かつて、源(より)(とも)は娘の(おお)(ひめ)を後鳥羽天皇に(じゅ)(だい)させようとしました。皇子が生まれたら、いつか天皇になるかもしれません。そのときには頼朝は母方の祖父、つまり外祖父として発言力を強めることになります。大姫の拒否や病などのために実現しませんでしたが、朝廷で権力を握るための最強の手段を使おうとしたまでです。

平清盛は娘の徳子を髙倉天皇に入内させ、生まれた皇子を即位させました。清盛は天皇(安徳天皇)の外祖父となり、父方の祖父、後白河法皇と(たい)()しました。頼朝は清盛のたどった道を踏襲しようとしたのでした。大姫亡き後はその妹(三幡)を、と思いましたが、頼朝が、次いで三幡も亡くなってしまいました。

女性は政治の道具として使われるだけの、か弱い犠牲者に見えます。しかし決して、ただの人形ではありません。置かれた境遇、環境のもとで、己の役割を果たすことで社会を生きていきます。この時代、生まれた境遇によって人生が決まるのは、男性も同じですよね。

女性は、2つの家の(ちゅう)(たい)となり、それぞれの発展に尽力し、不動産も相続します。歴史の表面に現われることが少ないので、実態はなかなかうかがえませんが、賢明な女性でなければ、役割を十分に果たすことができません。

さて、新しく鎌倉の“顔”となった(さね)(とも)は、京から妻を迎えることになりました。鎌倉ではなく、京から迎えることになった点が、頼朝・頼家とは異なります。

当時実朝は13歳で、(じゅ)()()()()(しょう)(しょう)です。釣り合いのとれる家柄と姫君が、あれこれと候補にあがったことと思います。そして、白羽の矢が立ったのは、後鳥羽上皇の従姉妹(いとこ)でした。父は坊門(ぼうもん(藤原)信清のぶきよです。

上皇の母の七条院は藤原氏出身ではありますが、家の格は高くありません。はじめは髙倉天皇中宮の徳子に仕えていましたが、天皇に(ちょう)(あい)されるようになり、男児が2人生まれました。その弟君が帝位に()くことになって、一挙に家格が上昇したのです。七条院の同母弟の信清は、そのおかげで右大臣まで進みました。

娘が結婚したとき、信清は(しょう)()()さきのごん(だい)()(ごん)です。頼朝も正二位権大納言になりましたね。

信清は上皇のそば近くに仕え、娘の一人は、上皇との間に、既に男の子をもうけています。また、別の娘は上皇の皇子の順徳天皇の女房となり、のちに子どもをもうけます。信清は姉の七条院に加えて、娘たちのおかげで、家の勢力を拡げていくことができました。

実朝の妻となって東国に赴くということは、京と鎌倉をつなぐパイプとしての役割を背負うということです。貴族の娘として生まれ、育ったのであれば、自らに課せられるであろう役割はおのずと理解し、使命感も芽生えていくことでしょう。

しかし如何(いかん)せん、まだ12歳です。しかも、習慣も風習も、言葉づかいも異なる遠い地で、親族とも切り離されて暮らすことになるのです。環境の全く異なる空間と見知らぬ人々の中に一人放り込まれて、夫・実朝を頼るしかない京の姫君のこれからが気にかかります。

静岡県生まれ。お茶の水女子大学大学院博士課程人間文化研究科比較文化学専攻満期退学。博士(人文科学)。現在、駒澤大学文学部教授。『平家物語』などの軍記物語を中心とした中世日本文学の研究を専門としている。著書に『『平家物語』本文考』、『平家物語の形成と受容』、『90分でわかる平家物語』、『平家物語大事典』(共編)、他にCD集「聞いて味わう『平家
物語』の世界」などがある。NHKでは、ラジオ〈古典講読〉「平家物語、その魅力的な人物に迫る」に出演。