニツァはこう発言しています。
「1917年からソ連崩壊に至る期間、ソ連がウクライナで犯した戦争犯罪を裁くべきだ。80年間の歴史を忘れてはならない。忘れたら悲劇がくりかえされる」
■2022 女性と子どもたちが危ない!
人々を「拉致」し、人間の尊厳を奪うロシアの悪しき「伝統」。
悲しいことに、それはいまもくりかえされています。
AFPによれば、9月7日、国連の人権担当者は、ロシアが子供を連れ去り、「ロシアの占領地や本国に強制的に移送されているとの主張は信ぴょう性が高い」との見解を示しました。
国連の担当官はさらに、「ロシア軍は占領地でウクライナ人を『選別』し、『多数の』人権侵害を行っている」と指摘しました。
いずれも明白に国際法で禁止されている行為です。
具体的には、「着衣を脱がされての身体検査や、経歴、家族、ロシアへの忠誠心などに関する尋問、携帯端末の検査、個人情報の取得、写真撮影、指紋採取といった事例」が具体的に確認されています。
シベリアや北極圏、チェチェンなど「遠隔地域へ強制移送され、ロシアからの出国を2年間禁ずる書類にサイン」を強いられます。
また「選別」の結果、「ウクライナ政府を支持する『危険分子』とみなされ、拷問を受け、ロシアの流刑地や収容所に強制移送された事例もある」。
「女性や少女が『選別』中に性的虐待を受ける恐れがある」との指摘もあります。
ウクライナ政府の公式の発表では、6月中旬の時点で120万から150万人ものウクライナ人が「強制移送」されたとされており、そのうち約30万人が子どもです。
ISW(戦争研究所)も、ウクライナの20万人の子どもが「強制移送」されたと報告、「ジェノサイド条約」に明白に違反する行為であるとしています。
歴史を通じてロシアがくりかえし、ウクライナの人々の人生を破壊した「拉致、追放、強制移送」は、大量虐殺に匹敵する、悪質な権力犯罪といえます。
プーチンは「偉大なロシアの復活」を声高に叫びますが、復活したのは、国際法も人権も平気でふみにじり、強制移送、拷問、レイプ、児童虐待、虐殺をくりかえす時代錯誤の怪物であったのです。
(「1944」終わり)
写真協力:公益財団法人 日本ユニセフ協会
ユニセフは、ウクライナと周辺国の国境付近に子どもたちと家族への支援拠点を設置するなど、ウクライナ国内外で人道支援を届けています。
京都大学文学部卒業、1981年にNHKに入局。特集番組の制作に従事。NHK特集「山口組」、ハイビジョン特集「笑う沖縄・百年の物語」、BS特集「革命のサウンドトラック エジプト・闘う若者たちの歌」、最近作にNHKスペシャル「新・映像の世紀」「戦後ゼロ年東京ブラックホール」「東京ブラックホールII破壊と創造の1964年」などがある。ユネスコ賞、バンフ国際映像祭グランプリ、ワールド・メディア・フェスティバル2019インターメディア・グローブ金賞など受賞多数。現在はフリーランスの映像ディレクター・著作家として活動。著書に『戦後ゼロ年東京ブラックホール』『1964東京ブラックホール』がある。2023年3月放送の「ETV特集・ソフィア 百年の記憶」では、ウクライナ百年の歴史リサーチ、映像演出を担当。